第290話 神に誓う
色んな意味で肝を冷やしたおかげで、旅館へ戻ると露天風呂で汗を流す事にした。
「私は夕方に入ったし、凛先輩を介抱しているよ」
時雨は凛を出汁にして心苦しい気持ちはあるが、良い口実ができたと思って拒否をする。
二度も恐ろしい目に遭ったので目覚めてパニックになったら大変だろうし、誰かが傍にいた方が良いのはたしかだ。
香と加奈は少々不満気だったが、標的を時雨からシェーナに絞って有無を言わさず両脇を押さえられながら露天風呂へ連行して行く。
「シェーナの肌はスベスベだねぇ。どんな仕組みなのかじっくり調査しないとね」
「僕もそれについては色々と知りたいなぁ」
時雨はシェーナに対して両手で合掌すると、尊い犠牲だと思いながら見送る。
「じゃあ、行って来るよ。凛ちゃんを頼んだよ」
柚子もその後に続いて露天風呂へ向かおうとすると、客室の玄関扉前で軽く念押しする。
「無防備な凛ちゃんに変な事しちゃ駄目よ」
「し……しないよ!」
実の妹を何だと思っているんだと時雨は顔を真っ赤にしながら反論する。
紅葉も賑やかな雰囲気に思わず笑みがこぼれると、凛を時雨に託して柚子と共に露天風呂へ向かう。
女神達は門倉と話があるようで既に別室へ移動している。
(静かになったな……)
静寂を取り戻した客室に二人っきりになった時雨は布団で横になっている凛の顔を覗き込む。
その寝顔はまるで童話に登場する魔法で眠らされたお姫様みたいだ。
もしかしたら、キスをすれば目覚めるかもしれないと一瞬脳裏を過ぎったぐらいだ。
前世では主従関係だったが、今は同じ学校に通う先輩後輩の関係。
紅葉は例外として、一国の王女と一介の騎士では身分の違いも去る事ながらお転婆で活発な彼女を恋愛対象として考える事はできなかった。
今はどうだろうか。
憧れである先輩の唇を独占できるチャンスである。
そして、凛の気持ちはゴールデンウィークで本屋に立ち寄った時に確認している。
(私は何を考えているんだ……)
時雨は邪念を取り払うために頭を横に振ると、時雨自身はまだ答えを見出していない。
そんな状態で凛の唇を奪うのは彼女を裏切る事になるし、絶対に許されない。
「時雨……」
凛はうわ言に時雨の名を呟く。
「私はここにいますよ」
それに応じるように時雨は凛の両手を強く握る。
今の時雨にできるのはこれが限界だ。
客室の玄関扉から開閉音が聞こえると、時雨はハッとなってしまう。
香や加奈がもう露天風呂から帰って来たのかと思ったが、時間はそんなに経っていない。
時雨と凛がいる部屋の襖が開けられると、そこにいたのはミールとミュースだった。
「おや? 時雨君は露天風呂へ行かなかったのかい?」
「凛先輩を一人にしておくのは忍びないですし、私が残って介抱してました」
「ふーん……」
ミールは時雨を不審な目で見る。
そして何かを悟ったようだ。
「なるほど、お楽しみの最中で我々はお邪魔だったようだ」
「ちょっ……そんなのじゃありません!?」
時雨はあらぬ誤解をされて強く否定する。
変なところで空気を読むこの女神にミュースも苦笑いだ。
「本当に?」
「本当です。神に誓っても構いませんよ」
さらに疑いの目で見つめるミールに時雨は呆れながら神に誓う。
「神も色々いるからねぇ。創造神である私が神を代表して聴取するから具体的に何を誓うのか教えてくれたまえ」
本当は全てを承知でいるのだろうが、ミールはニヤニヤしながらテーブルに肘を付いて時雨の誓いを伺う。
軽々しく神を引き合いに出した事に時雨は後悔してしまう。




