第129話 真夜中の雑談
前回までのあらすじ
やっぱりフラグじゃん。
もげろって言って、正直すまんかった。
「ロレンツォさん、大丈夫ですか?」
「うぅぅぅ……うぷっ!! おええぇぇぇぇ!!」
「汚ねぇな!! もっと離れろよ、お前!!」
通常五日はかかる道程をたったの三日で駆け抜けて、首都からの応援魔術師たちはムルシア領都カラモルテに到着した。
草木や建物、そして住民の服装など、明らかに首都とは違う景色に思わず観光気分に浸りそうになる彼らだったが、ふと自分たちの置かれた状況を思い出すと再び顔が強張ってくる。
それでもやっと一息つけるのかと一抹の安堵感に身を委ねていると、他の宿場と同じように馬と御者を交換しただけで、馬車はさらに西に向かって進み始めたのだった。
もともと馬車酔いが酷く、普段から徒歩での移動の多かったロレンツォは、もう丸三日も吐き気と眩暈に悩まされていた。
全速力で走り続ける馬車の乗り心地はまさに最低と言ってもよく、そこに乗客の快適性など微塵も考慮されていなかったからだ。
今回召集された魔術師は三名だった。
もちろん一人はロレンツォで、残りは若い男と女が一人ずつだ。
男の名はハンネス・サルミネン。
ひょろりと背が高く、しっかりと撫でつけた銀髪が特徴的な26歳の若き二級魔術師で、王国魔術師協会所属の広域攻撃魔法のスペシャリストだ。
普段は王立大学で教鞭を執る魔術学の講師だが、その高い戦闘能力を買われて野盗や盗賊、魔獣の討伐に同行することもある実戦経験者でもある。
女の名はブリジット・フレモン。
平均的な身長とくすんだ色の金髪、そして特徴のない顔は、何処にでもいる普通の22歳の女性そのものだ。
どうやら視力が悪いらしく、些か童顔の顔に大きな黒縁の眼鏡をかけている所謂「眼鏡っ娘」で、纏っているローブの上からでもわかるほどの大きな胸は、意図せず男性の視線を集めてしまうものだった。
彼女の本職は王立魔術研究所の研究員で、攻撃、補助、治癒魔法など全ての分野にバランス良く優れた才能を発揮する。
現在も若手のホープとして活躍しているが、如何せん実戦の経験はなかった。
そして最後は、ご存じのロレンツォ・フィオレッティだ。
彼も王国魔術師協会所属の二級魔術師だが、今は貴族家――レンテリア家の家庭教師と協会研究員の二足の草鞋を履いている。
彼の場合は少々特殊な立ち位置で、外部からの依頼で派遣される「派遣魔術師」としての肩書も持っている。
最近ではリタ一家の捕縛のためにオットー子爵領に派遣されたのが記憶に新しいが、リタの家庭教師に就いてからは派遣の仕事は全て断っており、それ以来実戦を離れて久しかった。
このように今回の選抜メンバーは全員二十代の若手ばかりだったが、そこには魔術師協会の思惑が透けて見えた。
経験や実力だけで言えば彼らよりももっと優れたベテランもいるのだが、全員今回の派遣を断ったのだ。
そもそも国王命による強制召集を断るというのがあり得ないし、意味がわからないのだが、実際にそのような事態になっているのだからしょうがない。
所詮は魔術師協会も利権と権力と既得権に塗れた旧態依然の組織であるということなのだろう。
そして結局は力も後ろ盾も何も持たない若い彼らに、危険な任務が押し付けられたのだ。
それを簡単に言うと、彼ら全員が「捨て駒」だということだ。
権力者に何らパイプを持たない平民出身の若い彼らは、組織として動かしやすかった。
若くても貴族出身者などはその後ろ盾や外野が煩いために、今回のような危険な任務に派遣しづらかったし、毎年多額の寄付金を送ってくる彼らの実家にも配慮する必要があるからだ。
さらに彼らは、全員独身だった。
だからもし死んだとしても、騒ぐ家族がいなければ遺族に見舞金や年金を支払う必要もないので、その意味でも後腐れがなかったのだろう。
協会がそう考える理由には、今回の派遣任務が危険すぎるということがある。
そして今回の人選を見る限り、恐らく彼らが生還できないとまで思っているに違いなかった。
そんな事情を知ってか知らずか、文句ひとつ言わずにその依頼を受託した彼らは、丸四日にも及ぶつらい馬車旅にも耐えてやっと現地に到着した。
そしていまは馬車から降りて、久しぶりに身体を伸ばしているところだった。
ハンネスとブリジットはすぐに慣れたのだが、ロレンツォは最後まで馬車酔いに悩まされた。
そして道程の四日間は殆ど食事を摂ることができずに、現地に到着した時には既にふらふらになっていたのだ。
そして今もロレンツォは、日の光を浴びて気持ちよさそうに身体を伸ばす二人の横で、地面に向かって吐いていた。
しかし胃の中には何もないために、少量の胃液を吐き出しただけでそのまま地面に蹲ってしまう。
そんな彼の背中を、ブリジットが優しく摩ってくれる。
「だ、大丈夫ですか? 立てそうですか?」
「す、すいません、ブリジットさん…… 情けない姿をお見せして……うぷっ!!」
「ロ、ロレンツォさん、しっかり」
「お前よぉ、そんなんで、本当に大丈夫かよ? この四日間殆ど何も食べていないし、足だってふらふらじゃないか。……まさかこの状態ですぐに戦場に行けって言うんじゃないだろうな」
彼らは互いに初対面だったが、いきなり狭い馬車に四日間も缶詰にされたおかげで、今ではすっかり打ち解けていた。
その証拠に、彼らは互いにファーストネームで呼び合う仲になっていたのだ。
そんな彼らが相変わらず地面に蹲るロレンツォを心配していると、一人の軍人が近づいて来る。
彼らの様子を見に来たロブレスの配慮によって――特にふらふらで既に足元も覚束ないロレンツォのために、作戦の打ち合わせをする夕方までゆっくりテントで休むよう指示が出た。
魔術師たちに用意されたテントは、一つだけだった。
一応ブリジットは女性なのだからとロレンツォが配慮を申し出たが、テントの数に余裕がないためにその意見は却下されてしまう。
もっともこれまで狭い馬車の中で寝食を共にした仲であることを考えると、彼の申し出は今さらな感も拭えなかったのだが。
その後夕方の作戦会議を終えた彼らは、三人揃ってテントの中に戻っていく。
すっかり夜も更けていたが、蝋燭を灯すのを禁じられていた彼らは特にすることもなくそのまま仮眠をとろうと試みる。
しかしこの四日間ずっと寝る以外にすることのなかった彼らは、今さら睡魔に襲われることはなかった。
そんな中、作戦会議の後からずっと渋い顔を続けていたハンネスが徐に口を開いた。
「今回の作戦……どう思う?」
「そうですね……砦の周りの兵を、主力部隊がどれだけ引き付けられるか、そこが肝でしょう」
「わ、私もそう思います。私達の他には歩兵が十名、スカウトが二名しかいないことを考えると、同時に相手できるのは精々三十名程度だろうと思いますので……」
魔術師のローブを脱いでシャツだけになったブリジットが、マットの上に寝転がったままそう答える。
真っ暗なテントの中で彼女は気を遣わずにそんな恰好をしていたが、入り口の隙間から漏れてくる月明かりのせいで、その豊満な胸の膨らみがうっすらと見えていた。
ハンネスはその光景に興味無さそうだったが、女性経験のないロレンツォには些か目の毒だったようだ。
その膨らみが視界に入らないように気を付けながら、俯いたまま彼は話を続けた。
「弓兵を与えられなかったのをどう思います? 当初と話が違いますが」
「俺たちがいれば、弓なんて必要ないからだろう。お前たちだって魔法矢は使えるだろ?」
「まぁ……しかし、そうなると我々が殿を務めることになるのでは――」
「そ、そうですよ!! わ、私は嫌ですよ!! 味方が全員逃げるまで残るだなんて。 ――そ、そんなの怖すぎますよ……そもそも殿なんて、歩兵が務めるものでしょう? 魔術師が壁になるだなんて、聞いたことありません!!」
周りが寝静まった真っ暗なテントの中に、突然甲高い女性の声が響く。
自分の声に慌てたブリジットが手を口に当てていると、ぼそぼそと小さな声でハンネスが答えた。
その張りのない声は、彼が顔を顰めているのがわかるものだった。
「仕方ないだろう。俺たちはその歩兵を救出しに行くんだぞ。それなのに奴らを殿になんてさせられるわけがないだろう。 ――俺たちの仕事は、最初の撹乱と最後の時間稼ぎ、その二点なんだからな」
「わかってますよ。大丈夫、絶対に生きて帰りますから。僕は絶対に死ねないんです、待っている人がいるんですから」
ロレンツォのその言葉に、暗闇の中でブリジットの表情が動いた。
そして慌てたように言い募る。
「ロ、ロレンツォさん……そ、その、待っている人というのは……?」
「え? あ、あぁ……えぇと、そ、祖母……みたいな人ですよ。その人に言われたんです、どんな形でもいいから必ず生きて帰って来いと。死んだら負けだとも。それともう一人――」
「縁起でもないこと言うなよ。俺だって待ってる人くらいいるんだよ。 ――この作戦が終わったら、俺、結婚するんだ。だから俺も絶対に死ねないんだ」
話半ばに、まるで遮るようにハンネスが言葉を重ねる。
その強い口調は、生き残りへかける彼の並々ならぬ意気込みが感じられるもので、その言葉には彼の執念のようなものが透けて見えた。
そんな決意を口にする二人にブリジットが口を開くと、薄っすらと月明かりを受けたその顔にどこか寂しそうな表情が見えた。
「いいですね、二人とも。待っていてくれる人がいるなんて。それに比べて私には……」
「そう言うな、ブリジット。待っている人がいようといまいと、俺たちは生きて帰る。ただそれだけだ」
「そ、そうですよ。『生きてるだけで丸儲け』なんて、誰かもそんなことを言っていましたよ」
「そうですね……では無事に生きて帰れたら、ロレンツォさん、私とお友達になってくれますか?」
「へ? 僕らはもう友達――仲間だろう? なにをいまさら――」
「おい、ロレンツォ。お前、それ本気で言ってんのか? どんだけだよ――だからその歳でお前を待っているのが婆一人しかいないんだよ。ったくよぉ……」
「いえ、そんなことは――」
暗くて見えなかったが、ロレンツォはポカンとした顔のまま何かを言おうとする。
しかし慌てたブリジットがその言葉を遮った。
髪を下ろし、眼鏡を外した些か童顔なその顔は、月明かりの下でもわかるくらいに赤くなっていた。
「ひ、日を跨ぐと同時に出発ですから、今のうちに少しでも寝ておかないと!! さぁ、寝ましょ寝ましょ!!」
こうして若き魔術師三名は、狭いテントの中で数時間の仮眠を取り始めたのだった。








