第188話 二人の責任者
前回までのあらすじ
キレッキレのリタの啖呵。素敵です。
その後リタとベネデットは、駆け付けた警邏によって事情を訊かれた。
しかし上位貴族であるベネデット侯爵に直接話を訊くのが憚られた彼らは、代わりに執事長のフォルジュに事情を訊くことにしたのだ。
しかし被害者であるはずのアンペール家の証言は一貫して歯切れが悪く、決してリタの処分を強く求めようとはしなかった。
もっともそれは、単にフォルジュの態度がそうであるだけで、肝心のベネデット自体は終始鼻息も荒く大声でがなり立てていたのだが。
傲岸不遜なベネデット個人の態度は別にして、アンペール家としてのあまりの弱腰な態度に、取り調べをする警邏も調査官も怪訝な顔を隠せなかった。
怪我人、死人が出なかったとは言え、白昼堂々侯爵屋敷を襲撃して、剰え全壊までさせたのだ。
本来であればリタに対して極刑を求めてもいいはずなのだが、執事長の口からは決してそのような求めは出て来ず、それどころか、よほどこの事件について深堀りされたくない様子が察せられた。
もっとも、そんなフォルジュの態度はやむを得ないものと言えた。
それは何故なら、今回のアンペール侯爵屋敷襲撃事件はリタによる報復だったからだ。
その前段としてリタを襲ったのがアンペール家だという情報も上がってきていたので、終始強気なベネデットは別にして、執事長フォルジュとしてはそれ以上事を大きくしたくなかった。
要するに、叩けば埃が出まくるこの事件について、アンペール家としてはこれ以上深堀りされたくなかったのだ。
とは言え、少々遅きに失していると言わざるを得なかったのだが。
その後リタ襲撃事件の事情聴取にリタ本人が合流した時には、すでに女魔術師のクアドラも、冒険者たち12名も、その全員が警邏の前で依頼主の名を吐かされた後だった。
そしてその事実は、事件の調書にもしっかりと記録されていた。
ここまで証拠が揃っていれば最早アンペール家に逃げ道はないように思えていたが、ここに来て彼の家が上位貴族であることが影響を見せ始める。
何ら物的証拠が出て来ない今回の事件では、襲撃者たちの自白しか証拠となり得るものがない。
しかし、当のベネデットがその自白の正当性に疑問を突き付けてきたのだ。
彼が言うには、襲撃者たちの自白内容はアンペール家の転覆を狙う他家の陰謀であり、そもそもが言いがかりに過ぎないらしい。
そんなアンペール家の態度に、警邏も調査官も弱腰になり始めてしまう。
如何に立憲君主制を敷く法治国家と言えど、貴族制度に裏打ちされた階級社会が深く根を張るここハサール王国においては、たとえ司法機関の警邏であっても上位貴族に逆らうことができないからだ。
これが普通の貴族家であったなら、また話は別だったろう。
しかし今回は相手が悪すぎた。
その相手とは、王国を代表する二大武家貴族家のうち、東の一翼を担う辺境侯爵家だったからだ。
ここまで来ると、あとは国王の裁量によって裁くしかないのだが、たとえ国王であっても、冒険者崩れの自白のみを以て二大辺境侯の一翼を裁くのは難しい。
もちろん国王の強権を発動する方法もあるのだろうが、それは最終手段に限られる。
もしそれを用いてしまえば、今後に大きな遺恨を残すのは目に見えていた。
特にアンペール家の派閥に属する貴族家からは、相当大きな反発があるのは間違いなく、それが国内の情勢に大きな影響をもたらすのは確実だった。
つまり、これが現行犯だったり確たる物証があれば別なのだろうが、今回の件に限って話はそう簡単なものではなかったのだ。
事情聴取が終わったリタが警邏所を出ると、すでにアンペール家の者たちの姿はなかった。
どうやら彼らは、形だけ調書を作るとすぐに帰ってしまったらしい。
何気に気になったリタが警邏に訊いてみても、彼らの表情は一様に優れなかった。
警邏が言うには、どうやらこの先の展望はあまり芳しくないらしく、恐らくアンペール家を法的に裁くのは難しいだろうとのことだ。
その代わり――というわけでもないのだろうが、リタの行動に一定の理解を示したとして、アンペール家としては彼女を訴追する気はないらしい。
もちろんそれは、これ以上この件に触れないのが条件だったのだが。
何やら申し訳なさそうな顔をする警邏たちに労いの言葉をかけると、仲間たちを引き連れて、リタは屋敷へと帰って行ったのだった。
――――
翌日の午後のレンテリア伯爵邸。
そこの応接室のソファに、二人の男が座っていた。
一人は苦み走った表情が似合う50歳手前の男で、年齢のわりに引き締まった体躯と只者とは思えない鋭い目つきが印象的だ。
そしてもう一人は30代中頃のやや小柄な男で、身に纏うざっくりとしたローブを見る限り魔術師に類する職業の者に違いなかった。
そんな二人が何処か落ち着かなげにソファに座っていると、徐にドアが開かれる。
すると見るからに高価な洋服を纏った品の良い60代前半と思しき老年の男性と、その妻らしき50代後半の女性、そして最後に、まるでよくできた人形のように整った顔立ちの10代半ばの小柄な少女が姿を現した。
その三人の姿を確認した途端、ソファに座っていた男たちが慌てて立ち上がる。
そして同時に口を開いた。
「この度は多大なるご迷惑をおかけいたしまして、大変申し訳ございませんでした!!」
「当ギルドのギルド員がご迷惑をおかけいたしましたこと、平にご容赦を!!」
それぞれに謝罪の言葉を口にしながら、深々と頭を下げる男たち。
すると部屋に入ってきた老年の男が手振りとともに口を開いた。
「どうぞ、お掛けください。謝罪は詳しくお話を聞いてからで結構です。まずは状況の説明をお願いしたいのですが、よろしいですか?」
「もちろんでございます。包み隠さず全てお話しさせていただく所存です」
「はい。我ら魔術師協会も同様でございます。一刻も早い事件の解決を願っております故、そのための協力は惜しみません」
ソファに座るようにと促されながらも、深く頭を下げて謝罪の姿勢を崩さない男たち。
それは冒険者ギルド・ハサール王国支部支部長ヴォルフガング・ランベルトと、ハサール王国・王国魔術師協会副会長ロレンツォ・フィオレッティの二人だった。
そしてその前に立つのが、レンテリア伯爵家当主セレスティノとその妻イサベル、事件の被害者であるリタの三名だ。
ランベルトとロレンツォは、昨日起こった襲撃事件の謝罪のためにここを訪れていたのだった。
それは昨日の午後の話だ。
いつものように婚約者の見舞いを終わらせたリタが帰路に就いていると、突然謎の集団に襲われた。
しかし難なくその場を切り抜けたリタが襲撃者を捕縛してみると、なんと彼らは現役の冒険者ギルド員と魔術師協会所属の魔術師だったのだ。
確かに両組織は有料にて所属員の派遣を行っている。
特に冒険者ギルドはその分野の最たるもので、第三者からの依頼を所属員に斡旋する、言わば「人材派遣業」を生業とする組織と言っていい。
対価と引き換えに人を派遣する以上、当然のようにそこにはモラルが求められる。
いくら依頼だからと言ったところで、殺人などの違法なものは認められないし、国に仇なす行為も同様だ。
であるからこそ、組織を通さずに直接所属員に依頼をする、俗にいう「直依頼」「闇営業」といったものを厳しく規制しているのだ。
しかし彼らは今回それを行った。
冒険者ギルドも、魔術師協会も全く与り知らぬところで、金銭の授受を伴う依頼を勝手に受けたのだ。
しかもその内容は「暗殺」などと言う、到底認められない違法なものだった。
それに関して両方の組織は把握していなかったので、もちろんその結果についての責任は問われないだろう。
しかし「所属員が違法行為を行ったことついての雇用者責任」――所謂「監督不行き届き」までは免責されないのだ。
そのため彼らは、今ここにその謝罪に訪れていたというわけだった。
とは言え、もちろんランベルトにしてもロレンツォにしても色々と言いたいことはあるだろう。
しかし組織の管理者として、それらの言葉をグッと我慢していた。
そんな彼らの説明を黙って聞いていたレンテリア伯爵家当主、セレスティノ・レンテリアが徐に口を開く。
その顔に浮かぶ優し気な微笑みは終始変わらないが、決してその瞳は笑っていなかった。
「大凡の事情はわかりました。あなた方の組織が今回の事件に直接関与していないこと、お二人も全く知らなかったことも」
「ありがとうございます。もっともそれを以て管理者である私の責任が免れるとは全く思っておりません。捜査が一段落した時点で、然るべく責任を取らせていただく所存であります」
と、冒険者ギルド支部長ランベルト。
「私どもも全く同じでございます」
と、王国魔術師協会副会長ロレンツォ。
そんな二人にセレスティノが鷹揚に頷いていると、その隣のイサベルが口を挟んだ。
「冒険者ギルドについてはわかりました。しかし、なぜ魔術師協会は副会長のフィオレッティ先生――失礼、フィオレッティ副会長を寄こしたのでしょうか? 常識で考えれば、ここは最高責任者であるオーガスト・マクブレイン会長がいらっしゃるのが筋ではありませんこと?」
「はっ。生憎マクブレインは所用にて遠方に出張中でございまして。未だ連絡はついておりませんが、つき次第こちらへ戻るようにと早馬を出しております」
「そうであればいいのですが。 ――確かマクブレイン殿はアンペール侯爵家の閥族だったはず。ここに姿を見せないのは、よもや逃げるためかと邪推してしまいますわ」
「これ、イサベル。やめないか」
多分に非難が含まれる、じっとりと睨めるような瞳でイサベルが見つめると、思わずロレンツォは額に冷たい汗を流してしまう。
そんな奥方を夫のセレスティノが抑えた。
「申し訳ございません。マクブレインが戻り次第、改めて謝罪に訪れる所存にございます。何卒本日はご容赦いただければと……」
再び頭を下げるために視線を外したロレンツォ。
視界からイサベルの姿が消えると、少しだけ彼はホッとした。
そんなことを幾度か繰り返しながら、ランベルトとロレンツォによる事件の顛末とこれからの対応についての説明、そして謝罪が行われた。
そして一区切りついたところで、セレスティノとイサベルが立ち上がる。
「それでは本日はこれで終わりにしましょう。 ――結果的に無事だったとは言え、まかり間違っていれば孫娘の命はなかったのです。それを肝に銘じてこの先の対応をされることを期待します」
「私どももそれは重々承知しております。最後まで責任を持って事に当たらせていただきます故、何卒ご容赦を」
「よろしいですね? 重ねて申し上げますが、くれぐれも黒幕を逃がすことのないようお願いいたします。これだけのことをされたのですから、このまま幕を引く気は毛頭ありません。そのためにはあなた方の協力が不可欠なのです。 ――この意味はおわかりですね?」
「は、はいっ!!」
「もしも我々にとって満足のいく結果が得られない場合、私どもレンテリア家とムルシア侯爵家連名による正式な『抗議書』及び『非難決議書』が届くものとお覚悟ください。 ――もちろんこの意味もおわかりですね?」
「しょ、承知いたしました!!」
「か、畏まりましたっ!!」
いつも口元に微笑を湛える、優しげな表情しか思い浮かばないレンテリア伯爵家当主セレスティノ・レンテリア。
今年61歳になった彼は、そろそろ家督を長男に譲ろうと思っているらしく、最近ではますますその顔の柔和さは増していた。
その彼が「抗議書」と口に出した時に見せた瞳は、見たことがないほどに鋭く、冷たいものだった。
その瞳を見た瞬間、ランベルトもロレンツォも、王国でも有数の財閥貴族家であるレンテリア家を、なぜ彼が率いて来られたのかを理解した。
そのくらい、その瞳は背筋が寒くなるようなものだったのだ。
その後セレスティノとイサベルは、リタ一人を置いて部屋を出た。
もちろん彼女の傍には女騎士のクラリスと専属メイドのフィリーネが控えているのだが、その二人さえリタは部屋から追い出してしまう。
そして二人が廊下の隅まで下がったのを確認したリタは、部屋の中のロレンツォとランベルトに笑いかけた。
「お爺様とお婆様のお話はご理解いただけて? ――さぁ、それでは作戦会議といきますわよ!! 全てはこれからの貴方たちの頑張りにかかっていますの。頼りにしておりますわ。 ――のう、ロレンツォ、ランベルトや。中途半端な結果しか出せぬのであれば、『抗議書』とやらが届く前に、わし自らがお前らを消し去ってやる。よいな!?」
まるで天使のような笑みを浮かべるリタ。
しかしその灰色の瞳は冷たく冷え切っていた。








