第20話 冒険者との出会い
前回までのあらすじ
前世でのリタは、色々と拗らせていたらしい。
「クルス!!」
「わかってる!!」
パウラの呼び掛けにクルスが怒鳴り返す。
その顔にはすでに全く余裕がなく、目の前の相手だけに彼が必死になっていることが伝わってくる。
いくらこちらが闘う気が無いと言っても、目の前のオウルベアはそうではないらしい。
それもそうだろう。巣を捨ててメスと我が子を連れて逃げている途中に新たな敵に遭遇したのだ。
彼にしてみればこれは実力で排除しなければいけない場面だろう。
そうしなければ、自分はおろか我が子とつがいのメスさえ守ることができないのだ。
もちろんクルスもパウラもこんな勝ち目のない魔獣相手に闘う気などこれっぽっちもなく、彼らがそのまま通り過ぎてくれるのであれば大人しく見送るつもりだった。
しかし、こうなっては手遅れだ。
降りかかる火の粉は払わなければならない。
いくら勝ち目がないと言っても、抵抗をやめてしまえばその時点で全てが終わる。
戦闘を専門にしないパウラを背後に庇いながら、クルスはどうしたものかと必死に頭を働かせる。
じりじりと後退しながら正面を睨みつけていると、鋭い爪を尖らせた子供の胴体ほどもありそうな太い腕を振り上げたまま、オウルベアがにじり寄ってくる。
もとはと言えば、卵を強奪しようとするリタの前から逃げてきた彼らだったが、この場でクルス達に遭遇したことですっかり当初の目的を忘れているようだった。
「くそぅ、こんなのどうやって倒すんだよ――ぜんぜん勝てる気がしねぇ」
こんな時でもぼやき癖が治らないクルスではあったが、さすがの彼も思わず見上げるような魔獣に正面から挑むつもりはなかった。
かと言ってこの状況をどうにかできる自信もないのだが。
「しかも二頭とか…… まったくふざけんじゃねぇよ、なんなんだよこれっ」
「クルス!! に、逃げよう!! 無理だよ、こんなの勝てないって!!」
「バカやろう!! この状況で背中を見せて見ろ、速攻で殺られるぞ!!」
「で、でも――あぁ、クルス!!」
「くそっ!!」
「グロォォォ!!」
遂にオウルベアがその腕を振り下ろす。
その軌道をあらかじめ予測していたクルスは、咄嗟にかわすと同時に振り返りざまに一刀を浴びせた。
しかしその刃は分厚い毛皮に阻まれて、傷一つ与えられてはいなかった。
「くそっ!! なんだこいつ、全然刃が通らねぇ。どんだけ分厚いんだよ!!」
「クルス!!」
「わかってるから声を出すな!! そっちに向かっていくだろ!!」
思わず上がったパウラの声に、クルスが再び怒鳴り返す。
今ここでオウルベアがパウラの方に向かっていくと、非常に不味いことになる。
パウラの職種はスカウト(密偵)やシーフ(盗賊)に属するものだ。だから彼女の戦闘能力はたかが知れているのだ。
その小柄な身体を生かした素早い動きには確かに定評はあるが、それを上回る突進力を持つオウルベアの前では彼女は非力過ぎた。
もとより人探しの任務中である今は、こんな中型魔獣と正面切って闘う装備も持っていなければ、いざと言うときのための薬類も最低限しか持ち合わせていない。
もちろん魔法に縁のない二人には回復魔法などを使えるわけもなく、もしもその鋭い爪と太い腕によって致命傷を受ければ、最早助かる術はないだろう。
「グルルルゥゥ!!」
「くそっ!!」
パウラが叫んだせいなのか、突然向きを変えたオスのオウルベアがパウラに向かって一直線に走り出す。
その様子に慌てたクルスが渾身の力で背中に剣を叩きつけたが、魔獣の勢いが止まることはなかった。
「止まれ、止まれ、止まれぇ――!!」
こんなに大柄で鈍重そうに見える外見をしているのにもかかわらず、突進するオウルベアの速度は凄まじく、とてもクルスが追い付けるようなものではなかった。
オウルベアの一見大柄な熊のような体躯は、持久力を無視すれば一瞬の瞬発力にかけては人間の何倍も優れているのだ。
その証拠に、見た目に騙された冒険者が年間に何人もその命を落としていた。
「パウラ!! 避けろ!!」
その言葉が届くか否かの瞬間に、赤い髪の小柄な女冒険者に向かってその巨体をぶちかます魔獣の姿が見えた。
しかし咄嗟のところでかわして横の地面を転がるパウラの姿が目に入る。
そして次に彼女が地面から身体を起こそうとした瞬間、オウルベアが予想を上回る速度で方向転換すると再び襲いかかってくる。
だがその時点で未だパウラは身体を起こし切っていなかった。
このままでは確実にその細い身体に鋭い爪が食い込むだろう。
最早己の身体に振り下ろされる魔獣の腕を直視することも叶わないまま、覚悟を決めたパウラがその気の強そうな瞳を閉じた。
その瞬間、両手に剣を構えたクルスの体当たりが成功したのだった。
「グオォォォ!! ギャオゥー!!」
クルスは両腕でしっかりと剣を支えると、全体重をかけてオウルベアの横腹に突進していた。そしてその勢いのまま深々と剣を突き立てる。
その勢いのおかげでパウラ目掛けて振り下ろされた魔獣の腕の軌道が変わり、間一髪彼女の身体を掠めていった。
そしてそのまま脇腹に突進してきたクルスの身体を薙ぎ払う。
「ぐあっ!!」
子供の胴体ほどもある太い腕の渾身の力で背中を打ち付けられたクルスは、そのままの勢いで吹き飛んでいく。
その距離は五メートルはあっただろうか、鍛え抜かれた大柄な身体をきりもみ状に回転させながら、クルスは勢い良く地面の上を転がっていった。
「クルス!!」
相棒に向かって上げられた叫び声が震えている。
いま目の前で見せられたクルスの姿は尋常ではなかった。
パウラの目が確かであれば、彼の身体は本来曲がってはいけない方向に曲がっているように見えたのだ。
「いやぁー、クルス!! クルスぅー!!」
最早目の前のオウルベアに注意を払うことなく、パウラは相棒の剣士に向かって必死に叫んでいた。その声は彼女が無意識に出したもので、既に自身の身の安全などには一切構っていなかった。
クルスの剣を脇腹に刺されたオスのオウルベアは、横で悲鳴を上げるパウラには構うことなく、よろよろと歩き出していた。
そして草むらの中で卵を抱えて蹲っていたメスの近くまで行くと、その場にドスンと身体を横たえた。
どうやら彼もクルスから受けた傷が深いらしく、既に闘う姿勢を放棄しているように見えた。
そしてこの場には、互いのパートナーの身体を気遣う二組のペアが残されたのだった。
「クルス!! クルス!! しっかりして!!」
吹き飛ばされた時の姿勢のままぐったりと地面に横たわるクルスに慌てて駆け寄ったパウラは、一瞬彼の身体に触れるのを躊躇った。
それは彼の身体があまりにも酷い状態だったからだ。
オウルベアの腕の一撃を食らった時に付けられたであろう肩から脇腹にかけての切創は深く、その内側の組織が見えるほどだった。
出血は多く、たとえ止血をしたとしてもその全てを止めるのは不可能だろう。
そして極め付きに、その背中は有り得ない方向に曲がっていた。
パウラは想像したくもなかったが、恐らく背骨が折れているのだろう。
「クルス…… うぅ…… クルスぅ――」
吹き飛んだ時の姿勢のままピクリとも動かない相棒を目の前にして、パウラはその瞳に涙を浮かべ始める。
折れ曲がった背中を見ていると未だ呼吸はしているようだけど、それもいつまで持つのかわからない。
魔法的な救急処置が望むべくもない今の状況では、最早クルスの命を救う方法はない。
パウラにはせめて苦しまないように止めを刺してやることしかできないのだ。
しかし彼女は躊躇した。
今まで一度も好きだとか愛しているなどと互いに言ったことはなかったが、クルスと初めてペアを組んでから十年、男女の関係になってから八年、彼らは互いを只の冒険者ペア以上の関係として見ていたのだ。
だからどうしても今のパウラには自らの手で最愛の男の命を絶つことはできなかった。
出来得ることなら何とか助けてあげたかった。
こんな辺ぴな山道で突然別れることなど出来なかった。
離れたところに倒れるオウルベアのことなどには一切注意を払わずに、横たわる相棒の姿を見つめて涙を流し続けるパウラの耳に、突然聞き慣れた低い声が聞こえた。
「よ、よう……パウラ……怪我はないか……?」
「ク、クルス!! あ、あたしは大丈夫!! でもあんたは――」
「よ、よかった…… お前に怪我がなくて本当に良かった…… あぁ、オウルベアはどうした?」
「ヤツならあんたが倒したよ。さすがはクルスね、頼りになるわ……」
パウラの顔は涙でぐちゃぐちゃになっているが、クルスを安心させようとして無理に笑顔を作っていた。その顔を見たクルスは相変わらずの口調でからかった。
「パウラ……酷い顔だな。そんな顔ばかりしていると、嫁の貰い手も……なくなるぞ……」
その言葉に、パウラはひゅっと唇を吸い込んだ。
「ばかっ!! あんたが貰ってくれるんでしょう? あたしはずっとそう思っていたんだから……いつまであたしを待たせるのよ、男らしくさっさと言ってよ……早くあたしを貰ってよ……」
パウラの瞳から零れた涙がクルスの頬を濡らす。
その涙の温かさは、急速に寒さを覚え始めたクルスの身体に染み渡った。
「すまねぇ…… ずっとそう思っていたけど、勇気がなくてな…… ははっ、俺はダメな男だな……惚れた女に一度も……好きだって言えなかった」
「言ってよ…… 好きだって言ってよ!! あたしも好きなんだから、それでいいじゃない、ねぇ……」
「あぁ、そうだな…… 俺はパウラが……」
「なぁ、おまぁら何しちょるん? もしかして、死にそうなんか? 血いっぱい出ちょるのぉ。なぁ、痛いんか? なぁ」
獣の唸り声と人間の女の叫び声だけが響きわたる山道に、とつぜん甲高い声が響き渡る。
その声は場違いなほどに舌足らずで若干の滑舌の悪さを伴っていた。
驚いたパウラが後ろを振り向くと、そこには真っ白な馬を連れた小柄な幼女が一人佇んでいたのだった。
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