第105話 勇者と宰相
前回までのあらすじ
男は皆、そこを入口だと思っている。
ブルゴー王国に抗議文を送りつけてから約一ヵ月後、ハサール王国に使者が到着した。
その使者とは魔王討伐で有名な勇者ケビンを中心に、馬車三台、護衛騎士十名、事務官三名、世話役メイド五名からなる錚々たるメンバーだ。
今回ケビンは抗議を受けたことに対する釈明という意味合いでの訪問となっていたが、彼自身はそんなつもりは毛頭なかった。
これはあくまでもハサール王国による根拠のない非難に対する抗議と詳細の訊き出しが目的だからだ。
そのため、端から謝罪の言葉を口にする気もなければ、一切媚びるつもりもなかった。
そんなケビンではあったが、目的地までの経路として指定されたアストゥリア帝国に入国した際はとても緊張したものだった。
それはハサール王国の手配によって今回のみ特別に許された措置だったので、その安全は保障されていた。
しかしブルゴー王国にとっては長年の宿敵とも言える国であることに違いはなかったので、やはりその緊張は隠せなかったのだ。
帝国内では街道沿いの宿場もご丁寧に用意されていたし、その対応に文句のつけようもなかった。
それでも敵国内であるという意識が抜けないせいか完全に心が休まることはなく、八日目にしてやっと帝国領を抜けた時には全員が脱力するほどだった。
しかし実はここからが本番であり、今回の旅の目的でもあることを思い出した彼らは、必要以上に気負った状態でハサール王国の首都アルガニルに到着したのだった。
そんな異国の一団が家の前の街道を通り抜けていく様子を、生まれたばかりの赤ん坊を抱いた一人の若い母親が眺めていた。
その母親は、愛らしい赤ん坊に頬ずりしながら優しげに話しかける。
「ほら、見てごらん。あの馬車の中に勇者ケビンが乗っているのよ。有名な魔王殺しの英雄、勇者ケビンよ。あなたの名前をもらった魔女アニエスの弟子で、とってもイケメンだって噂なのよ。一度見てみたいわよねぇ。 ――そう思うでしょう? ねぇ、アニー」
「……ふあぁ……」
そんな母親の語りに、大きな欠伸で返す赤ん坊。
その特徴的な母親譲りの赤い髪と整った顔立ちの赤子は、アニーと呼ばれていた。
母親はなかなかに美人で愛嬌のある二十代中頃と思しき女性で、離れて見ると十代後半にしか見えないほどの童顔だ。
そんな幸せそうな一組の親子に見送られながら、ブルゴー王国コンテスティ公爵家、勇者ケビンは王城への道を進んで行くのだった。
――――
「よくぞおいで下さった。長い道中でお疲れと察するが、今回の件については早急に話し合いが必要と存ずるゆえ、早速この席を設けさせていただいた。何卒容赦いただきたい」
「いえ、そのようなお気遣いは不要です。こちらとて忙しい身ゆえ、要件が済み次第帰国する所存にございます。しからば、休む間もなく早急にこのような場を設けて頂いたことに、感謝の言葉もございません」
ケビン一行が王城に到着してすぐに、本当に休む間もなく小規模な広間にて会談が始まった。
他国から使節が到着した場合、到着日はゆっくりと休ませて旅の疲れを取らせるのが礼儀だ。
そして会談などは翌日以降に開催するものだ。
しかしハサール王国側にはそんなつもりは全くなかった。
そもそもケビンがやって来た理由は、ムルシア公暗殺に対する謝罪と釈明のためという位置づけだ。
だから王国側がケビン一行を歓待する謂れもなければそんなつもりも皆無だった。
もとより彼らに貴重な時間を割くのももったいないと言わんばかりに、到着早々にその場が設けられていたのだ。
つまりは全てパフォーマンスだ。
すでにこの時から、両国の駆け引きと舌戦、そして心理戦が始まっていたのだ。
もちろんそんな事は当のケビンにはお見通しだ。
そして予め予想もしていた。
自分達のほうから呼びつけておきながら、まるでぞんざいな扱いをするハサール国王に対し、それでもケビンは皮肉を囁き、慇懃な態度を崩さずにいる。
ケビンにとってこの場所は、完全なるアウェーだ。
祖国からは遠く離れたこの地で、幾人もの国の重鎮を相手にたった一人で対応しなければならないのだ。
もちろん国からは文官も三名連れて来ているが、彼らはあくまでも事務方のサポート役でしかない。
だからケビン一人のその肩に、今後の両国の未来を背負わされているのだ。
これで緊張するなという方が無理と言うものだ。
しかし彼はそんな内心など噯にも出さずに、真正面からハサール国王ベルトラン及び宰相モデスト・エッカールを見つめていたのだった。
「まずは、そちらから今回の事件についての釈明をお願いしたい」
何一つ前置きを挟むことなく、開口一番、宰相エッカールが居丈高に問いかけた。
これが普通の者であれば萎縮してしまう場面だが、さすがはあのアニエスの養い子にして勇者の肩書を持つケビンだ。
彼は涼しい顔で答えた。
「初めに一つ言わせていただきますが、私共は今回の事件の全容を把握しておりません。その状態においていきなり我が国の第一王子を容疑者呼ばわりし、剰えその身柄を送致しろなどと、むしろ貴国の方が礼を失しているのではないかと。――しかもいきなり釈明せよなどと、乱暴にもほどがあります」
「……なるほど。確かにそれは一理ありますな。しかし我らが被害者であるのは事実であるし、貴国が加害者であるのもまた事実。こればかりはどうあっても曲げられませぬが、如何?」
「お待ちください。まずはその前提が承服できません。一体如何なる事実に基づいて我らが加害者だと申されるのでしょうか。その証拠をお示しいただいていない以上、その言に頷くわけには参りませぬが」
多分に演技も交えて居丈高に揺さぶりをかけて見ても、ケビンは全く動揺を見せない。
それどころか、犯人呼ばわりするのであれば証拠を示せの一点張りだ。
その反応に、ほんの僅かにエッカールの眉が動く。
さすがにこの段階で狼狽えるような者を来させるとは思わなかったが、ここまで無表情なのもまた興味深かった。
さすがはあの最強魔術師の教え子にして魔王殺しの勇者と言ったところか。
見たところ年齢はやっと二十歳を過ぎたようにしか見えないし、中肉中背の身体は決して強そうにも見えない。
しかしあのブルゴー国王が敢えて派遣したのも、今の一度の応酬ではっきりとわかった。
彼はブルゴー国王アレハンドロ・フル・ブルゴーの次女を妻にしたと聞く。
その妻は若く美しく、その清らかな人柄は国民からの人望も厚い。
そして彼自身も魔王殺しの勇者であるうえに、その人柄も真面目で信頼できる。
そんな二人が結婚したのだから、当然王室の顔のようになっている。
実際ここで会うまでは、ケビン・コンテスティに対する理解はその程度のものでしかなった。
しかしいまここで、その認識は大きく崩れた。
もちろんそれは、ハサール王国側にとっては悪い意味でだ。
この若造は手強い、一筋縄ではいかない、と。
「そうは仰るが、こちらには事件の目撃者も証言者もいるのです。また加害者側から回収した武器の特徴から、その帰属も判明しております」
「と、申されますと? まずはそこからお訊きいたしましょうか。なにぶんあの文だけでは詳細がわかりませぬ故、お答えのしようもないかと」
「それでは、事件の詳細をまずはご説明いたしましょう。――担当官、前へ」
ハサール王国側の担当官の説明によって、やっとケビンも納得できる形で事件の詳細が理解できた。
とは言え、まずは初めにその説明をするべきだとケビンは思った。
こちらから要求しない限りハサール王国側にその気はないようだったし、その態度自体がすでにケビン達を舐めている証拠でもあったのだが。
しかしその説明を聞けば聞くほど、自分たちが一方的に容疑者呼ばわりされることに納得がいかなくなる。
確かにハサール王国側の言い分も納得できるし、一方的に抗議文を送りつけてきた感情も理解できる。
しかしそれをされた方としては、やはり言いたいことはたくさんあるのだ。
「以上の説明において、なにか不明な点などはございますかな? もしあれば、今のうちにお訊きされるのが良いでしょう」
必要以上に慇懃な態度でエッカールが尋ねると、まるで無表情のままケビンは口を開く。
その顔を見ても、彼が怒っているのか、恐れているのか、楽しいのか、嬉しいのか、その内心がわからない。
その無表情からは、一切の感情を推し量ることはできなかった。
「まず一つ目ですが、犯人たちの所持していた武器から彼らが『漆黒の腕』であると確信したそうですが、その判断に間違いはないのですか?」
「間違いありませんな。過去の事件と照らし合わせても、彼らがその集団の一員であることは確信しています。その装いと武器などは、その集団以外では聞いたこともございませぬゆえ」
「……わかりました。では、二つ目。その『漆黒の腕』とやらが我が国の第一王子と繋がっているというのは? その証拠をお示しください」
「それは少しでも裏の世界に通じていれば有名な話です。すでにその話は既成事実と言っても過言ではない。我々はそう認識していますが?」
自身の質問に対して淡々と答える宰相モデスト・エッカールの言葉を、眉一つ動かさずに聞いている。
完全アウェーの状況でのケビンのその姿は、彼の横に座る事務官にも、そしてお付きの騎士達にもとても頼もしく見えた。
そして敵ながらハサール王国の複数の重鎮たちの中にも同様に思う者がいた。
しかしそんなことなど知る由もないケビンは、尚も淡々と口を開き続ける。
「それでは三つ目。目撃者と証言者は同一の者なのですね? つまりその者の言いようによっては、この事件の顛末も大きく変わるということでしょう。そんな話など、端から信用するに値しません。聞けば生存者は二名だそうですが、もう一人はどうされたのですか?」
「その者は気を失っていたので、侯爵の殺害もその時の会話も何一つ見ても聞いてもいないのです」
「なるほど。それでその五歳児の証言だけが頼りということなのですね。しかし、その五歳児の言は信用できるのですか? ――五歳児ですよ? 普通五歳児と言えばやっと『人化の祝い』を終えたばかりだ。私としては、そのような者を国がまともに信用する、その気が知れませんが」
『人化の祝い』とは、生まれた子供が五歳になった時の祝いだ。
乳幼児の死亡率の高いこの時代において、子供が五歳になるまで生きられる確率はそれなりに低かった。
だから生まれた子供は無事に五歳を迎えられて初めて人として認められるという、言わば古い土着風習だ。
これまで無表情、無感情に淡々と話をしてきたケビンだったが、ここに来て初めて感情らしきものが透けて見えた。
一言で言えば、それは「嘲り」だった。
弱冠五歳児の言葉と、何ら物証のない状況証拠のみで国が動き、剰え他国の王子を名指しで非難した事実に対して彼は失笑を禁じえなかった。
普段のケビンであればそんな表情を表に出すことはないのだろうが、この場においてはあまりの茶番に思わず本心が滲み出てしまったようだ。
そんな彼の顔を見て、エッカールの表情も初めて動いた。
「国王の御前でそのような顔はせぬ方がよろしいかと。あなたが何故ここにいるのか、その理由を忘れない方がいいでしょう」
「それは大変失礼いたしました。なにぶん根が正直なものでして」
「それはよろしゅうございました。 ――とは言え、ケビン殿の言葉に一理あるのは事実です。それでは、その目撃者であり、証言者でもある少女にお会いしてみますか? 彼女の口から直接聞いた方が、恐らく信用していただけるのではないかと愚考いたしますが?」
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