第57話 好きな人
「昔から変わらないって言ったのは彼女に私の幼少時代の事を話したからさ。機械音痴で細々した作業が得意でないってね。そうだろう?」
「そ……そうですよ。スマホはさすがに持ち歩いているかと思っていたのに、そういうところは昔から変わっていないなぁって、つい声に出してしまっただけだよ」
紅葉が時雨に視線を合わせて助け舟を出すと、時雨はそれに乗っかって話を合わせる。
(すみません……)
自ら泥を被るような真似をさせて、時雨は心の中で紅葉に申し訳なさそうにする。
これで納得してもらえればいいのだが、香はパンケーキを一口サイズに切って口にすると、ジト目になって時雨を凝視する。
「なんだ、そうだったのね。まるで、前世で生き別れた恋人同士みたいな雰囲気だったから妬いちゃったよ」
「ははっ……そんな訳ないよ。香は大げさだなぁ」
あながち間違っていない部分があるので、時雨は心を落ち着かせるためにパンケーキとセットになっていたホットコーヒーを手に取って飲んだ。
二人の様子を見ながら、紅葉もパンケーキを口に運ぶと、頬が緩んで幸せそうな顔になる。
「これは美味しいな。生地が柔らかくて口一杯に甘美が広がるのは心地良い」
話題はパンケーキに移って、紅葉は称賛の言葉を並べる。
「この店のパンケーキは他の店と段違いに柔らかいって評判なんですよ」
香がスマホで店の評判と口コミの感想欄を提示すると、たしかに生地の柔らかさについて評価は高かった。
「そうなのか。このようなキラキラした食べ物はあまり食する機会がなかったから、時雨や香ちゃんは普段から食べているのか?」
「学校帰りに小腹が空いたら、パンケーキやクレープを軽く……って、風紀委員の紅葉先輩の前で言ったら怒られるか」
「……まあ、若い子が夢中になるのは頷けるな。放課後の在り方について今後は検討しよう」
香は苦笑いを浮かべて紅葉に返答すると、パンケーキに盛られた苺を口にする。
少々トラブルは勃発したが、紅葉もある程度の寛容さが見受けられた。
紅葉にとって貴重な体験になったのなら、気晴らしに誘った甲斐はあるものだ。
時雨達の隣の席にいる女子大生のグループから、付き合っている男と上手くいっているのかと話題が聞こえてくると、紅葉は興味本位で二人にも同じ質問をぶつけた。
「時雨と香ちゃんは好きな人はいるのか?」
「えっ……」
女子が好きそうなトークを振られて、時雨は戸惑って顔を赤く染めると、言葉を濁してしまう。
すると、香は迷うことなく一言。
「時雨」
予想してなかった返答だったのか、紅葉は面食らってしまう。
「ああ、いや……好きな男性って意味で訊ねたのだが?」
「男は嫌。がさつで乱暴な人がいるし、男臭いのは耐えられないです。その点、時雨は優しくて可愛いし、甘くて良い匂いのする大切な人」
香は時雨の横に立つと、時雨をぎゅっと抱き締めてみせた。
「香……他のお客さんが見てるから恥ずかしいよ」
「やっぱり、時雨は良い匂いがするね」
一旦スイッチが入った香は自分の世界に溶け込んでしまって、周囲の目を気にしていない様子だ。
呆気に取られた紅葉は二人の様子を観察しながら、生まれて初めて百合を目の当たりにしたのだった。




