第157話 踏み抜いた栗のイガ
前回までのあらすじ
224歳の色気にやられる18歳童貞
「せっかくですが、お断りいたします。あなたのような方は式典にいらっしゃらなくて結構です。どうぞ心置きなく遠征にお出かけ下さいませ」
まるで叩きつけるようなリタの言葉。
言い方も語気も、そしてその愛らしい顔も全てが刺々しい。既にそこには直前までの天使か妖精かと見紛うような姿は見当たらなかった。
そんな婚約者の姿に固まったフレデリクは、瞬時にこの状況を理解する。
どうやら自分は栗のイガを踏んでしまったらしい。
いや、踏んだなんて生易しいものではない。これは踏み抜いたと言うべきだろう。
恐らく直前の会話の中で、リタの機嫌を損ねる部分があったに違いなかった。
しかし幾ら思い返してみても、それが何なのかがわからない。
突如様子が変わった婚約者。
その姿にフレデリクが困惑していると、変わらずトーンを落としたままリタが話を続けた。
「フレデリク様。誤解なきよう申しあげておきますが、決して私は怒っているわけではありません」
「しかし……君のその話しぶりは――」
「ですから、怒ってなどおりませんと申しております。――本当にわかりませんか? 私は呆れているのです」
「呆れて……?」
まるでわけがわからないといった顔でフレデリクが見つめると、今やトレードマークにもなっている細い眉を跳ね上げてリタも視線を向ける。
互いの息がかかるほどの距離で見つめ合う二人。
その間には直前までの甘い雰囲気などまるでなくなっていた。
「まだわかりませんか? 私が何を言いたいのか、何を望んでいるのかを」
「いや、だから僕は君のために遠征を断ると――」
「そこです!! 私はそれが気に入らないのです!!」
「え……?」
その言葉とともに、リタの眉の角度がさらに上がる。
感情の昂ぶりを抑えるかのように声のトーンまで抑えていたリタだったが、まるで我慢の限界を超えたと言わんばかりに大きな声を上げてしまう。
何がリタの忌諱に触れたのかわからぬまま、遂にリタは怒り出す。
美しく彩られた透き通るような灰色の瞳を細めると、刺すように婚約者を見つめる。
その姿にフレデリクが何も言えずにいると、かまわずリタは言葉を吐いた。
「伺いますが、フレデリク様。貴方様が今一番しなければいけないことは何ですの?」
「えっ? い、いや、だから、それは君の式典に――」
「……まだおわかりにならないのです? 確かに同伴をお願いしたのは私です。そしてそれを二つ返事でご承諾いただけましたこと、今でも深く感謝しております」
「それなら――」
「しかし!! それは軍の遠征のお話が出る前のこと。 ――お忘れですか? 貴方様は次代のムルシア家当主、延いてはムルシア侯爵軍の将軍になるお方なのですよ? 未だ勉強中の身とは言え、一度そのようなお話になったのであれば、粛々とそれに従うべきなのではありませんか? 私ごときの同伴など、それこそ二の次でしょう?」
「……」
「正直に申せば、私を大事に思って下さるそのお気持ちはとても嬉しい。出来得ることなら、私とてフレデリク様と一緒に式典に参加したいと思っております。しかし、そのために為すべき義務を放り投げるのは本末転倒。そのようなことをされましても、私はちっとも嬉しくなんてありません。 ――こちらから願い下げですわ」
「……」
「いま貴方様が為さねばならぬこと――それは、成人の儀において私の横にいることではございません。来るべくご自身の未来のために、現将軍であるお父上の姿を目に焼き付け、その采配を理解し、軍の運用方法を学ぶことなのではありませんか? 今それに優先する事柄は何一つございませんでしょう。違いますか?」
まるで親が子を諭すように、滔々と言葉を紡ぐリタ。
その些か上からの口調が気になるが、それでも黙ってフレデリクは聞いていた。
そして最後にゆっくり首肯すると、やっとの面持ちで口を開く。緊張で口の中は乾き、その声は掠れて小さかった。
「――確かに君の言うとおりだ。とても恥ずかしいことだけれど、君に指摘されて初めてそれに気づいたよ。僕は次のムルシア家の当主にして、軍の最高責任者なんだ。そうなるための学びの機会を自ら放り投げるなんて、あり得ないだろう」
「フレデリク様……わかっているのなら――」
「だけど、君を大切に想うこの気持ちもまた本物だ。今回の演習は定期演習。少なくとも年に二回は行われている。だから今回参加しなくても、またすぐに次はある。しかし君の成人の儀は一生に一度きりだ。だから僕は、その機会を大切にしたかったんだ。 ――君ならわかってくれるだろうと思っていたんだけれど……」
至近距離から見つめる生真面目な薄茶色の瞳。
心の底から転び出るフレデリクの言葉に、一瞬リタの表情が変わる。
それまでじっと伺うように見つめていた視線に、瞬間迷うような色が差したが、それも瞬きをする短い時間だけで、再び開かれたその瞳は再び鋭く細められていた。
「それでは再度伺いますが、貴方様は一時の感情のみで動かれるのですか? 思いつきでお仕事をなさるのですか?」
「え……? いや、それは……」
「敢えて言わせていただきますが、理性よりも感情を優先して許されるのは小さな子供のうちだけです。常に理性を持って感情を律する。それこそが大人としての条件だとは思いませぬか? ――それが理解できぬと仰るならば、これ以上私が申し上げることはございません」
「リ、リタ……」
まるで突き放すような言葉に、思わずフレデリクはよろけてしまう。
そして力なく窓枠に背を預けると、その端正な顔を天井に向けた。
「リタ……どうして……どうして……」
「……」
「どうして君はそうなんだ。四角四面に枠を作り、正論を振りかざし、相手をやり込めようとする」
「フレデリク様……」
「そうじゃない……そうじゃないだろう……確かに君の言うことは正しいと思う。いや、いつも君は正しい。決して間違ったことは言わない。これまでだってずっとそうだった。そしてこの先もずっとそうだろう」
「……」
「だけど、それがなんだ!! 僕と君とは婚約者同士じゃないか!! つまり将来の伴侶なんだよ。そんな理屈と理論と理性に凝り固まってばかりで、この先どうするつもりだ!? そこに感情を差し挟んではいけないのか!? 君だって人間だろう!?」
感情をむき出しにして、フレデリクが吠える。
その姿には普段の優しく理知的で紳士的な様子は微塵も見られず、そこにはただただ感情のままに叫ぶ若い男がいた。
リタとフレデリクが婚約してから10年。
リタはこれまでこんな彼の姿を見たことがなかった。
普段のフレデリクは、どんなことがあっても決して声を荒げたりしない。
他家の悪意ある言葉にも、学友の暴言に対しても決して感情的にはならなかった。
だからと言ってリタは、彼が腰抜けだとか弱腰だとは思わない。
一見優男に見えて、その実肝は据わっている。
必要であれば言い返すし、相手をやり込めたりもする。
しかしそれでも彼は声を荒げないし、ましてや感情を剥き出しになどしたりしなかった。
そんな彼なのに、これは一体どうしたことだろうか。
まるで想像だにしない婚約者の姿に驚いていると、尚もフレデリクは感情的に叫んだ。
「この際だからはっきり言わせてもらう。 ――僕は君が好きだ。君のその明るく優しい性格も、理知的で聡明なところも、そしてその輝くような美貌も、愛らしい仕草も、その全てが大好きだ!! 親が決めた相手だとは言え、そんな君と婚約できたことは、この僕の人生の中でも一番の奇跡だと思っている!!」
「!!!!」
「確かに初めは親同士が決めた君との関係だった。そして僕は無感情にそれを受け入れた。だけど気付けば、君に夢中になっている自分がいたんだよ!! 次に君に会えるのはいつだろう、今度は何の話をしようか、いつもいつもそればかり考えていたよ!!」
「フ、フレデリク様……」
「そんな君の、一生に一度の大切な儀式なんだ。なんとか一緒にいてあげたいと思っちゃいけないのか!? この気持ちは君にだってわかるだろう!? それなのに……それなのに……」
最早その勢いは止まらないのだろう。
客間のドアが開け放してあることさえ忘れて、フレデリクは叫ぶのをやめようとはしなかった。
そしてリタは、目を見開いたまま何も言えずにいる。
作ったばかりの美しいドレスを握り締めて、ただただフレデリクを見つめていた。
「どうして君にはそれがわからない!? どうして理性、理屈だけでものを見ようとする!? そこに感情が入り込む余地はないのか!?」
「それは――」
「この際だ、全部言わせてもらおう。 ――どうして君は僕を年下の子供のように扱う? 年齢で言えば僕の方が三つも上だ。確かに君から見れば僕なんて頼りなく見えるかもしれない。でも、こんな僕にだってプライドはある。 ――いつまでも君に小言のようなことばかり言われていたくはないんだよ」
「小言……」
その言葉を聞いた瞬間、先日見た夢の台詞を思い出す。
夢の中でのフレデリクは、美しい女性を小脇に抱えて同じ言葉を吐いていた。
そして実際のフレデリクも自分に対してそう思っていた事実に気付くと、リタはよろよろと力なく後ろに下がってしまう。
「リ、リタ様!!」
フィリーネが咄嗟に支えたので事なきを得たが、もしも間に合わなければリタはその場に倒れてしまっていただろう。
そのくらい今の言葉は彼女にとって衝撃的だったのだ。
力なくメイドに寄りかかる、小さな少女。
その姿は余りに儚く、脆く、そして弱々しく見えた。
それを見たフレデリクは、ハッと正気に戻る。
「リ、リタ!! 大丈夫か!?」
「だ、大丈夫です。少し立ち眩みがしただけですわ――」
「す、すまない……こんなことを言うつもりはなかった……本当に申し訳ない。 ――とんだ醜態を晒してしまいました。申し訳ありません、今日はこれで失礼いたします。それでは……」
フィリーネがしっかりリタを支えているのを確認すると、そのままフレデリクは逃げるように部屋から出て行ってしまう。
そして大声を聞きつけて集まって来たレンテリア家の面々に短い挨拶を済ますと、フレデリクはそのまま屋敷を出て行ってしまったのだった。








