第126話 遅れた会議
前回までのあらすじ
ぬおー!! 隊長ー!!
「勇者ケビン。最後にお前と剣を交えられるのを名誉に思う。魔王殺しと正々堂々闘ったと、あの世への土産話にさせてもらおう。――いざ!!」
己の覚悟に表情を変えると、騎士隊長が剣を構え直す。
如何にも騎士らしい隙の無い構えをしているが、その剣先は小刻みに震え、冷や汗だろうか、額からは大粒の汗が流れていた。
剣先の震えは、明らかに恐怖のためだろう。
部下達の前では武者震いのように見せかけているが、落ち着かなく動き続けるその瞳は、紛れもない彼の恐怖を物語っている。
しかしそんな彼を笑う者など一人もいなかった。
それもそうだろう、あれだけの凄まじい光景を見せつけられた後なのだから。
最早あれは戦闘などというものではなく、一方的な虐殺だった。
実力差があり過ぎるがゆえに誰もまともに相手ができない中で、まるで屠殺場の豚のように次々と屠られていく。
それも意図的にそうしているようにしか思えない、派手な殺し方で。
まるで周りに転がる死体のように、次は自分が物言わぬ肉塊に変えられるのは目に見えていた。
190センチを超える大柄な騎士隊長と174センチの勇者ケビン。
その見た目だけなら圧倒的に前者の方が強そうに見えるが、その佇まいは対照的だった。
近衛騎士らしく防御を重視した隙の無い構えの騎士に対し、型がありそうでなさそうな自由奔放な構えの勇者。
太く重量のある剣をしっかりと両手で持つ騎士に対し、些か湾曲した細身の剣を右手で持ち、左手は常に自由にしている勇者。
この二人が正面から対峙する様は、ともすれば子供と大人の闘いにも見えていたが、当の騎士隊長は決してそんな風には思っていなかった。
その証拠に、彼の額の冷や汗は、すでに脂汗へと変わっていたからだ。
これまでの闘いぶりを見る限り、自分が絶対に敵わないことはわかっている。
それでも一撃くらいは与えられるかもしれない。
自分とて精鋭と言われる近衛騎士の隊長なのだから、その腕に多少の自信はあるのだ。
いくら実力差があろうとも、2、3合程度は斬り結べるだろう。
まるで少ない希望をかき集めるように、無理にそう思い込もうとした騎士だったが、ケビンと対峙した瞬間にその思いは脆くも崩れ去ってしまう。
一撃を与えるどころか、動いた瞬間に自分の命はないだろう。
最早彼は自殺をするのと同じ心境になっていたのだ。
それでも彼は、騎士としての己の矜持に殉じようとする。
既に主の命が無法なものであることは明白だったが、己が命を主人に捧げた騎士として、それを遂行するのが務めだからだ。
四肢を斬り落とされた暗殺者が、悲鳴を上げながら地面をのたうち回っている。
次には自分も同じ姿になっているかもしれない。
その考えを振り払うように、騎士は剣を振りかぶる。
そして次の瞬間――彼の右腕は肩口から切り離されていた。
ガシャン!!
「ぐあぁぁ!!」
金属質な響きと、野太い男の悲鳴が同時に聞こえた。
その音の先を見ると斬り落とされた太い腕が地面に落ちており、手には両手持ちの剣が握られたままになっている。
悲鳴の先に目を向けると、血を吹き出す右肩を押さえる騎士隊長の姿があった。
「ぐあぁ――!! く、くそぉ……俺の負けだ!! 殺せ!!」
「隊長!!」
「あぁ!!」
凄まじい痛みに耐えながら、顔を顰めた騎士隊長が床に膝を突いている。
その背後に駆け寄った部下たちが次々に手を貸そうとしていたが、その手を振り払いながら彼はケビンを睨みつけた。
しかし刺すようなその視線にもまるで動じることなく、ケビンは右手を振って剣の血糊を飛ばすとそのまま鞘に納めてしまう。
その顔には相変わらず表情がなく、まるで能面のように見えた。
剣を納めたまま、ケビンは苦痛に顔を歪めながら地面に膝を突く騎士隊長に近寄っていく。
そして怪我の様子を確かめるように目を細めていると、部下の騎士たちがその間に身体を割り込ませてきた。
「な、何をする!! まさか、とどめを刺すつもりなのか!? そ、そうであるなら、その前に俺を斬って捨てろ!!」
「そ、そうだ!! 隊長はもう闘えないんだ。まさか、それを斬るつもりか!? お前は無手の相手を斬るのか!?」
まるで隊長を守るように立ちはだかる騎士達。
直前までの恐れと慄きはその姿から消え失せ、必死の形相で彼らは剣を構えていた。
しかしケビンは無表情のまま口を開く。
「邪魔だ、どけ。早く血を止めなければ死んでしまうぞ。お前たちは隊長を死なせたいのか?」
「なっ……」
その言葉に何を思ったのか、まるで押し退けるように隊長に近づくケビンを誰も止めようとはしなかった。
そしてその身体に触れるのを黙って見守ったのだった。
ケビンの左手がぼんやりとした光を放つ。
その手で肩口の傷を押さえると隊長の顔から苦痛の色が消えていき、そのまま一分ほど経過すると彼はその顔に安堵の表情を浮かべた。
見れば彼の腕の傷が塞がっていた。
もちろん斬り飛ばされた腕がつながってもいなければ、傷が完治したわけでもなかったが、直前まで血を吹き出していた傷は、かろうじて塞がっていたのだ。
傷の状態と同じように、きっと痛みもやわらいだのだろう。
見上げた騎士隊長の顔は、最早苦痛に彩られてはいなかった。
すっかり塞がった傷を確認すると、ケビンは騎士隊長から離れた。
そして背後で絶叫を上げ続ける暗殺者にも同様の処置を施し始めると、ややもすれば無防備にも見えるその背中に、怪訝な隊長の声が響いた。
「何故俺を殺さなかった? 俺はお前を殺すつもりで剣を抜いたのだ。それなのに、何故……?」
「剣を捨てた者は見逃す――そう約束したはずだ。だから剣を持たないお前を斬る理由がなくなった。ただそれだけだ。 ――なにか不満か?」
のたうち回る暗殺者の傷口を治癒魔法で塞ぎながら、ケビンは答える。
その視線を最後まで背後に向けることなく、背中を向けたまま彼はそう言い放った。
そんな彼の背後では、生き残った騎士全員が床に剣を捨てる音が響いたのだった。
――――
その日の午後、ブルゴー王城では本会議が始まっていた。
出席者は午前の打ち合わせに参加していた者たちの他には、第二王子イサンドロを始め国の基幹を担う主だった重鎮たちや上位貴族、そして文官など、総勢五十名以上にも及ぶ。
もちろん今回の争点となる第一王子セブリアンは、自室に監禁してある。
未だ容疑を否認し続ける彼ではあったが、いざとなれば逃亡する恐れもあるので、自室に監禁して騎士に見張らせていた。
そんな中、今回の主役とも言える勇者ケビンの姿がなかった。
午前の会議の後、彼は自邸に証拠の品を取りに戻っていたが、本会議の始まる時間を過ぎても戻ってこなかったのだ。
しかしこの会議は、ハサール王国でのやり取りをケビンに報告させるものであるうえに、事件の容疑者であるセブリアンの訴追の場も兼ねていた。
だから実際にハサール王国へ行き、そして事件の証拠を持つケビンを欠いた状態で始めることができなかったのだ。
とっくに時間は過ぎていたが、主役不在の会議は始められず、かと言ってコンテスティ家へ送った使いも戻ることはなく、そのまま無為な時間だけが過ぎていく。
騒めく会議室で全員が待っている中、宰相カリスト・コンラートは一人ほくそ笑んでいた。
この時間になってもケビンが戻らないということは、暗殺者も騎士達も指示通り動いたのだろう。
そして目的を果たしたのだ。
セブリアン訴追のための証拠品を奪われたケビンは、妻と子と共に今頃は野垂れ死んでいるはずだ。
そう思ったカリストは、溢れ出る笑いを一人堪えることができなかった。
「ケビンはどうしたのだ? 使いはまだ戻らぬのか? 誰か事情のわかる者は?」
予定の時間を十分も過ぎると、会場内が騒めいてくる。
誰もがケビンの動向を好き勝手に憶測混じりに話し、その飛躍した内容は余りにも無責任だった。
「証拠品を持ってくるなどと抜かしておったが、それも怪しいものだ」
「そんなもの、口から出まかせなのではないのか? 第一王子の失脚を狙っているだけなのでは?」
「そもそも、あのような成り上がり者を国の使者に立てるから、このようなことに――」
「おい、それは陛下の采配だぞ。さすがに口を慎め――」
責任のない者たちは、まるでゴシップにたかる市井の噂好きのように浮ついていた。
親国王派の者たちだけだった午前の打ち合わせとは違い、この場にはそれぞれの派閥の者たちも大勢出席している。
もちろんこの席であからさまな発言をすることはないが、それでも自派閥が有利になるように事を運びたがるのだ。
そこには純粋に国の未来を憂う姿はなく、いかに派閥間の力関係を自分達に引き寄せられるかと言った政争の側面も拭えなかった。
国の将来を左右する重要な会議の席にそれを持ち込む時点で、この国の政治はお察しだった。
それこそがまさに前世でのアニエスが悩み、嘆き、煩わしいと思った部分だった。
そしてこの国に戻りたがらない理由でもあったのだ。
予定時間を十五分過ぎたところで、宰相コンラート侯爵が会議の延期を提案しようとした。
騒めく会場に立ち上がり口を開きかけたまさにその時、勢いよく会議室の扉が開かれたのだった。
「遅くなってしまい、大変申し訳ございません。自邸の方で少々立て込んでいたものですから」
感情のこもらない平坦な言葉――それは勇者ケビンだった。
明らかに人を斬って来たと言わんばかりに返り血に全身を塗れさせ、口では遅刻を謝罪しながらも、まるで悪びれた様子も見せない。
そんな彼がノックもせずに会議室に入って来たかと思えば、真っすぐ宰相カリスト・コンラートの前に進み出る。
そして徐に抜刀すると、未だ血の付いたままの剣を彼の鼻先に突き付けた。
「私ケビン・コンテスティは、宰相カリスト・コンラート侯爵の身柄の拘束を要求いたします。――陛下、ご判断を!!」
もとよりケビンの姿を見た時から卒倒しそうになっていたコンラート侯爵だったが、鼻先に突き付けられた血濡れの剣先を見た途端、へなへなと全身から力が抜けていったのだった。








