第9話 幼馴染と寝泊まり
もやもやした気持ちで帰宅途中の電車に揺られながら、凛にキスされた頬に手を当てる。
(どこまで本気なんだろう……)
凛と一緒に過ごす時間はとても楽しかったし、時雨にとって前世を共にしたかけがえのない人だ。
目を閉じると、心の中で彼女の素敵な笑顔が想い描かれる。
そして、帰り際に時雨の頬にキスした事も脳裏に焼き付いていた。
(先輩のバカ!)
時雨は邪念を振り払うかのように首を横に振る。
きっと、意地悪な先輩が困った顔を観察しようとしたに違いない。
深い意味はないと時雨は結論付けると、電車を降りて自宅に戻った。
寝泊まりする荷物を持って、香の家に直行する。
夕方に伺う予定になっていたので、時間に問題はない。
香の家も時雨と同じく平屋の一軒家で、昔からよく遊びに訪れたりしていた。
時雨はインターフォンを押すと、ジャージ姿の香が玄関扉を開けて招いてくれた。
「やあ、待ってたよ。時雨の格好……どこか外出してたのか?」
「凛先輩と映画館や昼食をご馳走になってたんだよ」
「へぇ……そうだったんだ」
時雨は荷物を玄関先に置くと、今日一日は凛と一緒にいた事を告げる。
香は玄関扉を閉めて相槌を打つと、いつものように自室へと案内する。
部屋はナチュラルな雰囲気で統一されて、木目の勉強机や木製家具が目に飛び込んで、ベッドには可愛らしいぬいぐるみが傍に置いてある。
(女の子らしい部屋だなぁ)
対して時雨は勉強机にパソコンを設置して、クローゼットは学校の制服や近所で出歩く用の私服があるぐらいで、ベッドに至っては質素なものである。
元々、前世が男性だったのもあって、改めて一から女子力を身に付けるのは苦労する。
香はポットを取り出して、マグカップに市販の紅茶を注いでいく。
「ありがとう。香の両親は今日も仕事?」
「いや、昨日から二人で北海道の旅行に行ってるよ」
「そうなんだ」
時雨は紅茶を啜りながら訊ねると、どうやら今晩は二人っきりのようだ。
香の両親は共働きで、揃って家にいる機会は滅多にない。
有休は昨日から三日間、調整する事ができたらしいので北海道の旅行へ出かけて行ったようだ。
「あのさ……一つ相談があるんだけど、いいかな?」
香は姿勢を正して正座すると、時雨にお願いをする。
「そんな改まらなくても、相談なら幾らでも聞いてあげるよ」
軽い気持ちで時雨は答えると、テーブルに出されたクッキーを一つ摘む。
香は胸を押さえて俯くと、意を決したように時雨と目を合わせる。
「今日、一緒のベッドで寝てくれないかな……」
「えっ?」
時雨は一瞬、思考が真っ白になってしまうと、もう一度聞き直して訊ねる。
「ごめん。私の聞き違いじゃなかったら、香と二人でベッドに寝るのかな」
「うん」
香は頷くと、どうやら聞き違いではないようだ。
突然の提案に時雨は咄嗟に恥ずかしさのあまり、断りの言い訳を述べた。
「いや、二人だとベッドが狭くなるし、それに私は寝相も悪いし、香に悪いよ」
「いいから、一緒に寝よう」
香は強引に時雨をベッドに押し倒すと、目の前には寂しそうな香の表情があった。