第177話 次代のカルデイア大公
前回までのあらすじ
ジルダ……(´・ω・)カワイソス
カルデイア大公国大公オイゲン・ライゼンハイマーからの呼び出しによって、その居城――ライゼンハイマー城に登城したセブリアンとジルダ。
彼らの乗った馬車が城の正門に着くなり、幾人もの国の重鎮らしき者たちと役人、そして使用人たちが出迎えてくれる。
さらにその周囲を完全武装の騎士たちが取り囲む仰々しい様は、如何に今日の呼び出しが注目されており、且つ重要なものであるのかを物語っていた。
実はセブリアンもジルダも、ライゼンハイマー城に来るのはこれが初めてだった。
これまで幾度か大公オイゲン自身がお忍びでセブリアンたちのもとへ足を運んできたことはあったが、彼らは一度も城に呼ばれたことはなかったのだ。
それはオイゲンを始めとする国の重鎮たちが、セブリアンの存在を可能な限り秘匿したかったからだ。
もしも口の軽い者に知られてしまえば、たちまちブルゴー王国の知るところとなってしまうだろう。
そうなればすぐに身柄の引き渡しを要求してくるはずだし、セブリアンの脱獄にはやはりカルデイアが噛んでいたとして、外交ルートを通して正式に抗議してくるはずだ。
その件に関してはこれまで知らぬ存ぜぬを押し通していたカルデイアとしては、いまさらその話を蒸し返されるのは些か都合が悪い。
だから国の首脳部は、可能な限りセブリアンの存在を隠し通していたのだ。
なれば何故セブリアンが隠されていたのかと問われれば、それはオイゲンの跡目争いを避けるためだった。
現在67歳のオイゲンにはセブリアン以外に血を分けた子はいない。
しかしそれを何とかしようと、十年以上前からオイゲンは奮闘していたのだ。
城の若いメイドや使用人の女を手あたり次第に寝室に連れ込んでみたり、有力貴族家の娘を差し出させては種付けを繰り返してみたりと、最早恥も外聞もかなぐり捨てて、ひたすら自身の血を残そうとした。
しかしそんな常軌を逸した行動も終ぞ身を結ぶことはなく、結局二年ほど前から体調を崩した彼は、最近では子作りさえできなくなってしまう。
結局子を残せないまま己の死を悟ったオイゲンは、遂にセブリアンの存在を明るみに出す決心をしたというわけだ。
つまりセブリアンはオイゲンに子ができなかった時の保険であり、もしも子が出来れば速やかに処分されるべき存在だったのだ。
もちろんそれはセブリアンもジルダも承知していた。
そのうえで敢えて穏やかな二人の生活を守っていたのだ。いつ終わるかも知れない不安を胸に抱えながら。
そして遂にその呼び出しがあったのだ。
それはオイゲンが最終的にセブリアンを跡継ぎとして認めるためのものに間違いなかった。
「セブリアン殿下、ご無沙汰しております。 ――本日は急にお呼び立て致しまして大変申し訳ございません。大公陛下がお待ちでございますので、どうぞこちらへ」
出迎えの先頭にいたのは、宰相のヒエロニムス・ヒューブナー公爵だった。
現在48歳の彼は未だ働き盛りの壮年とも言える年齢なのだが、ここ十年に及ぶ厳しい国家運営の影響だろうか、会う度に髪は減り、その顔に浮かぶ疲れは消えることがない。
そんな宰相が恭しくも頭を下げる様子に、その場にいる者たちも即座に倣う。
この場に集まった者たちの殆どが、セブリアンに会うのは初めてだった。
もちろん出迎えに来る以上彼が何者なのかは承知しているが、一体何のために登城したのかは誰もわかっていなかった。
それも十年も前に行方不明になっていたはずの隣国の第一王子が、何故今この場にいるのかなど、余計に理解不能だった。
もっともそれは無理もなかった。
これまでセブリアンは、その存在をひた隠しにされてきたのだから。
にこやかに歓迎の意を示しつつも、その実不思議そうな表情を隠せない。そんな者たちの視線を集めながら、セブリアンは城の中へと入って行ったのだった。
初めて入ったライゼンハイマー城は、セブリアンにとって些か貧相な印象が拭えなかった。
それは絢爛豪華な宮廷文化が根付くブルゴー王国の元第一王子だった彼にとっては当然の感想だった。
国家予算に占める軍事費の割合が二割を超えるカルデイア大公国において、もともと城を飾り立てるという考えがないのだろう。
事実、国家元首である大公の居城であるこの城にしても、まさに質実剛健としか言いようのない作りとデザインであり、そこに過度な装飾や遊びは全く見られない。
言い換えれば、そんな武骨としか言いようのない城は、かえってオイゲンという男にはとても良く似合っていた。
そんなことを考えつつも、セブリアンは先行する宰相に声をかける。
「父上の加減はかなり良くないのか? この呼び出しも随分と急な印象を覚えるが」
「はい。貴方様ですので包み隠さず申し上げますが、かなり悪いかと。医師が申すには、持ってあと一ヵ月だとか」
「……そうか。わかった」
セブリアンの返答はたった一言だった。
それは深刻な父の病状に対する息子の返答としては些か淡泊にすぎ、そこに特別な感情は見られない。
もっともそれは無理もなかった。
実の息子とは言え、セブリアンがオイゲンとともに過ごした時間は殆どないと言っていいからだ。
この国に来てからの十年でそれなりに親交を深めたはずだが、最後まで何処か余所余所しい感じは否めなかったし、それはオイゲンも感じていたはずだ。
それでも彼の人生の中で唯一愛した女性――妹のローザリンデの忘れ形見であり、間違いなく己の血を引く息子なのだと思うと、そこに特別な感情はあっただろう。
「殿下。失礼を承知で申し上げますが、貴方様がこの国を引き継ぐことについては必ず異論が出ます。特に陛下の伯母方の親戚筋であるバッケスホーフ家からは猛烈な反発が予想されます」
「……どこの王室も同じようなものだ。今さら尻込みなどせぬ」
「勇ましいお言葉、頼もしい限りでございます。貴方様であれば心配は無用かと存じますが、どのような揺さぶりをかけられようともどっしりとお構え下さい。今この時に跡目争いなどしている暇はないのです。こうしている間にも、この国は死に向かって突き進んでいるのですから」
まるで遠慮のない宰相ヒューブナーの言葉に、思わずセブリアンは笑みを漏らしてしまう。その顔には久しく見なかった皮肉そうな表情が浮かんでいた。
「俺はそんな国を押し付けられるのか。 ――まるで沈みゆく船の様ではないか。察しの良いネズミどもはとっくに逃げ出しているのではないのか?」
「……これは手厳しいですな。まぁ、そう思って頂いて結構です。ですから余計にバッケスホーフ家になど渡したくはないのですよ、私は」
まるで吐き捨てるかのようなヒューブナー。
その姿は、これから大公の指名を受ける男の前で見せるべきものではないのだろう。
しかしその様子を受けたセブリアンは、片方の口角だけを上げて皮肉そうな顔をしただけだった。
「まさかここに来て、またぞろ権力闘争に巻き込まれるとは思わなかったぞ。再び暗殺に怯える日々到来というわけか。これはまた嬉しいことだ」
そう言ってセブリアンが背後を振り返ると、ジルダがにこりと笑う。
その顔はセブリアンが大好きな、透き通るような美しい笑顔だった。
「うふふ。お傍に私がいる限り、誰であろうと手出しはさせませんわ。お任せくださいませ」
プロの暗殺者でもあるジルダが余裕の笑みを見せると、セブリアンは鷹揚に頷く。
今やその顔から皮肉な笑みは消えており、彼女にしか見せない優しげな微笑みが浮かんでいた。
「あぁ。それでは一生お前を手放せないな。任務を全うするためだ。絶対に俺よりも先に死ぬなよ」
「はい、承知いたしました。貴方様が無事に老衰で亡くなるのを見届けてからすぐにその後を追います故、ご心配なさらずに。たとえあの世でもお一人にはさせませんわ」
「はははっ、そうか。それではそのように頼む」
まるで軽口のような言葉を交わす二人に小さな笑みを向けると、宰相ヒエロニムス・ヒューブナーは大公オイゲン・ライゼンハイマーの執務室のドアを開いたのだった。
薄暗い部屋の中心にオイゲンはいた。
寝室から運び込んだ天蓋付きの大きなベッドを部屋に置き、そこに彼は横になっている。
それはオイゲンの指示だった。
たとえ死の淵に立っていても最後まで大公の仕事をやり遂げようとする、それは彼の意思の現われだったのだ。
薄暗い部屋の中でもわかるくらいに土気色をした顔と、早くて浅い呼吸に注意が向かい、その様子からは彼の余命がそう長くないことが伝わってくる。
セブリアンが最後にオイゲンに会ったのは、もう二年以上も前だ。
以前は半年に一度は会いに来ていたことを考えると、恐らく彼はその頃から寝たきりになっていたに違いない。
67歳というオイゲンの年齢は、この時代においては相当な高齢と言っていい。
それこそとっくに老衰で死んでいてもおかしくはなく、この歳まで国家元首を務めざるを得なかった彼の気持ちを考えると少々気の毒に思えるほどだった。
そんなセブリアンの父親が口を開く。
その太く低い声は、病の床にあってもあまり変わっていなかった。
「おぉ……来たか、我が息子よ。もう十年……十年か。長い間、散々待たせてしまったな」
「いえ。長かったかと問われれば是と答えるほかありませぬが、生まれ育った彼の国での日々を思えば、救われる思いでございました」
「そうか…… そう言ってくれるならば……少しはわしも救われるというもの。時間もない故単刀直入に申すが……遂にわしの命運も尽きようとしておる。……なればお前にこの国を託そうと思うてな」
そこまで言うと、オイゲンは一息ついた。
相変わらず声に力はあるが、今や長く話せないのだろう。
それでも彼は必死の形相で言葉を紡ぐ。
「この十年……必死に世継ぎを作ろうと頑張った……が、遂に叶わなかった。知っての通り我が血を引く者は……お前ただ一人だけだ。開国の祖であるライゼンハイマーの血を絶やしてはならぬ。 ――次はお前が次代に繋ぐのだ……よいな?」
「承知いたしました。もとより彼の国で殺されていたはずのこの身。それを救い出していただいた父上には感謝の言葉しかありませぬ。然らば、その言に否と答えるわけにはまいりませぬ」
「なれば良し。必ずやこの国を……立て直すのだ。……そして我が国を……このような窮地に追い込んだ……ハサールに鉄槌を食らわすのだ、よいな?」
「はっ!!」
威勢よくセブリアンが返事をすると、オイゲンは満足そうに頷いた。
今やベッドから起き上がることも叶わぬ不自由な身体ながら、可能な限りその喜びを身体全体で表すと、徐に宰相ヒューブナーに向かって声を上げた。
「我が息子の意思は確認した。……この場に各大臣、重鎮連中を……呼び寄せよ。 ――直接己の言により後継者を……指名する」
「畏まりました。すぐに呼び寄せてまいります故、暫しのお時間を」
「急げ」
「はっ!!」
こうして元ブルゴー王国第一王子であったセブリアン・フル・ブルゴー改めセブリアン・ライゼンハイマーは、現大公オイゲンにより次のカルデイア大公国大公に指名された。
しかしその前途は決して楽観できるものではなく、むしろ問題は山積しているようにしか思えなかった。








