第144話 将軍と嫁と魔術師の名声
前回までのあらすじ
オスカル……脳筋すぎる……
「うおおおお!!!! 勝った!! 勝ったぞ!!!!」
「ざまぁ見やがれ!! 侵略者どもめ!!」
「オスカル将軍、バンザーイ!! 最強将軍、バンザーイ!!!!」
戦いの終わった戦場に、歓喜の叫びがこだまする。
戦闘の終わりを告げる号令の後も、暫く戦場から兵士たちの声が消えることはなかった。
戦の終結による気の緩みもあったのだろう。ムルシア侯爵軍の兵士たちは、口々に将軍オスカル・ムルシアの武勇を称えながら戦勝の喜びに浸っていたのだ。
結局ムルシア侯爵軍の兵たちは、誰一人としてリタが召喚した魔獣を見ていなかった。
だから突然カルデイア軍が布陣を乱したのも、大挙して兵が逃げ出したのも全て自軍に恐れをなしたからだと思い込んでいたのだ。
不幸な事件により突然父親の将軍職を継いだオスカルだったが、これまでの実績を見る限り、軍の幹部にも兵たちにもその能力は少々不安視されていた。
もちろんそれはオスカルが所謂「脳筋」と呼ばれる人種であり、代々のムルシア家の特徴を最も色濃く受け継ぐ人物だったからだ。
しかし今回カルデイア軍を僅か一時間で殲滅した手腕はまさに見事としか言いようがなく、その能力は間違いなく本物だと皆が認めるところとなった。
もちろんオスカルの指揮ぶりを間近で見ていた者たちには色々と言いたいこともあるのだろうが、少なくとも現場の兵士たちは、彼の指揮と采配、そして勇気と戦闘能力を本物だと思ったようだ。
そんなわけで、自軍をまさに完璧とも言える完全勝利に導いた将軍オスカル・ムルシアの株は激上がりで、現場の兵士たちは心から彼に忠誠を誓うようになったのだった。
そんな自軍の将軍を誉めそやす兵たちの元に、別の場所から約六十名の兵士たちが合流してくる。
それは西の三番の砦に籠城していた者たちだった。
砦前での戦闘を終え、敵の残党の確認や怪我人の保護を終わらせた彼らがやっと現場に到着した時には、既に戦闘は終了していたのだ。
それでも本心ではその結果にホッとしながら、彼らは仲間たちと肩を叩き合うと指揮所へと入っていく。
「西の三番の砦から戻って参りました。戦に参加できなかったのは心残りですが、ともかく此度の戦勝、喜ばしい限りでございます」
オスカルの前でそう告げるのは、砦救出隊の隊長を務めていたハーマンだった。
彼は砦から仲間を引き連れて戻って来ていたのだが、あまりの戦の展開の早さに、結局本隊への合流が間に合わなかったらしい。
追加の救出隊は送らないと決断されて、一度は見捨てられた彼らだったが、なんら恨み言を言うでもなく、淡々と作戦の顛末を報告し始める。
そしてその内容がリタについて触れた途端、オスカルの眉が跳ね上がったのだった。
「な、なんだと!? リタだと!? それは間違いないのだな!?」
「はい。確認致しましたが、彼女はレンテリア伯爵家御令嬢のリタ様で間違いございません。訊けば閣下の御子息の婚約者だと申されまして。 ――自らも名乗られましたので、人違いなどではないかと」
「な、何故にそのような幼児が……しかも一人で来ただと?」
「はぁ……なんでも今回の砦救出に参加した魔術師の一人が彼女の家庭教師――魔術師の師匠らしいのです。今回その危機を聞きつけたリタ嬢が、一人で家を飛び出したとか」
「はぁ!?」
ハーマンの言葉に、茫然とするオスカル。
その内容を理解するのにたっぷり五秒はかかっただろうか。
やっと頭の中を整理したオスカルは、その原因の一端が自分にあることに気が付いた。
砦救出部隊は、任務を失敗した。
そして彼らを救うための追加の救出部隊を送らずに、見捨てる決定を下したのも事実だ。
しかもその判断をしたのは彼だった。
それが首都にいたリタの耳にも届いたのだろう。
このままでは師匠が見殺しにされると思った彼女は、居ても立ってもいられなくなりたった一人で屋敷を飛び出したのだ。
そして見事にその救出を成し遂げた。
果たして本当に五歳児にそんなことができるのだろうか。
確かにリタは普通の子供とは思えないようなところはあるが、それでもさすがにそのようなことが……
――いや、実際の戦闘は恐らく彼女の師匠が行ったに違いない。
リタはあくまでもその補助として近くにいただけなのだろう。
あまりに非現実的な話に、些か独善的で都合の良すぎる理由で無理やり自分を納得させると、オスカルは再び話を続けた。
「それでリタは何処にいるのだ? もちろんここには連れて来ているのだろうな?」
「はい。そこにいらっしゃいます。 ――リタ嬢、こちらへお越しください」
ハーマンは後ろを振り返ると、テントの外に向かって声を上げる。
するとそれを合図にして、小さな幼女が中に入ってきた。
もちろんそれはリタだった。
顔も髪も、身に纏う水色の幼児用ローブも乾いた返り血と泥と草木の汁で汚れていたが、輝くようなプラチナブロンドの髪も、異様に整った顔も、そして特徴的な灰色の瞳もその全てがオスカルが知るリタ・レンテリアで間違いなかった。
そんな薄汚くも愛らしい五歳の幼女が、まるで親に叱られる直前の子供のような顔で小さくなっている。
そして少々怯えた上目遣いの瞳で真っすぐに見つめていた。
その姿を見たオスカルは、無言のままリタに近寄る。
そして――力一杯抱きしめた。
「おぉ、リタよ。お前はなんと勇気のある女子なのだ!! その勇気、決断力、そして胆力!! それでこそムルシア家の将来の嫁だ!!」
脳筋オスカルは、まるで手加減を知らないかのように、思い切りリタの身体を抱きしめる。
そのあまりの膂力のために、思わずリタは顔を歪めてしまう。
それでも彼女は必死に言葉を口にする。
「オ、オスカル様……お、お咎めは……?」
「なに? ――何故お前を叱らねばならぬのだ? お前は勇気を示し、見事にそれをやり遂げて見せたのだ。それを誇りはすれど、咎めるなど俺には意味がわからんが?」
「そ、そうでしゅか。ありがとうございましゅ……」
その言葉に思わずリタは『なんという脳筋だ。この頭の中には筋肉が詰まっているに違いない』などと思ったが、決して口には出さなかった。
そんな些か呆気にとられたリタの表情に気付くことなく、尚もオスカルは言い募る。
「それはそうと、怪我はないのか? どこかに傷がついたとか……お前は嫁入り前の身体なのだ。もし傷でもついていれば、俺がシャルロッテにヤキを入れられてしまう」
「……だ、大丈夫れす」
「そうか。それは何よりだ。ふはははは!!」
そんなわけで、予想に反してオスカルに叱られずにホッと胸を撫で下ろしたが、義父になる人物の想像以上の脳筋ぶりに、少々自分の将来が不安になってしまうリタだった。
このまま戦場に五歳児を置いておくわけにもいかず、リタはこの後すぐに領都カラモルテに行くことを命じられた。
オスカルは現地での残務処理に数日かかるということだったので、代わりに部下を一人付けられたリタは、ロレンツォ、ブリジットとともに馬車で移動を開始したのだった。
その後戦場では、新将軍オスカルを称える声と同時に、将来のムルシア家の嫁――リタ・レンテリアの名も叫ばれていた。
何故なら一度は軍が見捨てた砦を、彼女が単身救ったからだ。
リタとしては単にロレンツォを救いに行っただけだったのだが、結果として砦に残された兵たちが助かる切っ掛けになっていたし、最大の難敵でもあった敵魔術師を師弟協力の元に屠ってもいた。
そして砦から逃げて来た者の中には、リタに助けられたと公言する者まで出る始末だったのだ。
しかし常識的に言って、普通の五歳児がそのようなことを一人でできるわけもなかったので、師匠であるロレンツォが中心となってそれらを成し遂げたことにいつの間にかすり替わっていた。
もちろん自身の正体を知られたくないリタとしては、敢えてその話を訂正しようとも思わなかったし、今回のことは全て弟子に押し付けてやろうと企んでもいた。
それでもリタの勇気と実行力は大いに称えられていたし、その師匠であるロレンツォの名も、この戦を切っ掛けにして知られるようになっていたのだ。
そしてこの一件での活躍が、彼の将来に大きな影響を及ぼしていくのだった。
――――
ムルシア侯爵領の領都カラモルテには、領主オスカル・ムルシアの屋敷がある。
その大きさは王国内の領主の中でも随一で、細かくあしらわれた建物の意匠や、庭園の造りや広さ、そのどれをとってもレンテリア家の数倍の規模だった。
また、領主の屋敷のみならず、領都に建つ他の屋敷や建物など、その全てが豪奢で洗練されていた。
整然と区画された都は隅々まで整備が行き届き、その姿はまさに「ハサール王国の西の都」と呼ばれるに相応しいものだった。
そんな都の様子は、まさにムルシア侯爵領の富を象徴しており、事実この領地は王国内でも有数の経済力を誇っている。
そんな領都カラモルテの中心に立つムルシア侯爵の屋敷から、大きな声が響いていた。
「リタ!! あ、あなたはいったい、なんということを……!!」
「あぁ、リタ!! 無事で良かった!! 怪我もなくて、本当に良かった――」
それはリタの両親――フェルディナンドとエメラルダだった。
彼らは屋敷に到着したリタの姿を見るなり駆け寄ってくると、力の限り抱きしめたのだ。
そして大きな声で叫び始めた。
専属メイドのジョゼットから事情を聞かされた両親は、取るものも取り敢えず馬車でムルシア領に向かった。
しかし戦場に近づくことができなかった彼らは、そのままムルシア家の屋敷に逗留しながらリタの帰りを待ち続けたのだ。
もちろんその間も人を使ってリタの消息を探していたが、白い馬に乗った幼女が戦場へ向かって疾走して行ったという情報を最後に、その消息を見失っていた。
人と人とが殺し合う、まさに戦場のど真ん中に消えて行った最愛の娘。
なんら確証も得られないままその生存を信じ続けた彼らの想いは如何ばかりか。
それを慮ったムルシア家の面々は、最早なにも言えなくなっていた。
「きっと大丈夫」などと根拠のない慰めが余計に彼らに絶望を植え付けるのがわかっていた彼らは、気軽に慰めの言葉もかけられなかった。
もちろんそれはムルシア家の者たちにしても同じだった。
彼らにしても夫にして父親にして当主でもあるオスカルが、今まさに戦場で指揮を執っていたからだ。
しかも彼の采配如何によっては、領都カラモルテ、延いては自分たちの運命まで左右するのだ。
片や最愛の娘の無事を祈り、片や夫であり父親の無事を祈る。
この二つの家族は、互いの想いを慮りながら、ひたすらに祈り続けていたのだった。
そんなところへ戦場から早馬が駆け付けて来ると、もたらされたその情報に全員が歓喜した。
最愛の娘と愛する夫と父親、そして自領と領都の未来、その全てが無事だったのだから。
その全てに明るい未来を見出した彼らは、抱き合って喜んだ。
そしてそこへリタを乗せた馬車が到着したのだった。
「ご、ごめんなしゃい……ととしゃま、かかしゃま、反省してましゅ……」
「どれだけ私たちが心配したか…… あなたにはそれがわかっているの!?」
「リタ……どうしてこんなことを……もう二度とこんなことはしてはいけないよ」
今まで見たこともないほどの剣幕で言葉を吐く父と母。
それはまるで容赦がなく、時にはリタを責め立てる言葉まで混じっていた。
しかし口調そのものは厳しかったが、顔には娘の身を案じる間違いない愛と熱い涙が溢れていたのだ。
そして反省の弁を述べながらも、遂に泣き始めた娘を二人はしっかりと抱きしめる。
「も、もうしましぇん……うえっ……ぐしゅっ……うえぇぇぇ……ごめんなしゃーい!!」
両親のあまりに強い抱擁にリタが身動ぎをしようとしても、全くビクともしなかった。
そこには愛する娘をもう何処にもやらないという、両親の強い意志が滲んでいたのだった。








