第180話 作戦開始
前回までのあらすじ
クルス……ギャンブラーだな。
それにしてもパウラのサービスとやらが気になる今日この頃。
耳元で響くリタの声音に、不意にクルスは固まってしまう。
何故なら、如何にも貴族令嬢然とした直前までの口調と、たった今耳元で聞こえたそれにはあまりに差があったからだ。
驚きのあまり咄嗟にリタの顔を確認しようとしたが、結局クルスは身体を動かすことができなかった。
それが驚きのせいなのか恐怖のためなのかはわからない。
しかし微妙に震えるクルスの脚を見る限り、後者なのは間違いなかった。
そして流れる汗と彷徨う視線を必死に誤魔化そうとしていると、突然リタが離れていく。
まるで何事もなかったかのように、すまし顔で寛ぐリタ。
クルスに凝視されているにもかかわらず、まるで素知らぬ体で茶を飲んでいた。
小指を立てた優雅な所作でカップをつまみながら、「あら、美味しい」などと茶の感想まで述べている。
そんな伯爵家の令嬢を凝視しながら、クルスは頭の中を整理した。
今や15歳になったリタの口調は、クルスの記憶の中にある滑舌が悪く舌足らずな5歳児のものではない。
その口調や立ち居振る舞いからもわかるとおり、今や彼女は立派な淑女になっていた。
ただでさえ人に命令を下し、権力を行使することに慣れているのに、さらに魔女アニエスの口調で突然ドスを利かせられてしまったのだ。
それはクルスにして、思わず萎縮してしまうものだった。
微笑を浮かべて寛ぐ姿は、一見するとただの愛らしい娘にしか見えない。
しかしその正体を知っているクルスにとって、彼女は恐怖もしくは畏怖の対象でしかなかった。
この依頼は断れない。
途中で逃げることも許さない。
何処か意味ありげなリタの微笑みは、雄弁にそう語っていたのだった。
クルスはその後リタから詳しい話を聞かされた。
それによると、今回の依頼内容は以下の通りだ。
依頼は護衛任務。
期間は明日から一ヵ月間とするが、途中で終了する場合もある。
その場合であっても、報酬は全額支払われる。
護衛はレンテリア家の屋敷からムルシア家の屋敷までの馬車による移動中とし、時間にして片道20分、往復で40分程度。
特段の事情がない限り、毎日午前10時出発から午後2時の帰宅までとする。
移動時間以外は待機とするが、何らかの事象が発生した場合は待機中であっても依頼主を守る義務を負う。
などと一見小難しく聞こえるが、簡単に言うと、毎日リタがムルシア侯爵邸までフレデリクの見舞いに行くので、その道中を警護しろということだ。
その説明を聞いたクルスは、思わず胡乱な顔をしてしまう。
如何に強力な魔術師とは言え、まがりなりにも貴族令嬢であるリタが護衛もつけずに外出するなどあり得ない。
それは安全云々以前に、レンテリア家の正気が疑われてしまうからだ。
しかし彼女ほどの強者であれば、わざわざ高額の依頼料を払ってまで臨時の護衛を雇う必要などないだろう。
レンテリア家であれば護衛の騎士も多数抱えているし、リタに至っては専属の女騎士を常に傍に置いているほどなのだから。
その見た目に反して、決してクルスは腕が立つとは言えない。
それはリタも十分承知しているはずだ。
それなのにわざわざ彼を指名したところを見ると、それには他の目的があるとしか思えなかった。
一度そう思ってしまうと、気になって仕方がない。
クルスがリタに訊いてみても、詳しく説明しようとしないどころか「ただその場にいてくれればいい」としか言わなかった。
そんな少々どころか、かなり引っかかる依頼内容ではあるが、それでもギルドを通した正式な依頼であるし、報酬の額が破格なのも確かだ。
なにせその報酬は、クルス一家が半年は暮らせるほどの額なのだ。だからたとえ言われなくても、もとより彼には断るつもりなどなかったのだが。
そんなわけで少々釈然としない思いを抱きつつも、翌日から護衛任務につくことになるクルスだった。
――――
翌日の午前9時40分。
任務初日であるために少々早めにレンテリア家に到着したクルスだったが、その場で一頭の馬を貸し与えられた。
依頼主のリタが馬車に乗るので、護衛も騎乗するようにと指示を出されたのだ。
それにはクルスも嫌そうな顔をしてしまった。
何故なら、中年も半ばに差し掛かった彼の体重は、既に130キロを超えていたからだ。
その体重で普通の馬に乗ってしまえば、動物虐待だと言われてもおかしくなかったし、なにより馬が可哀想だ。
もともと馬を持ってもいなければ、普段から乗る機会もないクルスではあるが、決して馬に乗れないわけではない。
その体重に耐えられる馬がなかなかいないため、ここ10年馬に乗っていなかっただけだ。
実際、もっと体重が軽かった20代前半の頃は彼も馬に乗っていたし、パウラと仲良く二人乗りをしたこともあったくらいだ。
そんなクルスに貸し与えられたのは、重い荷馬車を引くような重量級の馬だった。
荷役所でもあるまいし、貴族の屋敷にこんな種類の馬がいるわけがないことを考えると、恐らくリタがわざわざクルスのために手配してくれたのだろう。
そんな気遣いに感謝すべきなのか考えていると、一人の女性が会釈してきた。
「あの……クルスさん……ですよね? おはようございます。私はブリジットと申します。えぇと、見た通りの魔術師です。この度は同じ護衛任務に就いた者同士、仲良くしましょう」
初対面であるにもかかわらず、突然親しげに話しかけて来た女性。
それは王国魔術師協会所属の魔術師で、本職は王立魔術研究所の主任研究員でもあるブリジット・フレモンだった。
普段の彼女は研究所で魔法の研究に携わる傍ら、リタの弟――フランシスの家庭教師も務めている。
そんな忙しいブリジットが何故ここにいるのかと問われれば、それは彼女も護衛任務を頼まれていたからだ。
それも魔術師協会を通した正式な派遣要請であり、別途報酬も支払われていた。
そんな彼女にクルスは挨拶を返す。
「おう、おはよう。そうか、あんたも護衛を頼まれたのか。 ――俺はクルスだ。見た通り冒険者ギルドに所属するギルド員だ。よろしく頼む」
「ふふふ……あなたもアニエス様の被害者ですか。お察しいたします」
クルスの挨拶に対して、何やら悪戯そうな笑みを浮かべながら答えるブリジット。
その言葉を軽くスルーしそうになったクルスだが、一瞬の後、胡乱な顔をした。
「……アニエスだと? あんた……」
「うふふ。 ――えぇ、知ってますよ。リタ様の正体が誰なのかを。もっともここでは、あなたと私以外には内緒ですけれどね」
そう言うとブリジットは、パチリとウィンクをして見せる。
化粧気のない地味な顔ではあるが、よく見ると決して不美人ではないうえに、何処か愛嬌の良さが見て取れた。
年齢は恐らく30を過ぎているのだろうが、雰囲気からいって独身だろうとクルスは踏んだ。
そんなブリジットが尚も話し続ける。
「冒険者ギルドから呼ばれたのは、もしかしてあなた一人ですか? 他には?」
「いや、俺一人だ。しかもリタ嬢による指名依頼だったんだ」
「なるほどぉ……あなた一人ですか。 ――では相当腕に覚えがあるとか?」
その言葉に、クルスは恥ずかしそうに頬をかく。
よく見ると微妙にバツの悪そうな顔をしていた。
「いや……こんななりだが、恥ずかしながら腕の方はさっぱりだ。そんな俺が何故護衛を頼まれたのか、全くわからんな」
「あぁ……同じですねぇ。 ――私は魔術師ですが、あなたと同じように決して強くはありません。確かに戦場での実戦経験はありますが、戦闘に特化した魔術師なら他にもいるんですけれどね。どうして私なのかと聞いてみても、あの方は教えてくれないのです」
「そうか、あんたもか。俺にはアイツの考えていることはさっぱりわからん」
「ですよねぇ。そもそも攻撃魔法にかけてはあの方の右に出る者はいないのに、どうしてわざわざ他に魔術師を雇うのか全くわかりません」
「……」
「……」
そんなことを言いながら、顎に手を当てた全く同じポーズで二人が空を見上げていると、屋敷からリタが出て来た。
そしてすぐに出発となったのだった。
レンテリア伯爵家の首都屋敷からムルシア侯爵家の首都屋敷までは、馬車で20分かかる。
リタが自分で馬を駆れば5分で着くのだが、さすがに伯爵家令嬢の彼女が日常的に自ら騎乗するのは些か常識に外れる。
正直に言うと、リタとしてはそんなことはどうでも良かったのだが、やはり現当主夫妻である祖父母の外聞を考えると、ここはおとなしく言うことを聞いておくべきだと思ったようだ。
レンテリア家の屋敷から馬車が走り出す。
しかしその様は、伯爵家令嬢が乗る馬車としては些か寂しい光景だった。
騎乗する男性騎士が先導するすぐ後ろを、二頭立ての馬車が走る。
その馬車にはリタと専属メイドのフィリーネが乗っており、その左を女騎士のクラリスが、右側を冒険者のクルスが騎乗して並走する。
一番後ろ――殿には、魔術師のブリジットがついていた。
馬車にはしっかりとした木製の屋根と扉があり、外から中を伺うことはできない。
そのため、咄嗟の矢による攻撃はしっかりと防いでくれそうではあるが、それだけではやはり心許ないと言わざるを得なかった。
全部で四名の護衛がいるが、そのうちの二人――クルスとブリジットは戦闘ではあまり役に立ちそうにないので、実質二名の騎士による護衛でしかなかったのだ。
レンテリア伯爵家といえば、豊富な農産物と交易に支えられた経済力で有名な名門貴族家だ。
いくら跡目に影響のない次男の娘とは言え、その家の孫娘が外出するには少々護衛の数が少なすぎる。
もちろんそれはリタの祖父母も両親もしつこいくらいに言っていたし、無理やりにでも護衛を増やそうとしたのだが、当のリタがそれを断っていた。
そんな彼女曰く
「あのジル・アンペールを素手で張り倒せるんですのよ? そもそも護衛なんて不要ですわ。それにこの私を狙うクソッタレなんて、むしろ返り討ちにして差し上げましてよ。 ――あぁ、楽しみですわね、おほほほっ」
とのことだ。
そんなリタの様子に、何やら意図を感じ取った彼らは、渋々ながらも結局その言葉に従ったのだった。
レンテリア邸を発った馬車は、予定通り20分後にはムルシア邸に到着した。
馬車から降りたリタは、メイドのフィリーネと騎士のクラリスを伴って屋敷に入る。
そしてクルスとブリジットともう一人の男性騎士、そして馬車の御者の四名は、リタが帰るまで馬車留めの横にある小屋の中で待機することになったのだった。
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