第281話 フォーカス
夕方過ぎになると、アルバイトの終業時間を迎えて女性陣が帰還した。
真っ先に香が時雨の胸に抱き付くと、心配そうに声を掛ける。
「時雨ちゃん、怪我は平気?」
「この通り、大丈夫だよ」
「嫌な思いをしてグレたりしてない?」
「グレたりって、いつもと変わらないよ」
時雨は健全っぷりをアピールすると、香の頭を優しく撫でて見せる。
大げさだなと思いながらも、あんな事があった後で時雨が傍にいなくなり女性陣達は仕事に集中できなかったらしい。そうとは知らずに悪い事をしたなと、時雨が想像している以上に心配をかけてしまった事に反省する。
凛も遅れて時雨を気遣うように声を掛ける。
「その様子だと本当に大丈夫そうね」
「ええ、ご心配おかけしました」
「あまり無茶はしちゃ駄目よ。時雨は女の子なんだからって言っても、昔からの性格は直らないか」
半ば諦めるような形で凛は呆れると、そっと時雨の肩に寄り添う。
騎士道精神に溢れた青年も今は女子高生。
凛にとって時雨は世界で一番頼りになる人であり、初めて恋心を抱いた人である。
二人の女性に心配されながら囲まれる時雨に対して、加奈は少し距離を置いてその様子を眺める。
「ほら、加奈君も行ってあげな」
「本人は大丈夫そうですし、あの二人の後に続くのは野暮ですよ」
「そんな事はないさ。加奈君も時雨君の事を……」
「あっ、あそこに前から欲しかったご当地限定のキーホルダーがあるわね!」
加奈の背中を後押しするミールだが、時雨とは反対方向にあるお土産売り場へ足を向けてしまう。
「やれやれ、これも青春って奴なのかな」
ミールは両手を広げてお手上げ状態になる。
女心に関していまいち鈍感な時雨にとって、加奈の心情は理解しているのだろうかとミールはお節介ながら、やきもきしてしまう。
「私としてはもう一人の存在が気になるところだね」
ミールはさらに遠くの位置から時雨を眺めている人物にフォーカスしていた。
時雨の憧れの存在であり、初恋相手だった紅葉だ。
前世では師弟関係のまま想いを告げられなかったが、ここ最近再会を果たして想いをぶちまけた時雨の勇姿をミールは見届けていた。しばらくは進捗がないまま、お互い普通に学校生活を営んでいたが、今回の夏イベントで変化が見られるかもしれないと秘かにミールは期待している。
想像を膨らましながら、にやけた顔のミールをキャスティルは不審そうに横切る。
「気持ち悪い奴だな。ついに創造神もボケたか?」
「私はこの通り、平常通りさ」
挨拶代わりにミールは右手で指を鳴らすと同時にキャスティルの頭上からタライが降って来た。
タライの不意打ちに反応するキャスティルはつまらなそうに回避すると、その位置からミールは左手に大量のクリームが乗った紙皿をキャスティルの顔面にヒットさせる。
「運命の女神、パイ投げは回避できずか」
バラエティー番組で見かける光景をこんな形で見せられるとは思わなかった。
顔面を真っ白に染めたキャスティルは怒りが頂点に達すると、二人はラウンジを駆け回って暴れまわるのだった。




