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第363話 イカのお姉さん

「貴女がイカ男爵を?」


 魚介レンジャーのマグロレッド役である青年が思わぬ申し出に当惑してしまう。

 目の前にいる外国人の美女がイカ男爵を演じたいと言うのだから、これには他の役者達も反応に困ってしまう。


「中止になって、子供達の悲しむ顔は見せたくありません。どうか私にイカ男爵を演じさせて下さい!」


 ミュースは頭を下げて食い下がると、その熱意に関係者一同はどうしたものかと腕を組んで相談を始める。

 申し出は有難いのだが、イカ男爵は悪役。

 複雑なアクションを求められる役柄なので、素人に任せるのは荷が重いと言うのが本音である。


「この台本にある台詞はもう覚えました。絶対に台詞を間違えたり足を引っ張る真似は致しません」


「わ……分かりました。では一度、簡単なリハーサルをして判断しましょう」


 マグロレッド役の青年がミュースの熱意に折れると、テストを兼ねてミュースの実力を測ろうと言う事で落ち着いた。

 時間もあまりないので、この場で衣装には着替えずにそのままの姿でリハーサルを行う事になった。

 時雨と香は控え室の扉からリハーサルの様子をじっと眺めていると、人質を取って魚介レンジャーと対峙するシーンが始まった。


「イカ男爵! 子供を解放するんだ」


「はい、そうですかと解放する馬鹿はいないでゲソ。解放して欲しければ、大人しく俺様の要求を聞くんだゲソ」


 語尾に独特なゲソと喋るミュースはイカ男爵になりきっている。

 台詞は先程の舞台で聞いたのと全く同じなのだが、悪役らしさは微塵も感じられず、むしろ愛らしいさが滲み出てしまっている。


(普通に可愛い……)


 イカ男爵ではなく、これではイカのお姉さんだ。

 それは魚介レンジャー側にも伝わっており、勝手が違って調子が狂う。


「台詞回しは完璧なのですが……何と言うか、もう少しドスを利かせる事はできますか?」


 マグロレッドがミュースに注文をつける。

 任侠映画とまではいかなくても、やはり悪役としての存在感が薄まってしまっては舞台が成立しない。

 ミュースは諦めず役作りに挑んでいるが、改善される気配はない。

 頑張っている彼女に時雨は次第に胸を打たれると、いつの間にか控え室の扉を開けてミュースに助言をしていた。


「多少のアドリブを入れても構いませんか?」


「ええ、いいですよ」


 ミュースはアドリブの許可をもらい、一度深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。

 時雨は無言で頷き、その場を離れるとリハーサルは再開された。

 先程の人質の解放を要求するシーンに入る。


「人質を解放だと? はい、そうですかと素直に解放すると思っているのかタコ! 解放して欲しければ、俺様の言いなりになるんだなタコ」


 語尾にタコと変化はしているが、今までになく怒気が込められている。

 これには魚介レンジャーも呆気に取られたが、すぐに立て直して台詞が続いて行く。

 時雨が助言したのはキャスティルをイメージして台詞回しするように勧めたのだが、まさかこうも上手く噛み合ってくれるとは思わなかった。


(これなら大丈夫かな)


 時雨は安心して控え室の扉を閉めると、香と一緒にその場を後にした。

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