第298話 朝の一コマ
時雨は顔を洗って気分を一転させると、鏡に映った自分の姿を見て安堵する。
楽しい夢ではあったけど、夢のオチのせいで目覚めが悪い。
洗面台にあったタオルで顔を拭こうとすると、誰かが時雨にタオルを差し出してくれた。
「昨晩は廃病院で肝試しをやったら、その影響で怖い夢でも見たの?」
「加奈か。まあ……そんなところかな」
差し出されたタオルを受け取り、時雨は加奈に曖昧な返事で答える。
本当の事を言ったら、色々とツッコまれるのは安易に想像ができたし、ミールに良い夢を見させてくれた事は伏せる事にした。
「それは災難だったね。じゃあ、今晩は楽しい夢が見れるように私が魔法をかけてしんぜよう」
「別にいいよ。それより……」
加奈は時雨に顔を寄せると、時雨の額にキスをする。
時雨は顔を赤く染めて額に手を当てると、魔法と言う名のセクハラではないかと思ってしまう。
「これで今日は良い夢を見れるよ。時雨が望むなら、もっと効果の高い魔法をかけちゃってもいいけど?」
意味深な言葉と共に加奈はワザとらしく胸を揺らすと、時雨の心を激しく揺さ振る。
「あ……朝っぱらから馬鹿な事言ってないで、早く朝食を食べに行くよ!?」
時雨は誘惑を振り切って、そのまま廊下へと駆け出してしまう。
旅館の食堂で時雨達は朝食をとっていると、門倉が時雨の傍へ寄って来た。
一瞬、先程の加奈の件もあって身構えてしまうと、門倉は大げさに両手を広げて身の潔白を証明する。
「食事中にごめんね。今日の仕事だけど、時雨ちゃんはできそうかな?」
「ええ、大丈夫です。ご心配おかけしてすいません」
「もし無理そうだったら、遠慮しないで声かけてね」
昨日のクレーマーの件で門倉が時雨に仕事ができるか再確認を済ませる。
門倉としては柚子にアルバイトを頼み込んだ立場であり、本当なら去年の夏みたいに柚子を含めた女子達と楽しい職場環境で回すつもりで頭が一杯だった。
結果的に今年の夏は引率者の女神によってその夢は儚く散ってしまい、時雨に嫌な思いをさせてしまったのは不純な動機で呼び付けた門倉の落度だと本人は自覚している。
仮にまたあのような客が現れたら、門倉が責任を持って対処する事を約束してくれた。
「何かあったら、オーナーの彼以外にキャスティルやミュースを頼るといいよ。大抵の問題は片付けてくれるだろうからね」
ミールが茶碗のご飯を駆け込みながら、二人の女神に時雨達を託す。
今日一日、ミールは野暮用ができたそうでここを一旦離れるそうだ。
キャスティルが迷惑そうに手で追い払う仕草をすると、辛辣な言葉を投げ掛ける。
「そのまま二度と帰って来るな。お前といると、トラブルに巻き込まれるからな」
「相変わらず絵に描いたツンデレさんな女神だねぇ。用事が済んだら、また今晩にでも現れるよ」
朝食を終えたミールは席を立つと、そのまま踵を返して食堂を後にする。
「おい、塩でも撒いとけ!」
「私は塩より甘い砂糖が好みだよ」
「さっさと消えやがれ!」
そんな二人の女神のやり取りをしている間に時雨達も朝食を終えると、張り切って今日のアルバイトを乗り切ろうと気合いを入れ直した。




