第76話 勝負の行方
時雨の中に眠る騎士道精神が勝負と言う言葉に踊らされて、自分が負けた時の事を安易に想像すると修羅場になりそうな予感がした。
そもそも、キスなんて簡単に勝敗の条件に盛り込むなんてどうかしていると時雨は思う。
意中の相手でもない者にされても嬉しくないだろうし、加奈はどうしてそんな事を言ったのだろうか。
(まさかな……)
時雨の脳裏にある考えが思い浮かぶと、首を横に振って否定する。
加奈は時雨の事が好きなのではないのかと――。
時雨にとって、加奈は香と同様に大切な親友の一人だと思っている。
お調子者で可愛らしい女の子であるが、それ以上の関係を意識した事はない。
第七フレームが終わる頃、お互いの得点は差が開く事はなく拮抗した状態が続いた。
第二フレームで時雨がピンを二本、第三フレームで加奈がピンを一本残すとそれ以外はきっちりストライクを決めていた。
第八フレームが開始されて、時雨がハウスボールを手に取ると目を瞑って集中する。
このままの勢いを維持していけば勝てる。
「そういえば、時雨が勝ったらどうするの?」
「どうするって……」
「この勝負、時雨が優勢だし、今の内に何をされるか聞いておこうかなぁって思った訳よ」
加奈が背後から様子を窺うようにすると、時雨が賭けに勝った場合の事を考えていなかった。
「そんなのいいよ。楽しくボーリングができれば、それでいいよ」
食後の軽い運動を皆で楽しく過ごせればいい。
模範的な解答を出したつもりだが、やはり加奈は納得していなかった。
「はぁ……時雨のそう言うクソ真面目なところは魅力的だけど、ここは俺の者になれとか気の利いた台詞で男を見せる場面でしょうに!」
「ちょっと、時雨ちゃんは男じゃなくて女の子だからね」
その場合、勝敗に関係なく時雨が損をするような得をするような何とも言えないジレンマに襲われるだろう。
香も突っ込む箇所はズレているが、心は男のままなんだと時雨は心の中で謝る。
邪念を捨てて、集中して前を見据えるとハウスボールを手から離そうとした時だった。
「時雨ちゃんが勝ったら、私にキスするって事でいいよ」
さらっと、香がとんでもない事を口にすると集中力が切れてハウスボールは予期せぬ方向に向かってしまうと、案の定ガーターを叩き出してしまった。
代案を出したつもりであるが、明らかに香の欲望が詰め込まれている。
「駄目かな?」
香が潤んだ瞳で訴える。
(もう駄目だ……)
ここで時雨の集中力が完全に途切れてしまうと、その後は散々な結果だった。
加奈が逆転勝利を収めると、ガッツポーズと「よっしゃあ!」の勢いある掛け声が響き渡った。
時雨はうなだれて椅子に腰掛けていると、加奈が時雨の前に立って顎クイをする体勢を整える。
完全に主導権を握られると、時雨は赤面して顔を逸らしてしまう。
「こう言うのは……好きな人同士でやった方が健全だと思うよ」
「ふふっ、これからその気にさせてあげるから問題ないよ」
我ながら情けない声で正論を説くが、加奈には逆効果だった。
勝負に負けたのだから、潔く腹を括るしかないのかもしれない。
「ドキドキするけど、いくね」
加奈の吐息が耳をかすめると、反射的に胸がキュンと締め付けられるような感じだ。
その様子を加奈に言い包められて横でじっと我慢して眺めていた香だったが、二人の間に入って咄嗟に中断させた。
「やっぱり駄目! 時雨ちゃんにするなら、私が代わりを務めるよ」
「えっ!?」
香が二人を引き離して時雨の代役を買って出ると、不本意ながら加奈の唇に香の唇が重なり合った。本来なら、すぐに止めに入った方がいいのだろうが、時雨は言葉を失って呆然と眺める事しかできなかった。
そこに楽しそうな会話をしながら聞き覚えのある女子達の声がすると、同級生の数人がボーリング場に現れて時雨達と鉢合わせた。
同級生の子達は野次馬根性で時雨達の様子を興味深そうに窺うと、目を見開いて口に手を押さえながら口を揃えて呟いた。
「浮気現場に直面してしまった」
最早、時雨に突っ込む気力は残っておらず、カオスな空間がこの場を支配した。




