第186話 汚物は焼却だ
前回までのあらすじ
リタのキレッキレの啖呵がいいですな。
ところで「おフェラ豚」ってなんぞ?
「い、いるのはわかってるのよ、このウジ虫……よ、よくもこの私に喧嘩を売ってくれたわね。そんなに穴にこ、籠っていたいなら、このそびえ立つク、ク、ク……クソのような屋敷に、さらにク、クソを流し込んで差し上げましてよ……」
「な、なにぃ……!!」
「ひぃ!! ……も、もしも5分以内に出て来なければ、その薄汚いお……おフェラ豚のケツを蹴り上げますわよ。そ、そして二度とそのそ、そ、そ……粗チンを使い物にできないようにしてあげる。このイ、イカれ野郎……」
「なんだと!! 貴様ぁ!! そこへ、直れ!!」
「も、申し訳ありません!! すいません!! な、何卒ご容赦をっ!!」
アンペール家当主ベネデットの顔色を窺いながら、それでも果敢にリタの伝言を伝えるメイド長。
みるみる変わっていく当主の表情に恐れ戦きながらも、なんとか彼女は最後まで言い切ることができた。
しかし、遂に激高したベネデットに怒鳴りつけられてしまう。
「貴様ぁ!! この私を愚弄する気か!?」
「お、お許しください!! な、なにぶんこれは、リタ嬢からの伝言でございますれば、わ、私自身の言葉ではございませぬ故――」
「そうです、ご主人様!! 彼女も申したくて申しているわけでございません!! どうか、どうか平にご容赦を!!」
「ぐぬぬぬ……」
思わず感情的に怒鳴りつけてしまったが、メイド長の言葉が彼女自身のものではないことをベネデットも十分に理解していた。
それでも彼は、その堪え性のない短気な性格を覗かせると、まるで子供のように地団駄を踏む。
「お、おのれぇ、リタ・レンテリアめ!! 言うに事欠いて、この私を『ウジ虫』だとぉ!? それになんだその『おフェラ豚』とは!? あぁ!?」
「も、申し訳ありません。そのような言葉は聞いたことがなく、意味はわかりかねますが……」
「えぇい!! そんなことなど訊いておらぬわ、この戯けが!!」
「ご、ご容赦を!!」
メイド長からリタの伝言を聞いたベネデットは、そのあまりといえばあまりの煽り文句に完全に激高していた。
もっともそれは無理もなかった。
侯爵家と言えば、国の支配者層である王家、その親戚筋に当たる公爵家、そしてその次に高い爵位だからだ。
長らくその地位で生きて来た彼は、これほどまでに口汚く人から罵られた経験などなかった。
しかも格下の伯爵家の、それも次男の娘でしかない令嬢に「おフェラ豚」などと言われてしまえば、それがベネデットでなくても激怒しただろう。
そんなベネデットが憤慨する横で、執事長のフォルジュは何か嫌な予感を覚えており、未だ主人が怒り狂うのを尻目に、彼は不安を隠せずにいた。
あのリタがここへやって来たということは、それはギルド員たちの襲撃が失敗したことを意味する。
あの凄まじいとしか言いようのないリタの攻撃魔法で、彼らは皆殺しにされたのかもしれない。
いや、そうであればまだマシだ。
「死人に口なし」――彼らが死んでくれていた方が何かと都合がいい。
もしも生きたまま捕らえられていたならば、間違いなく依頼主の名を吐かされているはずだ。それこそ目も当てられない。
そもそもこの計画自体が、失敗することを考慮していなかった。
なぜなら、失敗する要素が全くなかったからだ。
リタは婚約者の見舞いのために毎日同じ時間に同じ道を通るうえに、連れている護衛も二名しかいなかった。
伯爵家令嬢としてその人数は異例の少なさだったが、さすがに途中で四名に増えた。
それでも増えた二名は正規の家付きの騎士ではなく、何故か冒険者らしき男が一名と、魔術師協会から派遣されたと思しき女魔術師が一名だった。
確かに護衛は増えてはいたが、それは些か心許ないものであるのに違いはなかったのだ。
つまり、リタと女魔術師の魔法さえ封じてしまえば、残りは騎士が二名と冒険者が一名だけだということ。
メイドが一名残るが、それは数えるまでもないだろう。
如何に強力な魔術師と言えど、呪文の詠唱を防がれてしまえばただの人でしかない。
特にリタのような小柄で華奢(しかし巨乳)な少女であれば、尚の事だ。
そしてそれを実現できる能力を持つ者が襲撃者の中におり、彼女は自信満々にリタの魔法を封じて見せると語っていたのだ。
つまり、二人の魔法詠唱を潰した後に腕利きの冒険者13名で一斉に襲いかかれば、そこに失敗する要素などまるで見当たらなかった。
そしてリタ一人だけを生け捕りにして、例の地下室で飼うはずだったのだ。
それが蓋を開けてみればこの体たらくだ。
恐らく冒険者たちは依頼主の名を吐いたのだろう……いや、絶対に吐いたに違いない。
そうでなければ、リタがここを尋ねてなど来るはずもないからだ。
思わず絶望的になってしまう執事長フォルジュ。
最も警戒すべきはずのリタが何故かピンピンしているうえに、すぐにでも顔を見せなければ何か仕出かしそうな雰囲気なのだ。
ここはひとつ、説得してでも主人を彼女に引き合わせるべきか――
どっかーん!!
ぼっかーん!!
「きゃー!!」
「うわー!!!!」
冷や汗を流しながらフォルジュがそんなことを考えていると、突然耳を劈く大きな音と凄まじい衝撃、そして悲鳴が聞こえてきた。
同時に屋敷全体が揺れるような錯覚に襲われる。
いや、それは気のせいではなかった。
間違いなく屋敷全体が揺れていたのだ。
その証拠に、断続的な衝撃とともに天井や壁には亀裂が入り、パラパラと何かが落ちて来ていたからだ。
「な、何だ!? どうした!? 何が起こってる!?」
直前まで激高していたベネデットさえも、今や慌てたように周りを見回している。
そして窓から何気に外を眺めてみると――
そこには巨大な黒い騎士と、真っ赤に燃える悪魔と、そして山のように大きな岩がいた。
まるでおとぎ話から抜け出てきたかのようにその光景は現実離れしており、それを見たベネデットも、フォルジュも、そしてメイド頭も、皆信じられないものを見た思いだった。
到底現実とは思えない何かが、アンペール侯爵邸の建物を破壊していたのだ。
巨大な黒い騎士――それは身の丈四メートルはあろうかという巨人だった。
まるで武神のように鍛え抜かれた身体に禍々しい装飾が施された黒色の鎧を纏い、頭全体を覆い隠すようなヘルムのせいでその顔は見えない。
一見巨大な人間のようにも見えるが、明らかにそうではないことをその上半身が物語っていた。
何故なら、鍛え抜かれた分厚い胸板の横から、左右五本ずつ、合計十本もの太い腕が生えていたからだ。
そしてその一本一本の手には様々な得物が握られていた。
それは思わず鈍器と見紛うような太い諸刃の剣だったり、凄まじい大きさの戦斧だったり、はたまた五メートルはあろうかというような長い槍だったりした。
そんな完全武装の武神のような存在が、巨大なハンマーのようなもので屋敷を破壊していたのだ。
言うまでもなく、その巨人は「ヘカトンケイル」だった。
四メートルを超える肉体から繰り出される物理攻撃は凡そ普通の人間が太刀打ちできるものではなく、強靭な肉体と全身に纏う神器級の鎧のおかげで、並みの攻撃では傷一つ付けることはできない。
そんな反則とも言える絶対的な存在が、無言のまま、まるで情け容赦なく屋敷を破壊していたのだ。
その横にいる、真っ赤に燃える悪魔。
禍々しく捻じれ曲がった一対の角を頭に生やし、まるで炎が噴き出るような鋭い瞳は底が見えないほどに真っ黒だ。
逞しい筋肉の発達するその身体は真っ赤な炎に覆われて、絶えず陽炎と煙を吐いている。
荒々しい呼吸からは近寄りがたいほどの灼熱が放たれて、その近くにいるだけで全てのものが燃え始めそうだった。
事実、どんな物理武器を使って攻撃しようともそれが皮膚に届く前に全て溶けてしまい、彼を傷つけることは不可能だった。
頭に生える一対の禍々しい角。
高熱を纏う真っ赤な全身の皮膚。
下顎から生える大きな牙。
まるで真っ赤な魔人のような容姿。
そう、彼は炎の魔人「イフリート」だった。
イフリートとヘカトンケイルは、ともに冥界を守る四天王の一人なのだが、今回ここへは同時に姿を見せていた。
見る者が見れば、何と言う贅沢だと思ったことだろう。
それほどこの二人が並ぶ光景は、滅多に見られるものではなかったのだ。
イフリートは両腕から灼熱の炎を吹き出させると、次々と屋敷の壁を破壊して溶かし始める。
石積みの建物が溶けるわけがないだろうと誰もが思うものの、実際にその壁はまるで溶岩のように溶けているのだから仕方がない。
その光景はまさに地獄としか言いようがなかった。
この二人だけでもうお腹いっぱいと言いたいところだが、さらにもう一人いた。
いや、それは一人と言うには些か大きすぎた。
恐らく身の丈は軽く五メートルは超えており、ここまで大きいと最早山と呼ぶべきだろう。
大きな頭に腕が二本、脚が二本。
確かにその姿は人間のように見えなくもないが、似ているのはそこだけでしかない。
全体が岩のようなものでできているその身体は、何処からどう見ても非常に硬そうだった。軋むようなぎこちない動きを見る限り、それは間違いなさそうだ。
その姿を一言で表現するならば、まさに「岩の巨人」だった。
――それは「ストーンゴーレム」だった。
身体全体が非常に硬い岩でできている彼は、その見た目通りにほぼ全ての物理攻撃を無効化する。
身体に纏う熱気で物理攻撃を無効化(肌に武器が触れる前に、熱で溶かしてしまう)するイフリートに対し、ストーンゴーレムはその生まれ持った身体自体が全く武器を通さないのだ。
そのため、攻撃魔法を持たない者――剣士や騎士などは全く歯が立たない。
そんな巨人が、直径二メートルはありそうな太い腕を振り回しながら、素手で屋敷を破壊していた。
「な、なんだ、あれは!? ば、化け物か!?」
「わ、わかりません!! 一体あれは……!?」
「きゃー!!」
茫然とするベネデットと執事長フォルジュ。そして甲高い悲鳴を上げるメイド長。
すると突然部屋のドアが開かれた。
「やはり、ここにおいででしたか!! ベネデット様!! さぁ、こちらへ!!」
勢いよく部屋の中へ駈け込んで来た者――それは護衛の騎士長だった。
どうやら彼は主人であるベネデットを探していたらしく、その姿を確認するとホッと胸を撫で下ろす。
凡そ部下の人望がなさそうなベネデットではあるが、それでも屋敷の中では多くの使用人に守られていた。
色々と問題のある彼ではあっても、そこはやはり侯爵家当主であることに間違いはないようだ。
「さぁ、お急ぎください!! ここは危険です!! とにかく屋敷から出てください!!」
「お、おい!! あれはなんだ!? 一体何が起こっているのだ!?」
「それはあとで説明いたしますから、とにかく今は急いで避難してください!! さぁ、こちらへ!!」
――――
「あら、このお茶美味しいわね。どちらの?」
目の前で巨人たちが暴れるのを尻目に、リタはのんびりと茶を嗜んでいた。
アンペールの屋敷から少し離れた場所に簡易テーブルと椅子を組み立てると、徐にそこで茶を飲み始めたのだ。
それはまるで自宅のテラスで寛ぐ姿そのままで、非常に優美かつ優雅だった。
もちろんそれを用意したのは専属メイドのフィリーネだ。
急遽用意した簡易式のティーセットではあったが、さすがはリタ専属メイドと言うべきか、その手際は完ぺきだった。
まるで流れるような所作で素早く茶を入れると、彼女は主人――リタに差し出したのだ。
「はい。これは南方のバルテリンク領で採れたもので、ムルシア家からの差し入れだそうです」
「バルテリンク……あぁ、フレデリク様の母君――シャルロッテ様のご実家からね」
「そのようですね。あの一帯は茶の栽培が有名ですから」
「ふぅーん」
良い香りのする飴色の液体をクルクルと回しながら、興味深そうにリタは眺めていた。
――――
「きゃー!!」
「に、逃げろー!!」
「ぐおおおおお!!!!」
どっかーん!!
「うわぁ、殺されるー!!」
「お慈悲をー!!」
――――
「このクッキーも絶品ね。 ――これは?」
「はい。これはキルヒマン子爵のお土産です。先日尋ねていらっしゃった時にお持ちになったようです」
「あら、キルヒマン子爵? 突然どうしたのかしら。彼はアンペール派閥のはずだから、普通ならレンテリア家になど来るはずもないのに。どうして突然うちなんかに?」
「申し訳ありません、お嬢様。私にはわかりかねます」
「まぁ、そうね。帰ったらお爺様にでも訊いてみるわね」
「はい。そうなされるのがよろしいかと」
――――
どかん!! ぼかん!!
「ぐもぉぉぉっ!!!!」
「キャー!! 悪魔よぉ!! お助けぇー!!」
「ひやぁぁぁぁ!!」
「おのえぇ、この化け物めっ!! 成敗して――」
どごん!!
「ぐあぁー!!」
――――
「そうそう。昨日見つけたんだけれど、裏庭の隅で猫が子供を産んでいたのよ」
「まぁ!! それは見たい!! 生まれたばかりの子猫って、本当に可愛いですよねぇ」
「えぇ、本当に!! あのポッコリとしたお腹がまた……思わず撫で回したくなるわよねぇ」
「わかります、わかります。とってもよくわかります!!」
「そうねぇ……それじゃあ、帰ったら一緒に見に行きましょう。でも、あまり母猫を刺激しちゃだめよ?」
――――
どごんっ!!!!
ばごんっ!!!!
「ぎゃー!!」
「誰かー!! 助けて―!! 」
「いやぁぁぁぁぁ!!!!」
「リタ・レンテリア!! いい加減にしろ!! 一体なんのつもりでこんな真似をしている!!」
屋敷の使用人たちが上げる悲鳴の中に、突然怒鳴り声が響いた。
その声を聞いたリタが、椅子に座ったまま視線だけをそちらに向けたが、その右手にはティーカップが握られたままだ。
どうやら今の彼女には、その声よりも茶の方が大事そうに見えた。
そんなリタに対して、尚もその声の主は怒鳴り続ける。
今やその声は掠れて、少々聞き取りにくかった。
「えぇい聞け、リタ!! 一体何の了見でこのよう無体を――」
「あら、ごきげんよう。誰かと思えば、アンペール侯爵様ではありませぬか。 ――これは異なところでお会いするものですのね。確かご不在とお聞きしておりましたが」
「き、貴様ぁ!!!!」
舞い上がる埃と土煙、そして屋敷が燃える煤に全身を真っ黒にさせながら怒鳴りつける中年の男。
それはアンペール侯爵家当主ベネデット・アンペールだった。
その隣には執事長フォルジュとメイド長の姿も見える。
どうやら彼らは、三人の巨人に破壊され、燃やされ、蹂躙される屋敷の中から命からがら逃げ出してきたようだった。
皆一様に全身を真っ黒にさせており、その顔も煤で黒ずんでいる。
そんな些か滑稽にも見える姿にチラリと視線を向けると、然も今気付きましたと言わんばかりにリタが声を上げた。
「汚物を焼却しようと思っただけですの。幸いにもお友達が手伝ってくれると言うものですから、お言葉に甘えましたのよ。 ――お望み通り、そびえ立つクソを焼却殺菌して差し上げましたわ。あら、礼には及びませぬので、お気になさらず」
そう言うと、リタはにっこりと微笑んだ。
その笑顔は、まるで穢れを知らない天使か女神のようにしか見えなかった。








