第353話 帰路
翌日、時雨達は荷物をまとめて帰る支度が整うと、門倉が旅館の駐車場に見送りの挨拶へ
来てくれた。
「色々あったけど、皆のおかげで助かったよ。これは約束のバイト代」
門倉は茶封筒を各々に手渡すと、ずっしりした重さが伝わって来る。
短期間のアルバイトではあったが、気のせいか時雨の茶封筒は皆より少々分厚い様な気がする。
時雨はチラッと中身を確認すると諭吉の札束が凄い事になっていた。
「あの……これは?」
「時雨ちゃんには初日のクレーマーと旅館の従業員の件で苦労させられたからね。迷惑料として受け取って欲しい」
門倉は時雨に頭を下げて誠意を示す。
これだけあれば、当分の間はお小遣いに困る事はないだろう。
「昨日の件で、運命の女神様からもお願いされたんだ。だから、時雨ちゃんが気にする必要はないよ」
とくに従業員の件は時雨を守るために改造した目覚まし時計が暴走して危険な目に遭わせてしまった事をキャスティルは悔やんでいた。
どうやら、シェーナと異世界へ旅立つ前にキャスティルは門倉に時雨と旅館に対しての迷惑料と称して小切手を手渡していたらしい。
柚子の運転する乗用車に時雨、香、加奈が後部座席に乗り込むと、ミュースの乗用車に凛と紅葉が後部座席に乗り込んで行く。
「来年もまた来なよ。道中、気を付けて」
乗用車が発進すると、門倉は手を振って時雨達に別れの言葉を口にする。
車窓を開けて、時雨達も手を振って応えて見せる。
車道へ出ると、段々と門倉と旅館は遠ざかって小さくなり、やがて見えなくなった。
トンネルへ差し掛かると、車窓を閉じて柚子は気分転換にラジオを付ける。
「長かったようで短かったわね。皆、アルバイトはどうだった?」
柚子は運転しながら、時雨達にアルバイトの感想を訊ねる。
本来なら、助手席にキャスティルが運転の監視役としていた筈だが、今は慣れた様子で運転に問題はなさそうだ。
「まあ、貴重な体験はできたと思いますよ。女神様と一緒に過ごしながら、米軍の事情聴取を受けるなんて普通はありえませんよ。宿題に日記があったら、先生から嘘を書くなと怒られるのが目に見えますね」
加奈は全体を通して楽しかったと付け加えて、たしかに奇想天外な体験だったので日記に書き記しても信じる人は皆無だろう。
「僕も楽しかったけど、一番は嬉しかったかな。柚子さんが僕のお母さんだったんだからね」
香にとって時雨達と海で過ごした時間より、柚子と親子としての再会はかけがえのない時間であった。
それは時雨にとっても同様である。
「そう考えると、折角の親子のドライブだったのに、私は邪魔だったかな」
「あら、そんな事はないわよ。加奈ちゃんがいると、場が和んで楽しい雰囲気になるからね」
加奈は声のトーンを落としながら空気を読んでミュースの車へ乗り込めばよかったと口にすると、柚子は笑って答えて見せた。
前世で時雨を崖に突き落とした張本人であり、時雨達親子を不幸にさせた負い目もあるのだろう。
「それに、加奈ちゃんが時雨をもらってくれたら加奈ちゃんも私の家族よ」
陽気な声で柚子が述べると、左手をハンドルから放して親指を立てて見せる。
「わっ、運転中に馬鹿な事言いながらハンドルから手を放さないで!」
時雨が慌てながら身を乗り出して柚子に注意を促すと、色々な意味でヒヤヒヤしてしまう。
「じゃあ、遠慮なくもらっちゃおうかなぁ」
加奈は意地悪そうな声で呟くと、それに香が反応して時雨を独り占めするように抱き締める。
「時雨ちゃんは僕のだから駄目!」
時雨の意思は無視されたまま、時雨は香の胸に顔をうずくませる形となって呼吸がままならない。
「もらう前に、時雨が天国の階段を上っちゃうかもね」
とりあえず、加奈は香から時雨を引き離すと天国行きの片道切符を取り上げて現実世界へ留めさせる事に成功した。




