第449話 案内
天気予報では全国的に真夏日であると伝えられていたが、身体中から汗が噴き出るぐらい暑い。
そのおかげだろうか、目的もなく無闇に外出する人は少ないように見受けられる。
(お勤めご苦労様です)
くたびれたワイシャツに鞄を背負っているサラリーマンらしき人物とすれ違うと、時雨はこの炎天下で働き回っている人達に労いの言葉を送りたい気持ちに駆られてしまう。
それは紅葉のために一肌脱いでくれたキャスティルも同様で、いつもは面倒臭いような雰囲気でガラの悪い女神様だが、いざとなれば頼りになる女神様だと時雨は思う。
そんなキャスティルのために好物は何か考えを巡らせてみたが、行き着いた答えは煙草だった。
女神様に献上、贈り物として考えればどうかと思うが、無難に喜んでもらえそうなのはこれぐらいしか思い付かなかった。
後は白猫のミールに甘いお菓子と御付の黒猫様は出会ったばかりなので好物は分からないが、気難しい性格でどちらかと言うとキャスティルに寄っているような感じがしたのでキャスティルと同じ銘柄の煙草を用意しようと決めている。
交差点の信号を渡り、ようやくコンビニが見えて来た。
早く入店して涼みたい一心で自然と足早になると、それを拒むように誰かに呼び止められた。
「すいません、道をお尋ねしたいのですが」
時雨が横切ったところを中年男性が困った顔をしながら、こちらを窺っている。
正直、早くコンビニに入店して涼みたいのが本音であるが、困った人を放っておけない騎士としての性分が時雨の足を止めてしまう。
「はい、どちらへ行きたいのですか?」
時雨は暑さに我慢しながら応対すると、中年男性はほっとした笑顔になる。
「ありがとう。駅へ出てから何人もの人に声を掛けていたんだけど全然無視されてしまってね。貴女のような美しい女性に立ち止まってもらえたのはラッキーだよ」
「それはどうも……」
悠長に話し込む中年男性に時雨は愛想笑いを浮かべながら、早く本題に入って欲しいと願いながら半分聞き流している。
この真夏日に暑苦しい中年男性に呼び止められるのは御免だと思うのは心情的にも理解できるし、それに対して愚痴りたくなるのも仕方がない。
(あれ?)
時雨は小さな疑問が脳裏を過った。
たしか、このすぐ先に駅前の交番があった筈だ。
駅から出てきて交番に気付かなかったにしろ、こんな炎天下の外で突っ立っているより駅まで引き返して道を尋ねた方が効率は良さそうなものだ。
「ええ、その通りですよ」
中年男性はまるで時雨の心を見透かしたように頷きながら答えて見せる。
薄気味悪い人だなと思わず半歩退いてしまうと、中年男性は強引に時雨の両腕を掴む。
「ちょっと、止めてください!」
時雨は危機を感じて振り解こうと抵抗するが、意外と力強くそれも叶わない。
汗ばんだ両手をそのまま壁に押し付けられると、中年男性の荒い息が時雨の顔に降りかかる。
「道を教えて欲しいのはねぇ……あの世なんだよ」
暑さで頭がおかしくなったのか、それとも違法な薬物で幻覚でも見ているのか。
どちらにしろ、この中年男性が普通ではないのは確かだ。
助けを求めようとも周囲に人はおらず、それどころか空が漆黒に染まって空気が淀み始めている。
(これはまずいかも……)
命の危険が迫っていると感じた時雨は体をジタバタさせるが、両腕をさらに締め付けるように掴まれてしまう。
「さあ、案内を頼むよ」
ニヤリと笑う中年男性はそのまま時雨に案内を強要させる。
その結果がどのようなものを生み出すかは本能的に理解させられてしまうと、時雨は思わず目を閉じて震え上がることしかできなかった。
「その案内、私が代わりにしてやるよ」
聞き慣れた女性の声が響き渡ると、時雨はその女性の声に安堵を覚えながらゆっくり目を開く。
風を切る音と続いて鈍い音が耳元を伝わり、中年男性が地面に叩き付けられている。
そして、颯爽と竹刀を片手に構えているキャスティルの姿があった。




