第139話 三人の無詠唱魔術師
前回までのあらすじ
おこなの? ねぇ、おこなの?
「おまぁだけは、絶対に許せぬ!! わちがこの手で成敗しちゃるわ!! 覚悟せぇよ!!」
カルデイア大公国軍特任従軍魔術師、ステファン・ローランを指差しながら、リタが啖呵を切る。
まるで親の仇を見つけたかのような激しさは、彼女の凄まじい怒りを表していた。
そのあまりの迫力に周りの者たちが気圧されていると、突然リタは予備動作もなく掌から炎の塊を放つ。
するとそれは疾風の如き勢いでステファンに激突したのだった。
ドゴーンッ!!
物凄い爆音とともに、中年魔術師の姿が炎と煙に飲み込まれる。
同時に近くにいた二人の兵士もそれに巻き込まれた。
炎に包まれた兵士が悲鳴とともに地面をのたうち回っていたが、それには一切構わずに矢継ぎ早にリタは炎の球を連発する。
それは攻撃魔法の基本中の基本、火球だった。
単発で放った一発目は少し大きめだったが、連射を始めた二発目からは少々小さめのものになっていた。
小さめとは言え、もしも身体に直撃すれば、爆発で肉は裂け、熱で火傷を負い、着衣には炎が燃え移る。
そんな危険な火の球を、リタは左右の掌から連発していたのだ。
リタ――アニエスは火球を昔から好んで使っていた。
それはたとえ直撃しなくとも、爆発と煙によって相手の視界を奪い去り、一千度を超える熱によって火傷を負わせることができるからだ。
また使用魔力量が少ないうえに、無詠唱により連射がきくので、相手の魔法防壁ごと真正面から焼き尽くすこともできた。
そんな攻撃を容赦なく浴びせながら、しかし次第にリタの顔が曇っていく。
何故なら、その全ての火球が相手の防壁に防がれていたからだ。
リタの位置からはわかり辛かったが、立ち昇る爆炎の向こう側には間違いなく敵魔術師の魔法防壁が存在していた。
しかし普通であればリタの攻撃に防壁の展開が間に合う訳もないのだが、それが間に合ったということは――
「おのれぇ……無詠唱かっ!!」
そう、リタの無詠唱火球に対し、ステファンも無詠唱で魔法防壁を展開していたのだ。
しかしそれは本当に間一髪だった。
もしも一瞬でも遅れていれば、彼はただの焼け焦げた肉塊になっていただろう。
そのくらいギリギリのタイミングだったのだ。
その事実に、当のステファンも冷や汗を禁じ得なかった。
まさか突然出てきた謎の幼女が、警告も無しにいきなり攻撃魔法を放ってくるとは思わなかったのだ。
しかも無詠唱で。
「ぐあっ!! な、なんだ、こいつは……!?」
己が張り巡らした魔法防壁に、容赦なく火球が打ち込まれていく。
それも見たことがないほどの乱れ撃ちで。
これだけの速度で炎の塊をぶつけられれば、たとえ直撃しなくとも熱で火傷を負ってしまう。
それに咄嗟に展開した防壁では、厚さも大きさも不十分だった。
ガリガリと目の前で削られていく魔法防壁。
壁が薄くなる度に慌てて同じものを重ね掛けしているが、まるできりがなく、しかも凄まじいまでの連射速度についていくことができない。
最早このままでは、壁を破られるのも時間の問題だろう。
く、くそぉ!!
このままではっ――し、死ぬ!!
その様子に、図らずもステファンは死を覚悟した。
ステファンが防戦一方になっているのを尻目に、その反対側ではリタに向かって兵士たちが走り始めていた。
彼らとて訓練を受けたカルデイア大公国軍兵なのだ。
突然の魔法攻撃に初めこそ驚いていたが、その直後には無防備なリタの側面に大挙して押し寄せていた。
このままでは、瞬く間に50名からなる兵士たちに取り囲まれてしまう。
まるで獲物に襲い掛かるアリの群れにも似たその様は、傍から見ても絶望的だった。
その様子を砦の中から見ている者たちがいた。
それは砦に籠城しているムルシア侯爵軍兵たちだ。
彼らは突然出てきた幼女に初めこそ呆気に取られていたが、彼女が敵の魔術師を釘付けにしているのを見て突然声を上げ始めたのだった。
「た、大変だ!! 女の子が敵に囲まれるぞ!! 皆助けろ!!」
「当たり前だ!! あんな小さな子供が戦っているというのに、こんなところに閉じ籠ってなどいられるか!!」
「全員外に出るぞ!! なんとしてでもあの子を助けろ!! そして奴らを皆殺しにしろ!!」
「行くぞ!!」
「おー!!」
ステファンの魔法防壁が限界を迎える寸前、突然リタの攻撃が止んだ。
直前まで炸裂していた火の玉が、不意に来なくなったのだ。
不審に思ったステファンが煙の隙間から前方を覗き見ると、走り寄る兵士たちに囲まれるリタがいた。
側面から突っ込んでくる兵士たちに、彼女は必死に反撃していたのだ。
リタは左右の掌から氷弾を連発しながら、少しずつ後退していく。
如何に無詠唱で攻撃魔法を放てる彼女でも、三方向から同時に敵に襲いかかられては退がるしかなかったのだ。
そこにステファンの水槍が襲いかかる。
それを防ぐために足を止めると、咄嗟にリタは魔法防壁を展開する。
しかしその横からは再び複数の兵士たちが襲いかかってきた。
手の届くような至近距離から、風刃で敵の手足を斬り飛ばすリタ。
初めは幼児だと思って手加減していた兵士たちも、次々に仲間の身体が血飛沫をあげるのを見た途端、目が座り始める。
ここに来て彼らの攻撃は、すでに子供に向けられるものではなくなっていた。
カルデイア兵たちは、確実にリタの命を奪いに来るようになっていたのだ。
「な、なんだ……!? なんだあの戦い方は!! 魔術師として、あ、あんな戦い方があり得るのか!?」
襲い掛かる兵士たちを相手に、大立ち回りを演じるリタ。
まさに剣の届く間合いで様々な無詠唱魔法を駆使し、時に相手の剣を受け止め、時に相手の手足を斬り飛ばす。
遠距離での後方支援専門の魔術師が、まさに近接戦闘の真似事をやってのけていた。
その戦いぶりを見たステファンは、攻撃魔法を放つのも忘れて見惚れてしまう。
リタの戦い方は、魔術師の戦い方の常識を完全に覆していたのだ。
確かに接近戦では剣士の方が有利だろうが、剣がぎりぎり届かない距離では、まさにリタの戦い方が理想だった。
攻撃範囲外から無詠唱で魔法を放たれれば、誰もそれを避けることができないからだ。
見た目は確かに幼女だが、恐らくその正体はベテランの魔術師に違いない。
彼らの中には魔法で延命している者もいるらしいので、必ずしも見た目通りの年齢とは限らないからだ。
そんなことができる力のある魔術師は、世界広しと言えど数人しかいないはずだ。
一体あの幼女の正体は誰なのだろうか。
砦の中の若い魔術師を、あの時彼女は「我が弟子」と言っていた。
その言葉に嘘がなければ、恐らくあの幼女は相当名のある魔術師なのだろう。
何故なら、本人のみならず弟子までもが無詠唱魔法を使えるからだ。
もっともあの弟子はまだまだ未熟だったが。
少なくとも、この俺に簡単に腕を切り落とされてしまうくらいには。
流れるような動きで華麗に敵を屠り続けるリタではあったが、その幼い肉体には次第に限界が近づきつつあった。
息は上がり、肩は激しく上下し、汗が目に入る。
酸欠のために目はかすみ、足はもつれて倒れそうになった。
それでもそのたれ目がちなレンテリアの瞳からは、光が消えることはなかった。
前後左右の兵士の身体を風の刃で斬り飛ばしながら、突然飛んでくる弓矢を土の壁で咄嗟に防ぐ。
そんなことを続けているうちに、不思議なことに周りの兵士たちが遠ざかっていったのだった。
その様子が自分に恐れをなしたためだと思ったリタは、「どうじゃ!!」と言わんばかりにドヤ顔で胸を張る。
しかし直後に、それが自分の勘違いであることに気付かされた。
何故なら、リタの右手側から大勢のムルシア侯爵軍兵が押し寄せて来たからだ。
それは砦に立て籠もっていた者たちだった。
彼らは思い思いに鬨の声をあげながら、後退したカルデイア兵に襲いかかっていく。
そしてリタに向かって口々に声をかけてきた。
「もう大丈夫だ!!」
「あとは俺たちに任せろ!! 嬢ちゃん一人に戦わせて、すまなかったな!!」
「歩兵は俺たちが相手する!! お前は魔術師を頼む!!」
「お前さん、凄いな!! あんな戦い方、初めて見たよ!!」
突然降って湧いたような援軍に、思わず茫然としてしまうリタ。
しかしそれも一瞬で、直後に彼女はステファンに向かって走り出していたのだった。
短い足を懸命に動かして、リタは戦場を一直線に走り抜ける。
するとその横に並ぶ者がいた。
「リタ様!! 僕も加勢します!! もうあなた一人に戦わせませんよ!!」
緊迫した状況にもかかわらず、何処かのんびりとした口調の若い男。
それはリタの愛弟子にして、今回の救出作戦の目的でもあったロレンツォ・フィオレッティその人だった。
怪我の後遺症だろうか、少々青い顔をしているが、それでも五歳児のリタより速く走れる程度には身体が動くらしい。
そんな彼が嬉しさ半分、緊張半分の顔で話しかけてくる。
「本当にありがとうございます!! こんな不肖の弟子を助けに来てくれるなんて……ぼ、僕は、僕は……」
「泣くな、バカちんが!! 今が戦闘中であることを忘れるでない!! おまぁ、もっと集中せんならんぞ!! ほれっ、あそこに悪い魔術師が見えてきたぞ!!」
走りながら目に涙を浮かべた弟子に、リタが一喝する。
その剣幕に、ロレンツォはローブの袖で涙を拭った。
「は、はいっ!! 僕が防壁を展開しますので、リタ様は攻撃をお願いします!!」
「了解じゃ!! ――あのクソ魔術師めがぁ!! 目にもの見せてくれるわ!!」
これまで二人は、レンテリア家の魔法練習場で訓練を繰り返してきた。
それは普通の魔法ではなく、二人でペアを組んでの魔法戦の演習だった。
真面目なロレンツォは、リタの言いつけ通りにその訓練を繰り返していたが、正直に言うと些かその内容に疑問を持っていた。
この訓練が、いったいいつ、どんな時に役に立つのだろう……?
それがここに来て、その訓練の成果が表れていた。
体格も、背の高さも、魔法の発動時間も全く違う二人だったが、まるで申し合わせたかのようにその息はピッタリだったのだ。
片や重厚な魔法防壁を張り巡らし、片や攻撃魔法を撃ちまくる。
まるで計ったかのように正確なタイミングでそれを繰り返しながら、二人はステファンに肉薄していったのだった。
「く、くそっ!! 来るな、来るな、来るなぁー!!」
幾ら攻撃魔法を放っても全てを防がれてしまう。
そして直後にその何倍もの攻撃を返される。
慌てて防壁を張っていると、その隙にどんどん相手が近づいてくる。
そんなことを繰り返しているうちに、気づけばステファンの目の前にリタとロレンツォが立っていた。
その距離、約二メートル。
三人が三人とも無詠唱攻撃魔法を使えるこの状況で、その距離はないに等しい。
そんな状態で、二人と一人が互いに様子を伺いながらじりじりと動いていく。
両軍の兵士たちが戦い続けている中で、彼らの周りだけが静まり返っていた。
そんな中、鋭い目つきで睨みつけながらリタが口を開いた。
「この、アホたれが!! もう逃げられんぞ。おとなしく死にさらせ!!」
「く、くそっ……!! お、俺はただ、その男と話がしたかっただけだ!! 他意はない!!」
「なんぞ言いながら、簡単に相手の腕を捥ぐんか、おまぁは!! ああ゛っ!?」
「い、いや、あれは事故だ!! 不幸な事故だったんだ!!」
「じゃかましいわっ!! 今度はわちがおまぁの腕を捥いじゃるわ!! 覚悟せぇよ!!」
リタに距離を詰められたステファンは、この時初めて彼女の只ならぬ能力に気が付いた。
仁王立ちになっている女児の身体から、膨大な魔力を保持する者だけに見える、陽炎が立ち昇っていたのだ。
彼はその現象を知ってはいたが、実際にその目で見るのは始めてだった。
それは、それだけその現象が起こるのが稀だったからだ。
自分の腕を捥ぐと幼女は言っているが、最早それだけでは済まないだろう。
事実、まるで射貫くかのような凄まじいまでの眼光が、それを物語っていた。
身体の奥底から湧き上がってくる恐れに耐えきれずにステファンが後退っていると、それまで無言を貫いていたロレンツォが口を開いた。
「あんた、僕の師匠が誰なのか知りたがっていましたよね?」
「あ? あ、あぁ……た、確かにさっきはそう言ったが……」
「それじゃあ、冥途の土産に教えてあげますよ、僕の師匠の名前をね」
「師匠って……そ、そいつか? そいつなんだろ? ――魔術師によっては自分の寿命まで操る者がいると聞くが……どうせそいつも見た目通りの年齢じゃないんだろ? だ、誰だ? オクサーナか? まさかクロティルドではあるまいな?」
目の前で睨みつけてくるリタを指差すと、興味津々の眼差しでステファンは答える。
今や己の命が奪われようとしているのにもかかわらず、最後まで自分の知的好奇心に正直な男だった。
そんな彼に向かって、尚もロレンツォが語り続ける。
「そのどちらも違いますが、あなたの言う通り、彼女が僕の師匠です。 ――アニエス・シュタウヘンベルク。あなたならその名を聞いたことはあるでしょう?」
「ア、アニエス!! アニエスだとっ!? そ、そんな馬鹿な…… 奴はもう何年も行方不明になっていたはずでは……」
驚きのあまり、ステファンはその馬面の瞳を見開いて、文字通り絶句した。
そして全てを諦めたような顔をすると、ぽつりと呟く。
その顔を見る限り、彼は己の運命を受け入れたように見えた。
「そうか……あんたがあの無詠唱魔法を極めし者――アニエス・シュタウヘンベルクか。 ……どおりで敵わないはずだ。さすがはブルゴーの……」
「……」
「老害――」
ドガンッ!!!!
「このっ、バカちんがぁーっ!!!!」
リタの叫びと同時に、ステファンの首から上が吹き飛んだ。
彼が最後の言葉を吐いた時、彼女は分厚い魔法防壁の隙間からピンクの魔女っ娘ステッキをねじ込んだのだ。
そしてその先端から、轟炎槍を思い切り放った。
首から上を失ったステファンの身体が、音を立てて崩れ落ちる。
その様子を見ることもなく、リタは顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「誰が老害じゃ!! 違うじゃろっ!! そこは英知じゃろがぁー!!!! このハゲがぁ!!!!」
「リ、リタ様……」
まるで大輪の花のような真っ赤な血しぶきを尻目に、いつまでもリタは地団駄を踏み続けたのだった。








