第289話 人影
廃病院の出入り口に気絶した凛とそれを介抱する柚子を除いて、皆が心配そうに待ち構えていた。
シェーナ本人から勘違いだったと説明をして皆を心配させてしまった事を謝ると、時雨も話を合わせる形で頷く。
「ふーん……」
加奈だけは時雨の顔を見つめながら、何か釈然としない様子であったが、深く追究する事はなかった。
「明日も仕事があるんだ。とっとと戻るぞ」
「はーい」
キャスティルが時雨達を車へ促すと、運命の女神の機嫌を損ねないためにも時雨達は軽い返事で答える。
全員が車に乗り込んだのを確認すると、加奈は外を指差してすぐ近くの草むらから人影みたいな実体が見えた。
「ちょっと……アレってまさか?」
加奈以外も草むらの人影に気付くと、野良猫等の小動物や目の錯覚ではなさそうだ。
ネットのオカルト掲示板で有名な廃病院。
やはり考えられるとしたら、霊である可能性が高い。
キャスティルは車を降りてミュースも運転席から身を乗り出して草むらの人影に注視する。
「おい、この廃病院一帯はお前が祓ったんじゃなかったのか?」
「その筈でしたが……」
どうやら、肝試しのイベント中に除霊が専門のミュースは広範囲に渡って廃病院に巣食う魂を浄化していたようだ。
その中には浄化しきれなかった魂もあり、時雨が道中に見かけた手術室に潜んでいた厄介な魂等はキャスティルやミールが強制的に祓っていた。
肝試しのイベントが終わる頃には目立った魂の気配もなくなり浄化作業が終了したものだと思い込んでいたが、今の今まで草むらの人影に気付かなかったアレは相当厄介な魂だとミュースは悟る。
「私が直接浄化に当たります」
「お前に任せていたら、長期戦になって車にいる連中に危害が及ぶかもしれない。かと言ってミールに任せたら、力加減を間違ってこの一帯を跡形もなく消してしまうかもしれない。私がやるしかないだろう」
ミュースを制してキャスティルが前に出ると、時雨達に外へは出ずに車に鍵を掛けてじっとしていろと的確な指示をして、拳を鳴らしながら臨戦態勢を整える。
「まあ、キャスティルに任せていれば大丈夫だよ」
ミールは呑気な声で後部座席からキャスティルの勇姿を見守る。
あの女神が膝を付いて負ける姿は想像できないので、大丈夫だとは思うが得体の知れない相手に心配になってしまう。
ちょうど人影は月の光で照らされて肉眼ではっきり視認できるようになると、その正体はコートを羽織った中年男性だった。
たしかオカルト掲示板の目撃情報にコートを羽織った不審者情報が載せられていたのを覚えている。
「う……うん」
このタイミングで気絶していた凛が覚醒する。
ゆっくり身体を起こすと、途中から恐怖のあまり記憶が抜け落ちてしまっているようだ。
「あれ……肝試しはどうなったのかしら?」
「凛先輩、外は見ないで下さい!」
「えっ?」
時雨は必死になって対峙するキャスティルとコートを羽織った中年男性に目が行かないように声を掛けるが、それは逆効果となってしまった。
「何か外にあるのかしら……」
凛は重たい眼を擦って外の様子を窺うと、次の瞬間――。
中年男性は羽織っていたコートを両手で全開に広げると、その下は全裸だったのだ。
「あっ?」
これには対峙していたキャスティルも意表を突かれて口を広げたまま疑問を投げ掛けるしかできなかった。
ミュースも呆然とするしかできなくて、凛は目の前の光景に耐え切れずまた気絶してしまった。
「あのおじさん、何してるのかな?」
純粋な香は訳が分からない様子で首を傾げると、時雨と加奈が咄嗟に香の両目を塞いで対処する。
「ほら……夏場は暑いから裸で涼んでいるんだよ」
時雨はそれらしい理由で香を納得させると、人影の正体は幽霊ではなく只の変質者だった。
おそらく、幽霊の噂に乗じて廃病院を訪れる者達を驚かせて自身の快感を満たしていたのだろう。その内、新たにコートを羽織った不審者が出没すると噂が流れ始めてしまい、それが幽霊と勘違いされてしまったようだ。
普段なら悲鳴を上げて逃げ出すのが定石だっただろうが、ここにいる面子にはその効果がなかった。
「アレはちょっと浄化の対象外です」
ミュースは遠慮がちになって運転席からキャスティルに伝える。
真剣に対峙した結果がこれではキャスティルが一番理不尽であるだろう。
「……帰るぞ!」
不機嫌そうに車へ乗り込むキャスティルは変質者を無視して、ミュースと柚子に車を走らせる。
一人その場に取り残された変質者は時雨達と途中ですれ違った数台のワゴン車が代わりに止まり、有無を言わさずワゴン車から複数の外国人が身柄を確保する。
「面倒ですが、背後関係は徹底的に探って下さい。白だと判明したら、口止めして釈放。廃病院の地下室にある物資は横須賀ベースへ移送準備」
「ホーク2了解。ホーク1は引き続き対象の監視を続行する」
ワゴン車に無線連絡が入ると、機材搬入の輸送車両が次々と到着する。
そして防護服を纏った人物が廃病院の中へ流れ込んで行く。
その後、しばらくしてオカルト掲示板にあった廃病院の噂は廃れてしまい、廃病院は更地となって騒動は収まるのであった。




