第102話 国王の提案
前回までのあらすじ
妙にしおらしい「ベストオブ老害」
きっと恐ろしいことが起こるに違いない。
ハサール王国からアストゥリア帝国を挟んで南へ500キロ行くと、そこにはリタ――アニエスの生まれ故郷、ブルゴー王国がある。
ブルゴー王国は国土全体が温帯から暖温帯に属する比較的温暖な国だ。
そのため、国土のほとんどを亜寒帯が占めるハサール王国と比べるとかなり住みやすく、国民の気質も陽気でおおらかだと言われている。
しかし、実際にはそうでもなかった。
現在は休戦状態だが、ほんの二年ほど前までは南に国境を接する魔族の国――魔国の侵攻に悩まされていたからだ。
王国の南端の国境線沿いには大きな川が流れており、その川を挟んだ南側には広大な森林地帯が広がっている。
その森をさらに南へ数百キロ進んで行くと徐々に熱帯雨林へと変わっていくのだが、昔からその辺りに人間は住んでいなかった。
もともとそこには「魔物」や「獣人」と呼ばれる、所謂人間――人族ではない別の種族が多数暮らしている。
彼らは互いに争わないように森の中で賢く住み分けをしていたが、それでも種族間での争いは絶えなかったし、中には互いに捕食し合う者達までいる始末だった。
そんな事情もあり、生物学的に脆弱な生き物でしかない人族はその地では生きていけず、次第に北部にある平野部に追いやられていったのだ。
その後人間たちは冷涼な平野部に適応して自分たちの国を作り上げていったが、南部の森ではその後もずっと魔物たちが闊歩する無法地帯のままだった。
長い間そんな状態の森林地帯だったが、それらの多種多様な種族を束ねて、次第に国のようなものを作り上げていった者が現れた。
それが今から三百年ほど前の話だ。
詳しくはわかっていないが、彼――性別が不明なのでそう言って良いのかわからないが――は人間に比べると遥かに長命な種族だったらしく、百年以上をかけて様々な種族、部族を実力で従えていった。
そしてその者が寿命で倒れると、その遺志を継いだ次の者が、そしてまた次の者がと何代にも渡って引き継いでいるうちに、いつの間にか魔物たちが住む森を「魔国」、そしてそれらを従える者を「魔王」と呼ぶようになったのだ。
そんなわけで気付けばブルゴー王国の南隣に出現した魔国だったが、その後も互いに干渉することなく、長い間平和に過ごしてきた。
もっともそれは互いにその存在を無視しあっているだけで、積極的に友好な関係を築こうとしたわけでもなかったのだが。
それがいつしか争うようになった。
一体何が切っ掛けだったのかは今となってはわからないが、気付けばブルゴー王国と魔国の間では戦争が始まり、それも次第に激化する一方だったのだ。
北部の国境ではアストゥリア帝国と小競り合いを繰り返し、南部の国境沿いでは魔国と戦争を続ける。
こんな状態が数十年続いた後に、突如現れて颯爽と魔王を討伐したのが、誰あろう「勇者ケビン」だった。
そんな男が、今日は朝から渋い顔をしていた。
――――
ここはブルゴー王国の王城の一角にある国王の私室。
その部屋の中に、男の声が響き渡っていた。
国王アレハンドロの指示により、いまは宰相カリスト・コンラートが手に持った手紙のようなものを読み上げているところだ。
その周りには王国の主だった重鎮たちが集まっており、皆一様に真剣な面持ちで聞き入っている。
そこに彼らを呼び集めた理由――それは午後に開かれる会議に先立って、意見のすり合わせをするためだった。
会議には事務方の役人も多数出席する予定なので、そこから意見をまとめると時間ばかりがかかってしまう。
だから今のうちに、重鎮たちだけで意見の集約を図っておこうと思ったようだ。
カリストが手紙を読み上げ始めると、次第に全員の顔が強張り始める。
中には眉を潜めたまま天井を見上げる者もいるほどで、彼らはその手紙の内容をどう捉えればいいのかわからずに戸惑っているように見えた。
しかしそれを読み上げているカリスト本人だけは、少し様子が違っているようだ。
差出人がハサール王国であるとわかった時から表情を強張らせ、その内容を読み上げ始めた途端に手が震え出したのだ。
宰相の座に就くだけあって、普段のカリストは落ち着き払っている。
何事にも動じないその胆力は、彼をして「冷血宰相」とあだ名される理由にもなっているほどだ。
それなのに、今の彼は落ち着きなく視線を泳がせながら、手紙を持つ両手を震わせていた。
その様子が気になったのか、訝し気な顔をしながらアレハンドロは途中で声をかけた。
「カリストよ、如何した? あれほどいつも落ち着いているお前であるのに、何故にそのように手を震わせておる? この手紙に何か思うところでもあるのか?」
「い、いえ、特別なにもございません。……私としたことが、手紙の内容が内容だけに思わず手が震えてしまいました。大変申し訳ございません」
「……そうか? それだけならいいのだが。 ――それでは続きを読み上げてもらおう」
「はっ」
カリストが手紙を全て読み終わると、アレハンドロは腕を組んで考え始めた。
目を閉じて眉間には深いシワを刻んだその顔は、彼の年齢を感じさせるものだった。
国王アレハンドロは現在53歳だ。
この時代の男性の平均寿命を考えると、もうそろそろ次代にその王位を譲ってもいい年齢なのだが、未だに彼は現役を続けている。
それは、長男セブリアンに王位を譲るのに大きな不安があるためだ。
猜疑心が強く人を信用せず、無口で暗い性格のセブリアンは、昔からその人間性に問題があると言われてきた。
彼はお世辞にも王の器とは思えず、このまま王位を譲ってしまえば暗君と呼ばれるのは間違いなかった。
若く美しい妻を娶り、子供でも生まれれば少しは変わるかと期待したが、結婚して五年が経つというのに未だ世継ぎすら生まれていない。
もとより彼ら夫婦の仲の悪さ――というよりも、妻が夫を一方的に毛嫌いしているだけなのだが――は有名で、新婚初夜を最後に二人は肌を合わせていないというもっぱらの噂だ。
王位継承第一位の長男がそんな状態なので、すでに老年と言っても良いアレハンドロではあっても未だに引退できずにいる。
そして内心では、次男のイサンドロに何とか王位を譲る方法がないものかと思案しているようだった。
そんな敬愛する国王であり、自分の妻の父――義父でもあるアレハンドロを真っすぐに見つめながら、ケビンが口を開く。
その顔には胡乱な表情が浮かんでいた。
「一体これは……どういうことですか?」
「どうしたもこうしたもないな。まずはこの抗議文の真偽を確認し、内容の精査もせねばなるまい」
アレハンドロが答えた通り、それはハサール王国から送りつけられた抗議文だった。
その上質な封筒と封蝋を見る限り、差出人に偽りはなさそうに見える。
そんなものが今朝早くに早馬によって届けられたのだから、国王が国の重鎮を急いで呼び集めたのも無理はなかった。
ケビンの言葉を切っ掛けにして、その場の全員が口を開こうとしている。
そんな家臣たちに向かって、相変わらず渋い表情のまま国王は口を開いた。
「つまりだな……我が息子セブリアンが、ハサール王国のムルシア公爵――将軍と言った方がわかりやすいか――を暗殺したのだと言ってきておる。そして、それに対する非難と、容疑者であるセブリアンの身柄引き渡しの要求をしてきたのだ」
まるで苦虫を噛みつぶしたような顔で国王が告げると、他の重鎮たちは堰を切ったように口を開き始めた。
「何故にセブリアン殿下がそのような人物を暗殺せねばならないと? 私には意味がわかりませぬが……」
「我が国とハサール王国には、殆ど付き合いらしきものはありませんが。それをなぜ暗殺などせねばならぬのです? 殺された御仁は、殿下とどんな関係が?」
「単なる言いがかりにしても、あまりに荒唐無稽ですな。私にもその意図が全くわかりませぬが……それで殿下はなんと?」
最後に胡乱な顔で、外務大臣が国王を見た。
ブルゴー王国とハサール王国の間に、殆ど国交はない。
何故なら、その両国の間にアストゥリア帝国を挟んでいるからだ。
ご存じようにブルゴー王国とアストゥリア帝国は、長年に渡り互いに国境紛争を繰り広げてきた、言わば犬猿の仲とも言える関係だ。
そしてハサール国王はアストゥリア皇帝の娘を妻に迎えているので、この二国は同盟関係にある。
そんな国を間に挟んでいれば、ブルゴー王国がハサール王国と国交がなくなるのも無理もなかった。
普段から付き合いもなければ利害関係すらないこの二国であるのに、ある日突然こんな抗議文を送りつけられれば、受け取った方も困惑するだろう。
それを考えると、その抗議内容がいくら荒唐無稽に聞こえたとしても、少なくともハサール王国側が大真面目なのは間違いなかった。
そうでなければ、思わず正気を疑うようなこんな無理筋な抗議文などを送ってくるわけがないからだ。
「うむ。セブリアンには午後の会議の席で直接訊こうと思っておる。その席での発言であれば、すべて公式なものとして記録されるからな。――あの性格だ。今ここで彼奴に問えば、午後の会議になど顔は出さんだろう」
「確かに。殿下のお人柄なら、そうなるのは目に見えて……し、失礼いたしました。失言でした、お許しを!!」
思わず本音が出てしまったのだろう。
己の失言に気付いた外務大臣が慌ててその発言を謝罪したが、アレハンドロは軽く苦笑を漏らしただけで特に問い詰めようともしなかった。
その態度は、外務大臣の言葉に彼自身も同意できる部分があるように見えた。
「まぁ、よい。確かにお前の言うとおりだ。あのへそ曲がりのことだから、ここで問うよりも、公式な席での方が良いだろう。その方が彼奴のためでもあるのだ」
「はっ。仰せのままに」
「ふむ。それでは今後の対応について協議を始めようか。では、外務大臣、まずはお前の意見から訊こう――」
午後から会議が開かれたが、ハサール王国からの抗議文により犯人として名指しされた第一王子セブリアンは、そのだらしなく下膨れた顔を真っ赤にして怒り狂った。
激高した彼は今回の事件についての一切の関与を否定し、最後には椅子を蹴飛ばして会議の席から出て行ってしまった。
その様子を見る限り、彼は本当にこの事件には関与していないようにも見えたが、穿った見方をすれば、それは追及されるのを恐れて途中で逃げ出したように見えなくもない。
しかしいずれにしても、たとえ抗議文を送りつけられたからと言って一国の第一王子を犯人扱いなどできるわけもなかったし、もとよりハサール王国の言い分を鵜呑みにするつもりもなかった。
ましてや犯人としてその身柄を引き渡すなど、余計にあり得ない。
しかしその抗議文の最後には気になる一文があったのだ。
それは、「容疑者の引き渡しが無理な場合は、代わりに使者を送られたし。もしもそれもできない場合は、実力を以てこれを行使する」という部分だ。
この文が意味するところは、つまり「軍事力を行使する」という意味だ。
しかしブルゴー王国とは国境を接していないハサール王国が軍事力を行使すると言っても、それは無理な話だ。
まさか他国の中を自国の軍隊を行進させるわけにもいかないだろうし、補給線も長くなりすぎる。
それではどうするのかと言えば、恐らく代わりにアストゥリア帝国が出てくるのだろう。
ご存じのように、アストゥリア帝国とハサール王国は同盟国だ。
そしてアストゥリア帝国は、ブルゴー王国に攻め入る口実が欲しい。
それが意味するところは明白だ。
つまりハサール王国はアストゥリア帝国をけしかけると言っているのだ。
魔国の侵攻を追い返してから未だ二年しか経っていないブルゴー王国は、今ここで他国と戦争を始める気はなかった。
たとえ相手が長年の宿敵の国であったとしても、このタイミングでアストゥリア帝国とやり合う気は全くないのだ。
いまは弱った国力を回復させるのが最優先で、何処とも戦争をする余裕などない。
そもそも国民がそれを望んでなどいないのだ。
つまりはそういうことだった。
たとえそれが言いがかりだったとしても、ハサール王国が将軍を暗殺されたのは事実だ。
そしてその犯人がブルゴー王国だと明言している以上、犯人の身柄引き渡しに応じないブルゴー王国に実力を行使したとしても、近隣の国は理解を示すだろう。
特にアストゥリア帝国はブルゴー王国に攻め入る大義名分が欲しくてたまらないのだ。
だから、ここでこの抗議文を笑い飛ばして無視するのは悪手だ。
それなら、その手紙の最後に書かれている通り、使者を送って交渉――この場合は釈明だろうか――するべきだろう。
相手側がどんな要求を突き付けてくるかはわからないが、こちらも誠意を見せたことには変わりはないからだ。
誠意を見せた相手に対して不義理をするのは、外交儀礼上、他国にも理解が得られない。
だから、ハサール王国側も何処かで折れてくるはずだ。
少なくとも一方的にアストゥリア帝国が攻め込んでくることはないだろう。
それでは誰を派遣すべきか……
会議の席で皆がそう考えていると、そこに国王アレハンドロの声が響いた。
「勇者ケビンよ。わしはお前に使者を頼みたいのだ。ついてはハサール王国まで行ってきてはくれぬだろうか? のう、婿殿よ」








