第176話 セブリアンとジルダ
前回までのあらすじ
ちっ、婆が純情ぶっても可愛くなんかねぇよ。
……と、思っていた時期が私にもありました……
魔女アニエスの生まれ故郷であるブルゴー王国は、モンタネル大陸の南西部にある。
その国土は北をアストゥリア帝国、南を魔国の森、東をサルデニ王国、そして西をカルデイア大公国に接しており、その歴史は戦争の歴史と言っても過言ではない。
そんな国情故に、ブルゴー王国においては昔から攻撃魔法の研究が盛んで、そのおかげもあり長年に渡り魔法先進国の名を掲げて来た。
そんな中、約百年前に世界屈指の無詠唱魔術師アニエス・シュタウヘンベルクを宮廷魔術師に擁するに至り、その名を世界に轟かせた。
しかしある出来事を切っ掛けに、その名を他国へ明け渡すことになってしまう。
それは今から12年前の「魔王討伐戦」だ。
勇者ケビンとともに参加したアニエスは見事にその目的を果たしたものの、帰還する直前に行方不明になってしまったのだ。(公式発表では)
百年以上に渡りブルゴー王国の宮廷魔術師を務め続けた魔女アニエス。
魔法の知識、技術、そして持てる魔力量も世界最高峰と言われた彼女は、魔法を用いた戦闘に関してもその名の通り世界最強だった。
あまりに強力な魔女に頼り切っていたブルゴー王国は、これまで積極的にその後任を育ててこなかった。
そのせいもあり、彼女なき今、パッとしない後任者では魔法先進国の名を守り続けられなかったのだ。
それ以来ブルゴー王国は強力な魔術師が不在となって久しい。
しかしそれと入れ替わるように、今や「魔王殺し」で有名な勇者ケビンが存在感を示している。
実際に見た者は少ないものの、その常軌を逸した戦闘能力は今でも世界最強と噂されるほどで、彼がいる限りブルゴー王国は安泰だとまで言われるほどだ。
アニエスという魔法力を失ったブルゴー王国ではあるが、その代わり今は世界最強の勇者を擁するに至ったのだった。
前国王の次女を娶ったケビンは、今では王室の親戚筋にあたる。
そんな彼がいる以上、ブルゴー王室に手出しをしようなどとする者も、国もなかった。
なにせ、あの世界最強最悪の「魔王」を屠った人物なのだ。
もしも本気で敵に回してしまえば、苛烈なまでの報復を受けるのは目に見えていたからだ。
ブルゴー王国の西の国境を越えると、そこには軍事侵略国家で有名なカルデイア大公国がある。
他国に比べて国費に占める軍事費が突出するその国は、力を以て周辺国を併合してきた歴史があり、国民皆兵とも言えるような極端な軍事国家として長らくこの地域に君臨してきた。
しかし近年、その国は緩やかな死を迎えつつある。
今から十年前、俗にいう「第八次ハサール・カルデイア戦役」によって歴史的大敗を喫したカルデイアは、その代償として高額な戦後賠償金と数千人に及ぶ捕虜の身代金、そして解放と移送のための多額の費用まで負担させられてしまう。
そのため、もともと内需が弱かった国内経済はその負担に耐え切れずに破綻、その後の立て直しにも失敗した。
品不足に伴う極端な物価の上昇と貨幣価値の低下、失業者の増加と税収の低下により、最早その回復も見込めないところまで来ていたのだ。
ここに来て、現在67歳の国家元首――大公オイゲン・ライゼンハイマーは病に臥してしまう。
一応は国政の運営に携わってはいるが、それもここ数年はベッドから起き上がれずに寝たきりのまま指示だけを出す日々が続いていた。
オイゲンには妻がいた。
普通に結婚して普通に生活して10年前に病で亡くなったのだが、この二人の間に子供はいない。
オイゲンの唯一の肉親とも言える実の妹は、嫁ぎ先の他国の地で35年前に亡くなっていた。
このように、大公オイゲンには血を分けた子供も兄弟姉妹もすでにおらず、その後継者の擁立に周囲は非常に頭を悩ませていたのだ。
そうなると、次の大公をめぐる熾烈な権力闘争が生まれることになるのだが、それを危惧したオイゲンは、己の死を予感し始めたここに至り、遂に長年の秘密に触れることにしたのだった。
――――
「殿下。そろそろお時間でございます。お支度はよろしいですか?」
「あぁ、完璧だ。いつもすまないな、ジルダ」
「うふふ……どういたしまして。さぁ、今日は待ちに待った日です。遂に貴方様がこの国を受け継ぐ日……あぁ、なんて素晴らしいのでしょう」
目の前の男に向かって、明るくにこやかな笑顔を浮かべる女。
年の頃は30代中頃だろうか。
整った顔立ちに細く鋭い眼差しが特徴的な、なかなかに美しい姿をしている。
豪奢なドレスを身に纏う嫋やかな姿は、一見すると貴族のご婦人のようにも見えるが、その頬に走る一筋の刀傷が異彩を放っていた。
化粧で誤魔化すこともできるのだろうが、敢えて隠すつもりもないらしいその傷を見ていると、その鋭い眼差しも相まって彼女が只者ではないことがわかる。
そんな「ジルダ」と呼ばれる女が話しているのが、見たところ40歳手前くらいの背が低い小太りの男だ。
その顔と容姿を見る限り、決して明るく朗らかな人柄ではなさそうなのだが、ジルダを見つめるその視線には間違いようのない愛情が見て取れる。
親しげな二人の様子を見る限り彼らは夫婦のようにも見える。しかし、恐らくそれは違うのだろう。
年齢的には釣り合いが採れているし、醸し出す雰囲気にも互いに対する深い愛情と信頼が滲み出ている。
それでもやはり何処かに違和感を感じる。そんな二人だった。
「セブリアン殿下。苦節十年、遂に貴方様は――」
「泣くな、ジルダ。未だ登城の要請を受けただけだ。実際に行ってみなければどのような話になるかもわからんだろう。もっとも、たとえ大公になったとしてもお前との関係は何も変わらん。これまで通り俺はお前を愛し続けるだけだ。 ――お前も俺を愛し続けてくれるか?」
「もちろんでございます。今までも、これからも、私が愛するのはセブリアン様ただお一人。いつまでもお傍に置いていただけるのであれば、これ以上の幸せはございません」
「そうか。その言葉、嬉しいぞ」
涙ながらに語る女を、慈愛に満ちた瞳で見つめる男。
そう、互いを呼び合う通り、この二人は元ブルゴー王国第一王子のセブリアン・フル・ブルゴーと、その彼を助け出したジルダだったのだ。
話は今から10年前に遡る。
当時ブルゴー王国の第一王子だったセブリアンは、国王も含めた多くの王室関係者と国の重鎮たちの前で、父親でもある当時の国王――アレハンドロの血を引かないことを暴露されてしまったのだ。
それは勇者ケビンによる仕業だったが、その彼も扶養者であり教育者でもある魔女アニエス――転生した今はリタだが――からその暴露を託されていた。
何故ならそれは、王子セブリアンの所業がアニエスの逆鱗に触れたからだ。
そして国家を跨ぐ陰謀の一端でもあった。
実はその秘密をアニエス――リタは昔から知っていたのだが、外交まで含めた他国への影響の大きさと、王室と王位継承の根幹を揺るがすあまりの衝撃の大きさ故に、彼女はその事実を公表するつもりはなかった。
しかしリタが慕う義理の祖父になるはずだった人物――バルタサール・ムルシアを目の前で惨殺されるに至り、リタはその考えを改める。
そしてケビンに託して公表させたのだ。
予想通り、その暴露は王国の根幹を揺るがす騒ぎに発展してしまう。
セブリアンの出自とともに今は亡きアレハンドロの正妃の秘密は暴かれ、エルミニアの母親の死亡の事実からそれに関与した貴族連中の名前まで全てが明るみに出たのだ。
そのせいで第一王子派の多くの貴族が死罪や追放、領地の没収などの憂き目にあい、その結果国内の貴族家の再編が行われるに至り、その影響は未だに燻ぶり続けている。
そんな中、セブリアンは国家反逆と外患誘致と殺人、およびハサール王国のムルシア侯爵殺害容疑により訴追されることになったのだが、裁判を待つ間に忽然とその姿を晦ましたのだった。
もちろん真っ先にカルデイア大公国が疑われた。
何故ならセブリアンは、カルデイアの現大公――オイゲン・ライゼンハイマーの実子だったからだ。
当時オイゲンにはセブリアン以外に血を分けた子はいなかった。
だからオイゲンは、このままでは死刑を免れられないセブリアンを救い出したのだと誰もが思ったのだが、結局その証拠は見つからないまま終わってしまう。
その後もブルゴー王国は、大公国に対して聞き取りや調査の依頼を出していた。
もちろんそれは外交ルートを通した正式なものではあったが、もとより冷え込んでいた両国の関係もあり、その後も全く進展はないまま10年が経っていたのだ。
そんなこともあり、突如姿を消したセブリアンはカルデイア大公国内で匿われていると誰もが信じていたのだが、先ほどからの二人の様子を見る限り、どうやらそれは真実だったらしい。
セブリアンとジルダが話しているこの場所は、公族ライゼンハイマー家が所有する別荘だ。
場所はカルデイア大公国の南西部に位置する保養地で、そこにセブリアンは住んでいた。
十年前、ジルダによって助け出されたセブリアンは、身一つでこの地にやって来ると、暫くそこに身を隠すように命じられた。
もとより他に行くべき場所もなかった彼は、おとなしくその指示に従ったのだが、その時一つだけ希望を述べた。
それは、ジルダと別れたくないというものだった。
ハサール王国から逃げ出したセブリアンは、この地へたどり着くまでの間、ずっとジルダに世話をされていた。
それは日常生活の補助に始まり、食事や着替えなど多岐に渡る。もちろんそれには性欲処理も含まれた。
初めはジルダの美貌と均整の取れた肢体に己の性欲を満たすだけのセブリアンだったが、気付けばジルダ自身に夢中になっていた。
そして潜伏先に辿り着いた時には彼女と別れることを拒み、今後も一緒にいることを望んだのだ。
ジルダはあの有名な暗殺者集団、『漆黒の腕』の一員だ。
ともすれば貴族の奥方にしか見えないその美しい外見とは裏腹に、本来は諜報と暗殺を生業にするプロフェッショナル集団の一味なのだ。
あの警備の厳しいハサール王国の罪人用の塔に単身潜り込み、剰えセブリアンの脱獄を成功させるほど、その能力は折り紙付きだった。
今や世界各国で暗躍する『漆黒の腕』は、実はカルデイア大公国の諜報機関が非合法な仕事を金で請け負わせる外部組織――所謂汚れ仕事専門の集団――でもあり、ジルダは物心ついた時からそこの一員だったのだ。
ジルダは自身の生い立ちを知らない。
気がつけば『漆黒の腕』で育てられて、いつの間にか暗殺者としての技術を叩きこまれていたからだ。
何処かの寒村から売られてきた小さな子供を見た彼女は、恐らく自分もあんな風に親に売られてきたのだろうと思った。
それ以来ジルダは、自分の出自を知ろうとは思わなくなった。
幼い頃から非凡な才能を見せた彼女は、組織の中でも特に目をかけられた。
すると13歳を過ぎたジルダは、女にしかできない技術を叩きこまれることになる。
それは「性技」だった。
諜報員として敵組織に忍び込む必要のあるジルダにとって、その技術は必須だった。
所謂「ハニートラップ」を仕掛けて対象から情報を得たり、時には暗殺したりする。
そのために「性技」とは女諜報員としては身に付けなければいけない必須技術であり、彼女の場合も例に漏れず、13歳になると同時にそれを叩きこまれたのだ。
毎日のように幾人もの男の相手をさせられて、その技術を高めていく。
その相手は時に上司だったり、時に同僚だったり、場合によっては何処の誰かもわからないこともあった。
同時に複数の男の相手をさせられたこともある。
いくら訓練とは言え、年頃の少女にとってその行為はとても辛く苦しく、そして羞恥に震えるものだった。
訓練の名のもとに入れ替わり立ち代わり自分を貫く男たち。
その中で次第に無感情になっていく自分を感じながら、自分はただの性欲処理係、慰み者なのではないかと思ってしまう日々だった。
そんな訓練の中でジルダは何度も妊娠したが、その度に堕胎を繰り返すうちに気付けば二度と妊娠しない身体になっていた。
それを以て、彼女の「性技」の訓練は終了したのだった。
逃避行をともにするうちに、セブリアンは本気でジルダを愛してしまうようになった。
かたや王族の男で、かたやプロの暗殺者。
この二人の関係を考えると、どう考えても許されるものではなかったが、最早そんなことはセブリアンにとってどうでもよくなっていた。
あくまでもジルダは、仕事としてセブリアンの世話を焼いていた。
それは日常生活の補助に始まり、食事の用意だったり話し相手だったり、時には性欲を満たさせるために抱かれることもあったのだが、その時は彼女の「性技」が遺憾なく発揮された。
ジルダにしてみればそれは純粋に仕事だったのだが、セブリアンにとってはそうではなかったらしい。
初めはジルダの身体と「性技」に溺れたセブリアンだったが、次第に彼はジルダ自身を愛するようになっていったのだった。
もっともそれは当然の結果と言えよう。
セブリアンにとってその関係は、まさに恋人同士と同じだったからだ。ジルダがどう思おうが、彼はジルダをそんな目で見ていたのだ。
そしてジルダ自身もその想いに次第に絆されていくと、気付けば互いに愛し合う仲になっていた。
これまで人に愛された経験のないセブリアンは、当然のように人の愛情を知らない。
それはジルダも同じだった。
そんな二人が貪るように互いの愛を求めあううちに、潜伏先の別荘での生活が始まったのだ。
本来であれば、ジルダの仕事はそこまでだった。
セブリアンを潜伏先まで送り届ければ、彼女は元の仕事に戻るはずだったのだ。
しかしセブリアンは彼女と別れることを嫌がり、何とかして手元に置いておきたいと嘆願し始めてしまう。
その姿はまさに妻を取り上げられる夫さながらだった。
もしも要求が聞き届けられなければ直談判も辞さず、というほどそれは苛烈なものだったのだ。
その様子を見た公国側は、彼の要求を聞くことにした。
セブリアンを匿っていることを周辺国に知られたくない公国側としては、出来る限り彼を刺激したくなかったからだ。
もしもセブリアンがジルダ惜しさに派手に動き出そうものなら、これまでの全てが水泡に帰してしまう。
潜伏生活が今後数年間に及ぶことを考えると、彼をおとなしくさせるためには、愛する女性を宛がっておくのがいいだろうと判断したようだった。
その後二人が一緒に別荘に住み始めると、その仲睦まじい様子は仲の良い夫婦となんら変わるものではなかった。
もちろん世話係として執事やメイド、そして調理師などは用意されていたし、生活には何一つ不自由はない。
無断外出禁止と、別荘から30分以上離れられないことを除いては。
意図的に国の中央から遠ざけられていた彼らは、そのおかげもあってとてものんびりとした生活を謳歌できた。
朝はのんびり起きて朝食を摂り、暖かい日には目の前の湖で釣りを楽しみ、森を散策し、寒い日は読書をしながら酒を飲み、夜に時々愛し合う。
魑魅魍魎が跋扈する権力闘争に長年身を置き続けて来たセブリアンと、命を危険に晒しながら日々の任務をこなし続けてきたジルダ。
この二人にとってはまるで夢のような生活を送ること10年。
遂にその日がやってきたのだった。
ある日セブリアンのもとに一通の手紙が届いた。
それは国の中央――カルデイア大公国大公オイゲン・ライゼンハイマーからの呼び出しだった。
その手紙には、
「この国をお前に譲る時が来た。引継ぎがある故、登城せよ」
と短く書かれていただけだった。








