第79話 番号の交換
着替えを済ませて紅葉を時雨の部屋に通すと、とりあえず不可抗力による誤解だと説明する。
まさか、自分の家に帰ったら一つ上の先輩がお風呂に入っていたなんて想像もできる筈がない。
「はしたない声を出してすまない」
「いえ、こちらこそ」
時雨を女と認識しているつもりであるが、かつては上官と教え子の関係は簡単に抜け落ちないでいる。
紅葉が時雨の家を訪ねたのは新しいスマホを入手したと報告に来たらしい。
以前、放課後の寄り道でパンケーキを食べ終わった帰りでスマホを手に入れたら時雨の電話番号と交換する約束をした。学校で会った時にすればいいと思うが、わざわざ顔を見せに来てくれたのは紅葉の律儀な性格が表れていると思う。
「君は元々、女性のような心優しい青年だった。それが本当の女性として私の前に現れてから、私の生活も様変わりしたよ」
紅葉が新機種のスマホを取り出すと、画面には表情の硬い紅葉の顔写真があった。
紅葉は柚子に時雨を訪ねた経緯を話すと、簡単なスマホの操作を教えてくれたらしい。
その過程で写真を撮ったようで、待ち受け画面に設定したようだ。
「姉がご迷惑をおかけしてすみません」
「いや、それはこちらの台詞だ。私に手取り足取り教えてくれたのだから、逆に感謝しているぐらいだ」
柚子の強引な性格は加奈に似たところがあるので、紅葉に迷惑を掛けてしまったのではないかと心配したが、どうやら大丈夫そうだ。
「それにしても、時雨のお姉さんは愉快な人だな。時雨が戻って来る間に、お姉さんの部屋の掃除を手伝いながら、時雨の事を聞いたよ」
「えっ、掃除の手伝いをさせたんですか」
面倒くさがり屋な柚子が自分の事より、紅葉に掃除をさせた事に時雨は申し訳ない気持ちになってしまった。掃除の手伝いをする代わりにスマホの操作方法と時雨の事を話すなんて条件を出していなければいいが、本人は車の免許を取得するために自動車教習所へ出かけてしまっている。
「先輩に部屋の掃除をさせるなんて……本当にすみません」
時雨は項垂れるようにして謝ると、紅葉は笑って答えてくれた。
「ははっ、じっと座って待っているより身体を動かしていた方がいい。それにお姉さんは時雨をしっかり者の妹だが、融通が利かない頑固者だと話していたよ」
「そんな事を言ってたんですか」
「私も、まさにその通りだと納得してしまった。君は昔から苦手な剣の型があると、訓練が終わった後も深夜まで励んでいたからね。その時は私が剣の手解きをして付き合ったのも、つい最近のようだ」
当時は家族のために騎士になって稼がないといけないと言う使命感から、人一倍努力に励んだ。
紅葉を巻き込んでしまったのは不本意だったが、二人っきりで初恋の人と深夜まで剣の手解きをしたのは士官学校時代の良い思い出である。
紅葉が遠い過去に耽っていると、時雨は自分のスマホを取り出して紅葉の隣に座った。
「先輩、笑って下さい」
時雨は自撮りで二人を撮ろうとすると、笑顔を要求する。
「こ……こうか?」
ぎこちない素顔の紅葉に時雨は顔を寄り添ってみせた。
すると、紅葉の顔はまるで魔法に掛ったみたいに明るい笑顔で時雨と並んでシャッターが切られた。
「先輩の笑顔は素敵ですよ。撮った画像は先輩にも差し上げます」
時雨はすぐに獲った画像を紅葉のスマホに送信すると、放課後の帰りに撮った写真も添えて見比べた。
どちらも良く撮れて、これからもこのような写真を沢山撮れる機会を作っていきたいと時雨は密かに願った。




