第344話 頼れる先輩②
マスコット人形の着ぐるみに着替えた時雨は慣れない動きでパンフレットの束に手を伸ばそうとすると、上手く掴めずパンフレットを床へばら撒いてしまった。
「時雨、大丈夫!?」
凛は時雨に駆け寄ると、バランスを崩した時雨の身体を起こしてくれた。
着ぐるみは海の家で門倉がスノーのために用意したのと同じ物で太陽をモチーフにしたキャラクター。
視野は狭く、普段と比べて遠近感も勝手が違う。
スノーも初めて着ぐるみを着用した筈なのに、アクロバティックな動きを軽快に披露したのは流石女神様だと今更ながら感心してしまう。
「すみません、少し足元がふらついてしまいました」
「慌てないで、時雨のペースで動いていいのよ」
凛がパンフレットの束を拾い上げると、優しい言葉で時雨を励ます。
凛は心配そうに更衣室の扉を開けると、先に時雨を通してパンフレットの束を途中まで運んでくれた。
「ありがとうございます。この先に倉庫がありますので、凛先輩は倉庫へ向かって下さい」
「でも、時雨一人でパンフレットを持って歩ける?」
「だいぶ着ぐるみにも慣れてきましたので、大丈夫ですよ」
先程、転倒しそうになった時雨を思い返して、凛は時雨をこのまま一人にさせるのは不安で仕方がなかった。
時雨は着ぐるみ姿で機敏な動作を試みると、幾らかマシな動きを披露できた。
「では、お互い頑張りましょう!」
鼓舞するような言葉を掛けると、時雨は凛からパンフレットの束を受け取って物販店へと足を運ぶ。
「大丈夫かしら……」
凛はその後ろ姿を見守りながら、ハラハラした様子で窺っている。
時雨の姿が見えなくなると、健闘を祈りながら凛も自身の仕事を片付けるために倉庫のある扉を開ける。
物販店に姿を見せた時雨は年配の従業員から着替えが遅いと早速叱られてしまった。
「すみません、すぐ仕事に移ります」
着ぐるみ越しで頭を下げる時雨は身体のバランスを崩しそうになったが、どうにか堪える事ができた。
仕事で上司に叱られる経験は時雨にとって初めての経験ではなかった。
昔、前世で家柄の殆どが貴族出身だった騎士に時雨は登用されて務めていた。
新米騎士の頃は時雨が平民出身であるのを理由に上司から理不尽な命令をされる事は珍しくなかった。
参ったのは当時お姫様だった凛の専属騎士として有力視されていたのは家柄も立派な侯爵家の跡取り息子であった騎士であったのだが、凛は時雨を専属騎士として選んでしまった事だ。
集結していた周囲の大臣や大勢の騎士達も時雨が選ばれた事に信じられない様子で場内をざわつかせたのを覚えている。それ以降、有力視されていた侯爵家からは目の敵にされたり、時雨に対する風当たりが強くなると凛が「私の采配に文句がある人は名乗りなさい」と一喝してくれたおかげで時雨に対する風当たりも次第になくなっていった。
今回、旅館内でのアルバイトは今日一日だけなので、多少辛くても我慢はできる。
それに柚子が紹介してくれたアルバイトでもあるので、尚更文句は言ってられない。
時雨は気を取り直して物販店の入口に立って、旅館内の行き交う泊まり客にパンフレットを配り始めた。




