第412話 清く正しい女神
桶からお風呂の湯をすくって、その中に白猫のミールは手足を伸ばして気持ちよさそうに浸かっている。
「極楽ニャ~」
普通の猫はお風呂を嫌がったりするものだが、今にも昇天しそうな白猫のミールを見ていると、猫と言うより人間のおっさんに近い感じがする。
「本当に一人で入らなくてよかったのかニャ?」
「一人で得するような事は何もありませんよ。こうしてミールさんとお喋りしている方が有意義です」
ミールは再確認するように尋ねると、時雨はお風呂の湯船に浸かりながら返答して見せた。
正直、意識を白猫のミールに向けていた方が精神的な負担はあるものの、自身がミュースである事をあまり意識しないで済んでいる。
「ふーん……私とお喋りをお望みなら、付き合ってもらうニャ~」
桶から身を乗り出す白猫のミールは湯船に向かって軽くジャンプして見せる。
軽く水飛沫が舞うと、それが時雨の顔に掛かって一瞬視界が奪われる。
時雨はゆっくり目を開けると、ある異変に気付いた。
肩まで浸かれるぐらいの湯船は減っており、白猫のミールの姿がどこにもないのだ。
「ここだよ」
時雨の背後から聞き覚えのある声がする。
状況的に声の正体はミールである筈なのだが、その声はミールのものではなかった。
時雨は振り返って見せると、信じられない光景が目に飛び込んで来た。
「なっ……キャスティルさん! いつの間にこちらへ?」
見慣れた真紅の長髪に眩しい笑顔を振りまいているキャスティルが全裸の姿でいる。
いつも不機嫌で怖い顔を覗かせているキャスティルだが、今ここにいるキャスティルはその真逆。
「上司の背中を流しに来たのだ」
そういえば、キャスティルは問題を起こして現在はミュースの部下と言う立場だ。
元々、大物の女神であった彼女が他人の背中を洗うなんて殊勝な心構えがあるものだろうか。
「きょとんとした顔をしてどうしたのだ?」
「どうしたじゃありませんよ。ミールさんが変身しているんでしょ」
目の前のキャスティルは首を捻って疑問を投げ掛けると、時雨は彼女が変身したミールであると確信する。
「ミ……ミールじゃないよ。私は清く正しい運命の女神キャスティルだ」
あくまで自身はキャスティルだと、ドヤ顔で自己紹介を続ける。
最早、言動と口調がキャスティルとは別人で強烈な違和感を覚えてしまうほどだ。
「本人が知ったら激怒しますよ」
声や姿形は完璧にキャスティルのものであるが、中身は完全にミールそのものだ。
「ニャハハ、時雨君は鋭い観察眼の持ち主だねぇ」
ミールはキャスティルの姿で猫のような笑い声を上げる。
本人は絶対そんな真似をしないだろう。
「とりあえず、時雨君の背中を流してあげるよ。私の清く正しい背中も流してほしいニャ~」
「わ……分かりましたから、とりあえずキャスティルさんの姿で、その話し方は止めて下さい」
語尾に『ニャ~』を付け足して喋り出すキャスティルは新鮮であるのと同時に恐ろしさが際立ってしまう。
「ふふっ、考えておくニャ~」
多分、ミールもそれは承知なのだろう。
ミールは意地悪な顔を浮かべながら、何処吹く風と言った感じで時雨の背中を流し始めた。




