第306話 海
裏方の事務所に皆が集合すると、門倉から伝言を預かっていた。
客の出入りも落ち着いて、後は一人で店を回すから皆は海で遊んでいいよとの事だ。
早速Tシャツを脱ぎ捨てて、時雨達は水着姿になると海辺へ直行する。
キャスティルとスノーはパラソルのセットを立てると、サングラスを掛けて優雅に本を広げながら海を満喫し始める。
浮き輪を身に付けた香は時雨と海へ入り、それに続いて他の女性陣達も水遊びに興じる。
水飛沫が冷たく、塩水が口に入ってしょっぱい感覚は海へ来たと時雨は改めて実感する。
「時雨、これは受け止められるかな?」
加奈がビーチボールを持ち出して投げると、それが時雨の頭に直撃してしまう。
そのせいで体勢が崩れると、さらに尻餅をついてしまった。
「時雨さん、大丈夫ですか?」
「ええ、ありがとうございます」
近くにいた時雨に手を差し伸べたのはミュースだ。
感謝の言葉と共にミュースを見上げると、そこには刺激的な光景が映り込んでいた。
大きな胸がすぐそこに迫っていたからだ。
視線をずらして顔を赤く染めながら時雨は立ち上がると、それを茶化すように加奈が絡んで来る。
「時雨さんは女神様の胸に興味津々なようですなぁ」
「そ……そんな訳ないよ!?」
「じゃあ、神様に誓って言える?」
「それは……」
慌てて否定する時雨だが、神を引き合いに出されては言葉を詰まらせてしまう。
正直者で真面目な時雨の性格故、ムッツリスケベと呼ばれてしまう所以だ。
そんな加奈の意地悪な問答にミュースは助け舟を出す。
「私は時雨さんに興味ありますよ」
「えっ?」
加奈は思わぬ言葉に面喰ったような顔をしてしまう。
それは時雨も同様でこちらを直視するミュースに困惑してしまう。
「元々、時雨さんは前世が男性ですからね。異性に興味を示すのは何の不思議ではありません。私は時雨さん達をサポートする立場ですから、むしろ興味を持ってもらえた方が良いんですよ。もしかして、時雨さんは私のような貧相な女神は興味ありませんか?」
「そんな事はないです……ミュースさんは魅力的な女神です」
「ふふっ、魅力的だなんて嬉しいです」
完全にミュースが主導権を握ると、時雨は緊張しながら言葉を捻り出す。
これには加奈も参ってしまい、ビーチボールを拾い上げる。
「僕も時雨ちゃんに興味津々だからね。時雨ちゃんがムッツリなのは今に始まった事じゃないし、そんな時雨ちゃんが僕は大好きだよ」
香は時雨に思いっきり抱き付こうとすると、浮き輪を付けていたのを失念して時雨は弾き飛ばされてしまう。
その勢いで、また尻餅をついてしまうと今度は凛が手を差し伸べてくれた。
「あ……ありがとうございます」
「どういたしまして。ムッツリな騎士様」
「その称号は不名誉なので勘弁して下さい」
「ふふっ、冗談よ。時雨といると退屈しないわね」
凛は微笑んで時雨を立たせると、海辺のパラソルでスノーが不思議そうにこちらを窺っている。
「楽しそうですねぇ。私達も行きますか?」
「行きたければ、お前一人で行け。私は疲れるからパスだ」
「キャスティルの姉貴を一人にしたら、変な虫が寄って来るかもしれませんからね。私がここにいる間は護衛しないと、今でもこちらを監視している妙な連中が何をするか分かりませんからね」
「そいつ等は問題ない。いいか、絶対に余計な手出しはするなよ? 絶対だからな」
「それは遠回しに潰して来いって事ですか?」
「何でそうなる。何なら、お前を今この場で潰してもいいんだがな!」
キャスティルが怒りを露にすると、スノーは慌ててその場から逃走を図る。
そんな海辺の様子を海の家から遠目で眺めている門倉は笑みを浮かべて見守っていた。




