第16話 リタ家の食卓
前回までのあらすじ
無詠唱がバレる。そこは隠しとけよ。
驚きを隠そうともせず固まっている両親を見て、リタは内心「やっちまった」と慌てていた。
今使ったのは攻撃魔法の基本中の基本である「マジックアロー」だ。
こんな簡単な魔法であれば彼此もう150年は前から無詠唱で使うのが当たり前になっていたので、特に深く考えずに発動してしまったのだ。
自分としてはいまさら大したことではないのだが、やはり一般的には驚愕に値するらしい。
もっとも無詠唱魔法がどれほど凄いことなのかは魔法に詳しい者でなければ理解していないはずなので、きっと両親は気付いてはいないだろう。
などとリタが安易に考えていると、徐にフェルが口を開いた。
「――リタ、凄い魔法だったよ。本当にお世辞抜きに凄かった。しかもそれを無詠唱でなんて……」
おおぅ、やっぱりそこに気付いたか……
これは抜かったわ、わしとしたことが……
魔法に詳しいフェルは、やはりそこに気付いていた。
しかしリタとしてはあまりそこに触れてほしくなかったので、なんとかこの話題から離れなければいけない。
だから彼女は必殺技を繰り出してみることにした。
「ととしゃまのおはなし、むじゅかしくて、わかんなーい。えへへ、きゅるん♡」
なんとか誤魔化そうとして、リタはとりあえず可愛い顔をしてみた。
しかし彼女の努力は無駄に終わった。
何故なら彼らは驚くような光景に注意を持っていかれて、娘の可愛らしい仕草が全く目に入っていなかったからだ。
せっかく可愛い顔をしたのに、誰も見てくれない。
リタは何だか損をしたような気分になった。
そんなこととは露知らず、フェルが真剣な顔で尚も言い募る。
「無詠唱というのは、呪文を唱えずに魔法を発動させることだよ。お前はそれをやってみせたんだ。お前にはよくわからないかもしれないが、これは本当に凄いことなんだよ」
「と、とにかく、あなたは凄いのよ。うん、リタは凄い!! そういうことなの。ね? あなた」
いまいち事の重大さを認識していないエメもなんとなく話を合わせてくる。
しかし彼女の目は若干泳いでいた。
「そうだな。つまりはそういうことだ。お前は凄いことをしたんだよ」
「う、うむぅ……」
両親の言葉に、リタは思わずバツの悪い顔をする。
無詠唱で魔法を使ってしまったのは明らかにリタのミスだ。これはそう簡単に人に見せるものではないのだ。
それをこんなに凄いと囃し立てられても困ってしまう。
「でもリタ、よく聞いてくれ。お前が魔法を使えることは誰にも言ってはいけないよ。特に無詠唱ができるなんて絶対に知られてはいけない。いいね?」
「そうよ、リタ。とと様の言う通り。あなたが魔法を使えることが知られると、悪い人に連れて行かれてしまうかもしれないの。わかるわね?」
「う、うむぅ、わかった……」
「これでオウルベアを倒した魔法の正体はわかったが、カンデ君が言っていた『悪魔を呼び出した』というのは? いったいどんな魔法なんだい?」
おおぅ…… やはりそこにくるのか……
おのれ、カンデの奴め…… 誰にも言わぬと約束したではないか。
あのお喋りめぇ、今度会ったら目に物見せてくれるわ――
などとリタが心の中で悪態をついていると、突然家の前から誰かの声が聞こえてくる。
よく聞くとそれは小さな子供の声だった。
「リタ―、遊ぼうー!! どこにいるのー!?」
「こんにちはー、リタはいますかー?」
聞き覚えのあるその声は、いままさに悪態をついていたカンデの声だった。
そしてシーロも一緒にいるらしい。
どうやら彼らは遊びの誘いにリタの家まで来たようだ。
これはチャンスだ。
彼らの誘いに乗れば、とりあえずこの場の追及から逃れられる。
最早この流れに乗らぬ手はないだろう。
「かかしゃま、ととしゃま、あしょびにいってもええか? カンデたちがむかえにきちょるでな」
「あぁ……そうね。今日はこのへんにしておきましょうか。続きはまた今度ね」
「そうだな。せっかくお友達が迎えに来てくれたのだから、遊びに行っておいで。でも山の中は駄目だよ、いいね?」
「あい、りょうかいじゃ。ととしゃま、かかしゃま、いってまいる」
偶然友達が遊びに来たおかげで両親の追及を逃れられたリタは、裏庭に両親を残したままカンデたちが待っている表玄関へと回っていったのだった。
今日のところはタイミング良く友達が遊びに来てくれたおかげで両親の追及を逃れることができた。
しかしこの話はこれで終わりではなく、彼らは明日にでもまた「悪魔を呼び出した」話を聞きたがるだろう。
もちろんそれはリタがイフリートを召喚した件なのだが、さすがに両親の目の前で冥界の四天王を呼び出すわけにもいかないのだ。
召喚魔法は呼び出す相手との事前の契約が必要だ。
だから偶然使えたとか何となく呼び出せたなどといった言い訳は通用しないし、そもそも魔法に詳しい父親であれば何かおかしいと思うだろう。
だから遊び終わって家に帰るまでに、なんとか両親を誤魔化す方法を考えなければいけない。
しかし何と言って誤魔化せば――
などと一刻は真剣に考えていたリタだったが、所詮は三歳児と言うべきかその集中力は長続きせず、友達と遊んでいるうちにすっかりそのことは記憶の隅に追いやってしまっていたのだった。
――――
家の周りに花が咲き誇り、朝晩の冷え込みもすっかり緩くなった五月上旬。
リタはやっと四歳になった。
結局あれから両親はリタの魔法の件を追及してくることはなかった。
何度かリタがその話をすることに難色を示しているうちに、彼らも何か思うところがあったらしく、それ以上何も言ってこなくなったのだ。
山の中で遭難しかけるという、四歳の娘にとっては思い出したくない記憶を無理に思い起こさせるべきではないと両親は考えたらしく、それからは何も言わなくなった。
そして当のリタも両親が何も言ってこないのを良いことに、敢えてスルーしていた。
リタが魔法を使える事実を両親に告げてから、一つ変わったことがある。
それは両親公認のもとに魔法の練習ができるようになったことだ。
両親は魔法の手ほどきをする師匠がいない彼女が独学で練習をしたところで大したことはできないだろうと思ったらしく、その申し出を快く承諾した。
魔法の練習と言いながら裏庭でゴソゴソと何かをしている幼児の姿は、彼らにしてみればそれは単なる遊びの一種に見えているらしく、ぶつぶつと何かを呟きながら裏庭を走り回る娘の姿を両親は微笑ましい顔で眺めていた。
しかしそんな彼らを尻目に、リタ自身は真剣そのものだった。
両親にはリタが単に遊んでいるようにしか見えなかったが、実は彼女はこの幼い身体で行使できる魔法の限界を探っていたのだ。
両親が畑仕事に出掛けている間、彼女は一心不乱に様々な魔法を試していた。
火、水、風、地、これら基本四元素に由来する初歩魔法は一通り試したし、時には広域魔法や召喚魔法も詠唱してみたのだ。
もちろん両親の目には触れないように気を付けて行った。
その結果わかったことがある。
リタが前世でアニエスだった時に習得した魔法はほぼ全て使えた。
一時に大量の魔力放出が必要なもの――たとえば広域殲滅系魔法など――は無理だったし、威力が小さすぎて役に立たないものも多かったが、四歳児の身体でも耐えられる程度まで規模を小さくするとほぼ全ての魔法が行使できたのだ。
それは今までで一番大きな発見だった。
つまりはこの身体が成長するにしたがって、使える魔法の威力と種類が増えていくということだ。
これは早急に食生活を改善しなければならない。
いまの痩せて小さな身体を早急に肥えさせて、使える魔法を増やすのだ。
四歳になって少しは成長したが、相変わらず食べることしか頭にないリタだった。
そんなある日の昼下がり、リタは自宅の横を流れる小さな川に来ていた。
それはエメが洗濯をしたり家族が水浴びをするのに使っている、幅二メートル深さ三十センチほどの小さな川だ。
いまその水面をリタが真剣な表情で見つめている。
「うむぅ……小さな魚がおるのぉ。あれは食べられるんか?」
ぶつぶつと呟きながら、彼女は浅い川の中を泳ぐ小さな魚を見ている。
どうやらそれを捕まえて食べようとしているらしい。
しかしどう見てもその魚は食べるには小さすぎるようだし、その素早い動きは素手でどうにかできるようなものでもなさそうだった。
「ふむぅ……どうしたものかのぉ……」
顎に手を当てて考えていると、突然彼女は手をポンっと叩いた。
その薄笑いの浮かぶ顔を見ていると、どうやら何か名案が浮かんだように見える。
「よしっ、これじゃな」
そう小さく呟くと、リタは無言で川に向かって雷撃を放つ。
電気を浴びた川の水面はしばらく鈍く光っていたが、次第に多数の小さな魚が水面に浮かび上がってくる。
どうやら彼らは川に放たれた雷撃に感電して一時的に気を失ってしまったらしく、水面にぷかぷかと浮かんだまま川下へと流されていく。
「ぬぉー、まてまて、まつのじゃぁー」
慌てたリタが手元の網ですくうと、十センチほどの大きさの魚を二十匹程度捕まえることができた。
自宅に魚を持って帰ると、フェルもエメもとても喜んでくれた。
彼らも前からそこに小魚がいるのは知っていたが、捕まえるのが難しくて諦めていたらしい。
それを事も無げにリタが持ち帰ったのを見て初めは訝しんでいたが、彼女が雷撃の呪文を憶えたと説明すると、彼らは目を見開いて驚いていた。
その日の夕食には、リタが取って来た小魚の素揚げが食卓にのぼり、彼女は美味しそうに頭からバリバリと魚を食べた。
それは普段堅パンと野菜スープに慣れた舌にはとても美味しく感じた。
そしてその日から、川で魚を捕まえるのはリタの仕事になったのだった。
――――
「ととしゃま、そっちに行ったじょ」
「よしっ、私が逃げ道を塞ぐからリタがとどめを刺してくれっ!!」
自宅の裏山に親子の声が響き渡る。
今の季節は初夏。リタが魔法の練習を始めてから既に一ヵ月が経っていた。
あれからリタは毎日のように魔法の研究に精を出し、今ではこの四歳児の身体で行使できる魔法の種類と限界もかなりわかってきた。
そしてその力を使って、父親と狩りに出ることにしたのだ。
今日はその初日。
初めて目の前に獲物を発見した。
「凄く大きな猪だ!! これは私の弓では倒し切れないな…… リタ、お前の魔法で何とかなりそうか?」
「うぃ!! もんだいないろ。わちにまかせるべし」
「いいか、気を付けろよ!! 危ないと思ったらすぐに逃げるんだぞ」
「りょうかいじゃ、ととしゃま。わちにまかしぇれ――えいっ!!」
ドカンッ!!
父親に追いやられて逃げてきた猪にリタがマジックアローを放つと、猪はまともに正面から食らって凄まじい勢いで吹き飛んでいく。
以前襲われたオウルベアの一件があったので、念のために彼女は強めに魔法を使ったが、やはり普通の野生動物にとってその魔法は強すぎたようだ。
その証拠に十メートル以上吹き飛んだ猪はズタボロになっていて、最早その原型を留めていなかった。
もとは猪だった肉の塊を前にして、親子は苦笑いを浮かべている。
「こ、今度はもう少し手加減してみようか……」
「そ、そうじゃの……」
その日の夕食はとても豪勢だった。
横の川で獲った小魚を焼いたものと狩って来たばかりの猪肉のステーキが食卓に並び、その様子を見ただけでリタは涎を垂らしそうになってしまう。
そしてそんな娘の姿をフェルとエメが楽しそうに眺めていた。
リタの魔法の協力があれば、それほど苦労なく獣を狩ってくることができる。
それを身に染みて理解したフェルは、その日を境にリタを伴って時々裏山に狩りに出るようになった。
相変わらずリタは横の川から魚を獲って来るし、裏山からは二人の協力で獣を仕留めて持ち帰る。
その他にもフェルとエメが育てる季節の野菜も食卓を彩るようになると、あれだけ痩せっぽちだったリタの顔も幾分ふっくらとしてきた。
転生してからずっと我が家の食生活に懸念を抱いていたリタだったが、最近ではかなり満足しているようだ。
そんなわけでリタの家の食生活は徐々に改善しつつあり、それに伴って彼女の体重、使える魔法の種類、威力ともに順調に増えてきているのだった。








