第14話 ほんとの話
前回までのあらすじ
オウルベアの卵は、世界三大珍味にも数えられるグルメ御用達の食材。
売れば大金になるが、残念ながら彼らはそれを知らなかった。
リタが裏山で迷子になった日から三日経ったが、家ではその話は殆どしていなかった。
もちろん山の中での出来事を両親は詳しく聞きたかったが、娘の精神状態を考慮した彼らは敢えてその話題を避けていた。
結果として助かったとは言え、幼児だけで半日以上山の中を彷徨ったのだ。
その時に彼女が味わった恐怖や絶望を想像すると、フェルもエメも娘の前でその話題を口にするのが憚られた。
しかしその後の状況を考えると、そろそろその話をしなければいけないと思っていたのも事実だ。
それは他の幼児三人の家族から決して無視できない話を聞いてしまったからだった。
彼らは揃ってリタが魔法を使ったと言っているのだ。
その話を聞いた両親は何度もリタに説明を求めようと思ったが、前述の理由もあってなかなかその話をする機会を持つことはできなかった。
すっかり夜も更けた頃、リタの寝顔を眺めながらフェルとエメが相談をしていた。
二人は食卓の椅子に腰かけて、湯気の昇る白湯を飲みながら向かい合っていた。
「なぁ、エメ。やっぱりあの事はリタに訊くべきだと思うんだが」
「でも、あんなことがあったばかりだから…… この子の気持ちを考えると、もう少し時間を空けた方がいいのではないかしら」
妻の答えを聞いたフェルは、小さく息を吐いた。
「しかし事が事だからな。もしもこの子が本当に魔法を使ったのなら、それを隠すように言い聞かさなければならないだろう?」
「確かにそうだけど…… でも魔法よ? 魔法なんていきなり使えるものなの? 練習もせずに?」
妻の質問に、ゆっくりとフェルが頭を振る。
彼女の質問に対する正確な答えを彼は持っていなかった。
「それはわからない。しかしうちの家系は代々魔力保有者が多いのは知っているだろう? 父も祖父もそうだ。もっともそれが原因で私はここに逃げて来たんだが――」
フェルの顔には自嘲めいた表情が浮かんでいる。
その顔を見たエメは、その美しい眉を顰めた。
「それはそうだけど。でもあなたがあの家を出たのは私の責任もあるのだから、自分ばかりが悪いような言い方は良くないわ」
「あぁ、すまない。そう約束をしたんだったな。 ――それにしても、リタが魔法をなぁ」
「子供一人だけがそう言うのであれば何かの見間違いで済むのでしょうけれど、三人が三人とも同じことを言っているのよね」
「あぁ。リタの手から光が飛んだとか、それでオウルベアを倒したとか。挙句の果てには悪魔を呼び出したとかな」
「ねぇ、そんな話が信じられる? 私にはちょっと…… もっとも全部が嘘ではないのでしょうけれど……」
大きなため息を吐いたエメが、椅子の背もたれに深く寄り掛かる。
椅子から響いた盛大な軋み音に驚いて、ベッドで眠るリタに慌てて視線を動かした。
しかし大きな物音が響いたのにもかかわらず、リタは身動ぎ一つせずぐっすりと眠っているようだ。
その様子を見たエメは、顔に微笑を浮かべた。
「しかしあの子がオウルベアの巣から卵を持ち帰ったのは事実だし、ピクシーの加護を受けられたのも偶然とは思えない」
「――ピクシーって、あの可愛らしい小さな妖精のこと? 緑色の光を放って飛んでいた……」
「そうだ、あれが森の妖精ピクシーだよ。しかし彼ら――彼女らが普通の人間に寄り付くことは殆どないんだ。しかもあの時のように道案内までしてくれるなんて聞いたことがない。あれはよっぽど彼女らに気に入られたか、興味を持たれたかのどちらかだろう」
「……それじゃあ、あの子が魔法を使ったのと何か関係があるのかしら?」
「恐らくな。ピクシーは強い魔力に惹かれると聞いた事がある。私にはわからないが、もしかするとリタは生まれつき強い魔力を持っているのかも知れない。もっともレンテリア家の血を引いているのだから全く不思議はないけどな」
何を思ったのか、フェルの顔に再び自嘲めいた表情が浮かんだ。
そして眠るリタの顔をそっと眺める。
「いや、それよりも本当にリタが魔法を使ったのかどうかだ。魔力が突然発現したというのなら話もわかるが、訓練もせずにいきなり魔法を使うなどあり得るのか?」
「私にはわからないわ。私の家は魔法とは縁がないから…… 確かにこの子はあなたの家の血を引いているけれど、さすがに練習もせずに魔法が使えるとは思えない。――やっぱりリタに直接訊いてみるしかないんじゃないかしら」
「……そうだな。ここで議論をしていても答えは出ないだろう。リタには申し訳ないが、明日話を聞いてみよう」
「そうね…… ごめんね、リタ。つらい事を思い出してしまうかも知れないけれど、我慢してね……」
フェルとエメは静かに寝息を立てるリタの顔を見つめながら、ぼんやりと佇んでいた。
――――
「おはよー、ごじゃましゅ……」
翌朝、普段通りの時間に起きたリタが寝ぼけ眼のままベッドから這い出ていくと、食卓には既に朝食が用意されていた。
それは見るまでもなく堅パンと野菜少なめの野菜スープだったが、彼女は顔色一つ変えずにいる。
そのメニューは既に一年近く前から見慣れたもので、毎食のように出てくるものだ。
先日のオウルベアの巨大卵焼きはとても美味しかったが、そんなご馳走を食べられたのは彼女がここに転生してから数えるほどしかなかった。
それでもリタは食事に対して不満を漏らしたことは一度もない。
何故なら彼女は食事の有難みをとても良く知っているからだ。
前世でのリタ――アニエスは幼少時に親に捨てられた孤児だった。
それを師匠である老魔法使いが拾い上げてくれたのだが、それまでの数年間の路上生活は辛く厳しいもので、今でもその記憶を忘れることができないほどだ。
だからリタは温かい食事と寝床があるだけで満足だったし、それ以上の贅沢をしようとは思わなかった。
もっとも国に帰れば王国を代表する宮廷魔術師の地位があるので、みすぼらしい格好や生活は立場上許されないが、彼女自身はそんなものには一切拘りはない。
確かに王国から少なくない報酬を貰ってはいるが、その殆どに手をつけずに孤児院や救護院へ寄付しているのだ。
もとより一度も結婚したこともなければ、家族、親戚縁者もいないアニエスにとって己の財産を肥やすことに興味はなく、最低限の衣食住が整っていればそれでよかった。
彼女曰く、『歳を取ると物欲も食欲も、そして性欲も全て枯れ果てる』と言う。
そんな彼女が最後に情熱を注いだのが、勇者ケビンの教育だったのだ。
などと真剣に自身の過去を思い出してしまうリタだったが、今の三歳女児の自分にできることなど何もないので、とりあえず難しいことを考えるのはやめることにした。
そう、リタは全く集中力の続かない三歳の幼児なので、難しいことを長々と考えるのは苦手だったのだ。
「ねぇ、リタ。あなたに少し訊きたいことがあるのだけれど」
一緒に食事を始めたエメが、大きな口で堅パンを頬張るリタの顔を面白そうに眺めている。
これから娘に難しい話をするが、なるべく重い雰囲気にならないように気を付けるつもりだった。
「なんじゃ、かかしゃま」
まるでリスの頬袋のように両頬を膨らませたリタが首を傾げている。
その姿がとても可笑しくて、正面に座っているフェルが声を立てて笑いそうになった。しかし目を細めたエメに軽く足を蹴られた。
「あのね、あなたが山の中で迷子になった時の話なんだけど――」
「おぉ、オウルベアの卵――ありぇはおいしかったのぉ……」
「そうね、とっても美味しかったわね。――それでその時の話をカンデ君のお母さんに聞いたんだけど」
「ん? なんじゃ?」
「リタ、あなたが魔法を使ったって聞いたのよ。……それは本当なの?」
「……」
実はあの時リタが魔法を使ったことは秘密だった。
だから一緒にいた幼児三人には親に黙っておくようにと念を押して何度も言い聞かせたが、やはり所詮は幼児と言うべきか、その約束を彼らはすっかり忘れて両親にべらべらと喋ったらしい。
「おのれぇ…… あの、うちゅけどもがぁ……」
さすがに目の前の娘の正体が実は別人だとは思わないだろうが、それでも両親に疑問や疑惑を持たれるようなことは避けるべきだと思っていた。
この痩せて小さな三歳児の身体では、とても一人では生きていけない。
どうしても彼らの庇護が必要なのだ。
「なに? どうしたの、リタ」
「な、なんでもない…… 」
そう言ってリタはスッと視線を外した。
その姿に何か思うところがあったのか、さらにエメの追及は続く。
「それで魔法の話なんだけど…… あぁ、べつに怒っているとか、責めているとかじゃないのよ。私もとと様も、本当のことが知りたいだけなの」
確かにエメの言う通り、その顔には特に負の感情が見えてはいなかった。
しかしこの状況で自分が魔法を使えるなどと言って良いものだろうか。
なにか上手く誤魔化す方法はないものか――
リタは幼い三歳児の脳をフル回転させて必死に考える。
しかしどんなに必死に考えても、この場を上手く言い逃れる方法は遂に思い浮かばなかった。
だからリタは、とりあえず笑ってみた。
「わしゅれちゃった。えへへへ♪ きゅるん♡」
「……可愛い顔をしてもだめよ、ご、誤魔化されないんだから」
「お、おぅ……」
口ではそう言っているが、リタのあまりの愛らしさに思わず誤魔化されそうになるエメとフェルだった。
しかしここは何としてでも真実を知っておかなければなるまい。
リタが本当に魔法を使ったのだとすれば、親としてその経緯をしっかり確認しておく必要がある。そうでなければ正しく彼女を導けないからだ。
昨夜夫と話した通り、本当に娘がレンテリア家の血を色濃く受け継いでいるのであれば、ある日突然魔力が発現してもおかしくはない。
そもそもフェルの実家――レンテリア家は代々魔力の強い人間を輩出している名門貴族であり、皆それぞれが魔法に関係する職務に就いている。
事情があって今はこんなところで農夫をしているが、以前はフェルもその道を期待されていたのだ。
だからもしも夫の実家にリタの存在がバレてしまえば、もしかすると彼女は連れて行かれてしまうかもしれない。
「ごめんなさいね、リタ。きっと思い出したくないこともあるでしょうけれど、これはとても大事なことなの。とと様とかか様に教えてくれる?」
その言葉を聞いたリタは考えた。
自分が魔法を使える事実はできれば伏せておきたいところだが、母親の様子を見る限り、彼女は興味本位で訊いているわけでなさそうだ。
三歳児に向かって難しい話はしないだろうが、彼女の言葉の裏には何か事情があるのだろう。
いずれにしても魔法の件をずっと秘密にしているわけにもいかないのだから、むしろこれは良い機会なのかもしれない。
それまで外していた視線を元に戻すと、リタは両親の顔を真っすぐに見て徐に口を開いた。
「……わち、まほう、ちゅかった。オウルベアもやっちゅけた。これは、ほんとのはなしらよ」
予め予想していたとは言え、娘の口から真実を聞いた両親は思わず息を飲んだ。








