第11話 美味しい卵
前回までのあらすじ
気絶したビビアナの顔は、リタには相当可笑しかったらしい。
「グルルゥ――」
未だ意識がはっきりしないのか、オウルベアが頭を振りながらゆっくりと立ち上がる。
その姿を見た子供たちは再び顔に恐怖の表情を浮かべると、全員がリタに視線を集めた。
「リ、リタ…… あ、あいつがまた立ち上がって来たよ。さっきみたいに早く魔法でやっつけてよ」
「お願い、リタ。あたしたちを助けて」
「リタ、頑張って」
口々に自分に向かって懇願する友人達を眺めながら、リタはどうしたものかと考えていた。
こんなに威力の弱い魔法でも、さっきは不意打ちだったから効いたのだ。
だからここでさっきと同じことをしても、きっと次は奴の突進を止められないだろう。
他にも使えそうな魔法はあるにはあるが、さて、どれを使うべきか。
炎か、雷か、水か…… そのどれもが一定の威力を期待するのであればそれなりの魔力解放が必要だ。
しかしこの痩せて小さい幼い身体がどこまで耐えられるだろうか。
「ふむぅ――」
顎に指を当てて、さてどうしたものかと考えていると、ある閃きがリタの頭を過る。
リタは攻撃、広域殲滅、召喚を得意とする最高レベルの魔女だ。
その中でも攻撃と広域殲滅は一定以上の魔力放出をしなければその威力は望むべくもないが、残りの一つ「召喚」に関してはまた別だ。
それは攻撃魔法などのように一度に大量の魔力を身体から放出するのではなく、過去に契約を結んだ魔獣などを己の魔力と引き換えにその名の通り「召喚」するものだ。
契約行為自体は前世で既に済ませてあるので、あとは魔力の許す限り呼び出すことが出来るはずだ。
もちろん呼び出す相手によって相当量の魔力が必要になるが、リタほどのレベルの魔法使いがその魔力を駆使すれば、精霊や魔獣のみならずそれこそ天使や悪魔までも召喚できる。
もちろん新たに転生したこの身体では一度も試したことはないが、契約に必要なのは肉体ではなく精神なのだと文献で読んだことがあるので、彼らとの契約も未だ生きているはずだ。
そんなことを考えながら、然も良いことを思いついたような顔でにんまりと微笑んだリタは、早速それを試してみることにしたのだった。
「みんな、あっちの木のかげに、かくれるのじゃ。あぶないじょ。かおをだすなや」
怯えて後退る三人と再び唸り声を上げ始めたオウルベアの間に身を滑り込ませたリタが、背を向けたまま右手を「しっしっ」と動かす。
その仕草に自分たちが邪魔なのだろうと察した三人は、慌てて背後の木の陰にその身を隠した。
満足そうに頷いたリタはその場で両手を高く空に上げると、拙いながらも朗々と召喚呪文を唱え始める。
「――せいれいさぁーん、いらっしゃぁーい!!」
遂にその精神まで三歳児と同等に成り果てたかと思しき言葉の後に、その場でくるくると奇妙な踊りを始めるリタ。
その姿は、誰の目にも魔獣の恐怖のために遂におかしくなったように見えた。
「えいほっ、えいほっ」と奇妙な掛け声とおかしな踊りを見ていると、その動きと掛け声に何の意味があるのかと思わず突っ込みたくなるところだが、当のリタは大真面目だった。
召喚魔法の呪文や方法は数あれど、その方法に正解はない。
呼び出す相手や契約の内容によってその呼び出し方は多種多様であり、魔法使いごとに様々な方法がある。
ようは呼び出す魔獣などとコンタクトがとれればいいのであって、特に決まった作法はないのだ。
それはリタ曰く「つまりは心意気じゃ」ということらしい。
だから今の三歳児のリタにとっては、そのおかしな掛け声と奇妙な踊りは彼女なりの「心意気」なのだった。
リタの踊りを木の陰から胡乱な顔で見てた三人だったが、踊るリタに向かってじりじりと近づいてくるオウルベアの姿に気が付くと、焦ったように声を上げた。
「リ、リタ!! 危ない、もう少しであいつが――」
こちらの場所が見つかるのも恐れずに遂にカンデが大声で声をかけると、踊るリタの頭上に急に煙のようなものが充満し始める。
突然の出来事に幼児三人が目を見開いていると、その煙が次第に何かの形をとり始めた。
「はぁーい、いらっしゃぁーい―― さもん!! いふりーとぉ!!」
ボワン!!
奇妙な踊りの仕上げにリタが大声を張り上げると、辺りを覆っていた雲が一ヵ所に集まって何かの形になり始める。
背後の幼児たちがオウルベアの恐怖も忘れてその様子に目を釘付けにしていると、集まった雲の中から一人の人間のような姿が現れた。
「グモォォォー!!」
それは真っ赤な肌の色をした人間だった。
いや、それは人間ではなく、身の丈4メートルはあるかと思うような大きな魔人だ。
頭から禍々しく捻じれ曲がった一対の角を生やし、まるで炎が噴き出るような鋭い瞳は底が見えないように真っ黒だった。
隆々と逞しく筋肉の発達する身体は全身が真っ赤な炎に覆われて、絶えず陽炎と煙を吐いている。
荒々しい呼吸からは近寄りがたいほどの灼熱が感じられて、その近くにいるだけで全てのものが燃え始めそうだ。
事実、どんな物理武器を使って攻撃しようとも、それが皮膚に届く前に熱のために全て溶けてしまい、彼を傷つけることは不可能だった。
頭に生える一対の禍々しい角。
高熱を纏う真っ赤な全身の皮膚。
下顎から生える大きな牙。
まるで真っ赤な魔人のような容姿。
そう、彼は炎の魔人「イフリート」だった。
リタは「とりあえず試しに」といった軽い気持ちで冥界の四天王の一人とも言われるイフリートを召喚したのだ。
もしも目の前のオウルベアと闘わせるために彼を呼び出したのであれば、それは完全にオーバーキルだろう。
見る者が見れば、それは冗談にしてはやり過ぎだと言われるのは必至だった。
その証拠に、真っ赤に燃え盛る魔人の姿を目にしたオウルベアは、本能的に自身の身の危険を察知して、身体を小さく折りたたんで唸り声も小さくなっていた。
「グモォォォ……?」
暫くは自身が呼び出された世界の様子をゆっくりと見廻していたイフリートだったが、足元に佇む小さな姿に気が付くと胡乱な顔でリタを見つめた。
確かに彼は人間と契約を交わしているが、どんなに記憶を探ってもこんな小さな幼女と交わした記憶はなかったからだ。
もちろんそれは彼の思い違いである可能性もあったが、少なくともこの百年間は新たな人間と契約を交わした記憶はないので、見るからに幼い人間の幼女が自分を呼び出したのは何かの間違いだと思ったようだ。
そしてその不満を表明した。
「グモオォォ!!」
「なんじゃ、わちじゃ、わちじゃよ。アニエスじゃよ。わからんか?」
「……」
「故あって、いまはこんなしゅがたじゃが、わちはアニエスじゃよ。いまはリタと呼ばれておりゅ」
「……!!」
どうやら彼はわかってくれたらしい。
それまで胡乱げに見つめていた表情が改まり、元の精悍な顔つきへと戻ってくる。
彼らのような精霊は、目の前の対象をその外見ではなく精神の形で見ている。
だからすっかり容姿が変わったアニエスを見ても、すぐにそれが彼女だとわかったのだ。
そして目の前にいるのが契約者だとわかれば、話は早かった。
あとは相手の指示に従うだけだからだ。
「おう、いふりーとよ、ひしゃしいのぉ。元気だったか?」
「グモォォォ!!」
「あぁ、しょうか、いしょがしいのか。ならば要件をさっしょく伝えよう」
リタとイフリートが親しそうに話をしている目の前で、怯えたオウルベアが威嚇をしている。
しかしどう考えても勝ち目のない相手を目の前にして、彼は戦意を喪失しつつあるように見えた。
そんな時、幼い声で鶴の一声があがる。
「あのオウルベアを殺りぇ」
「グモオォォォ!!」
自分を指差して何かを指示する小さな人間と、その指示に従おうと振り向いた巨大な魔人を目の前にして、オウルベアは完全に戦意を喪失していた。
その唸り声は最早聞こえないほどに小さくなり、それどころか何処か哀れな鳴き声を上げ始める。
じわじわと後退るその姿は自分の最期を悟った野生動物のそれであり、彼はおとなしくその運命を受け入れようとしているように見えた。
「グモオォォォ!!」
木の陰に隠れていた幼児三人は、まるで信じられないといった表情で両目を見開いていた。
その口は開けられたままで、傍から見ても間抜けに見える。
小さなリタが奇妙な踊りをしていると、突然目の前に地獄の悪魔のような巨体が現れたのだ。
その真っ赤な身体からは絶えず炎と煙が噴き出しており、誰に言われなくても、見ただけでそれが悪魔か魔人に類する存在であることがわかった。
突然踊り出したリタを見て、初めは魔獣の恐怖のためにおかしくなったのかと思ったが、気付けばそれ以上に恐ろしい存在を呼び出していた。
その事実を目の前にして、子供たちはただひたすらにその様子を見守ることしかできなかった。
巨大な赤い魔人が腕に灼熱の炎を纏わせて近づいて来る。
その様子を諦めの表情を浮かべたオウルベアが見つめていた。
そして魔人が全身から業火を吹き出させようとしたまさにその時、再び舌足らずな幼い声が響き渡る。
「まちぇ、まちぇ!! まちゅのじゃ!! わちがいいことを思いちゅいたのじゃ」
すでに攻撃態勢に入っていたのを無理に止められたイフリートだったが、その幼い叫び声に反応すると振り上げた腕をゆっくりと下ろす。
そして非難するような顔でリタを見下ろした。
再び胡乱な顔で小さな幼女を見下ろすと、その愛らしい顔には何か良いことを思いついたような、何処か悪そうな笑顔が浮かんでいたのだった。
すっかり日が暮れて辺りが暗くなった頃、リタと他の幼児たちの両親が山の中を歩いていた。
彼らは皆一様に必死な顔をして、口々に己の子供の名を口にしている。
「リター!! どこだ、返事をしてくれ!!」
「カンデー!! どこだー!?」
「ビビアナぁ!!」
「シーロ!! いたら返事をしてちょうだい!!」
「もしも子供たちが魔獣にでも襲われていたら……」
「そんな縁起の悪いことを言わないで下さい!!」
気が付くと視界から消えていた子供たちの姿を、何時間にも渡ってリタの両親は探したが結局見つけられなかった。
自分達だけではどうにもならないと思った彼らは、他の子供たちの家族に連絡をとると、彼らと一緒に探し始めたのだ。
捜索が始まって既に二時間が経過しようとしていた。
辺りはすっかり暗くなり、月の明かりが届かない森の中では松明がなければ足元も満足に見られない。
こんな様子では只の幼児でしかない彼らはきっと身動きは取られないだろうし、捜索をする大人も道に迷ってしまうかもしれない。
決して口には出さないが誰もがそう思い始めたその時、森の奥から薄ぼんやりとした光が漏れているのに気が付いた。
そしてその光はゆっくりとこちらに近づいて来る。
初めはそれが何なのかわからなかったが、ジッと目を凝らすとそれが森の妖精「ピクシー」の光であることがわかった。
「ピクシー」は森の奥地に住む、背中に羽の生えた体長10センチほどの小さな妖精だ。
彼女(彼?)達は木の幹に穴を空けて住んでおり、人間で言うところの集落のようなものを形成している。
外見は人間の十歳前後の少女の容姿に似ており、その大きさも含めてとても可愛らしい。
そして「森の事はピクシーに訊け」と言われるくらい森については詳しいので、リタの村までの道などは彼女達に訊けば一発だった。
もちろんそんなことを普通の子供ができるわけもないので、今回の道案内はリタがお願いしたことだったのだ。
彼女がピクシーの長にお願いすると、二つ返事で道案内を申し出てくれた。
そして子供たちはぼんやりと光るピクシーの道案内について、村まで戻ってきたのだった。
両親の姿を見つけた子供たちは、泣きじゃくりながらその胸に飛び込んだ。
そんな子供たちを両親は優しく抱きしめる。
それはリタの両親も一緒だった。
母親の言いつけを守らずに山の奥に入っていったのは確かにリタの責任だが、それでも両親は彼女の身体を全力で抱きしめた。
そしてその生還を心から喜んだ。
「リタっ、リタ!! あぁ、無事でよかった!! あなたに何かあったらもう私たちは生きていけないわ。お願いだからもう何処かへ行ったりしないでちょうだい」
「あぁ、リタ、良かった!! 無事で良かった!!」
渾身の力で自分の身体を抱きしめる両親を、リタはバツの悪い顔で眺めていた。
もちろん自分が両親にとても心配をかけたのは彼女自身も十分にわかっていたのだ。
そしてこんなにも自分が愛されていることに今さらながら気付かされて、彼女の心の中に何か温かいものが満ちていくのを感じた。
今回の件では反省しきりのリタではあったが、それでも彼女は両腕に抱えたままのオウルベアの大きな卵を決して離すことはなかった。