第269話 免許
休憩も切り上げて時雨達も各々車へ戻ると、運転席に柚子が着いていた。
「お帰り。事情はそこの女神様から聞いたわよ」
「お姉ちゃん! もう大丈夫なの?」
「ええ、おかげでぐっすり眠ったおかげで頭も冴えているから運転に支障はないわ」
心配そうに時雨が柚子に声を掛けると、本調子を取り戻して異常はなさそうだ。
キャスティルも柚子を運転席へ座らせたのなら、問題なしと判断したのだろう。
後部座席には先程の涙が嘘のように掻き消されて、シェーナが明るい声で出迎えてくれた。
「さあ、早く海へ出発しよう」
「あ……ああ、そうだね」
時雨は流れに任せて、そのままシェーナの隣に座って香とミールも後に続く。
全員、車に乗り込んだのを確認すると、再び目的地へ向けて出発。
順調に軽快な走りを維持しながら柚子は顔を前方に向けたまま、時雨達に話を振る。
「運命の女神様に創造神の女神様か。よくよく考えたら、私のような一般人があの場に助けに入っても、逆に面倒な事態になっていたんだね」
柚子はあおり運転の件で反省の色を見せる。
結果的にはそうだったかもしれないが、柚子の勇気ある行動は決して間違ってはいない。
普段は冗談交じりで時雨を困らせたりするが、意外と熱くなる性格の持ち主で、いざとなれば頼りになる姉であるのを時雨はよく知っている。
「私があんな程度でどうにかなる訳ないだろ。適当にあしらって追い返すつもりだったが、持ち逃げされちまうとはな」
そっぽを向いてキャスティルが愚痴をこぼす。
そういえば、あの連れ去った連中は一体何者なのだろうか。
手際良く車に連れ込まれたが、あれは訓練された動きだ。
「あの連中は米軍だよ。キャスティルは以前、米軍に攻撃を加えた件でマークされていたからね。一応、和解は成立したけど監視は続行。カフテラとデート中に先程のあおり運転と遭遇し問題にもなったからね」
ミールは淡々と経緯を説明すると、その全容が判明する。
以前、東名高速で謎の車炎上事件が発生したとニュースやワイドショーで取り上げられたのを覚えている。たしか運転手は死亡と報じられた。
キャスティルはカフテラの運転するレンタカーでデート中だったが、先程の時雨達のように絡まれて激怒したキャスティルが警告を促した。結果的にキャスティルの警告も虚しく、敵対的な行動を止めなかったので神の世界の規則に則って始末した。
ミュースのキッチンカーが営業しているところで、白衣の男と若い金髪の女性が現れた際にキャスティルを残して時雨と香を帰したが、あの時に米軍と正式な和解が成立したようだ。
「それに加えて、任務中のミュースの下へ訪れた際にも偶然居合わせた時雨君や凛君を始末しようとしたからね」
「あれはカフテラが勝手に……」
「連帯責任だよ。そもそも、君達のデートが招いた種だからね」
あの時ミールが間に入って止めに入ったおかげで、時雨と凛は命拾いをした。
もし、ミールが現れなかったら悲惨な最期を迎えていただろう。
二人の女神による問題行動はミールが処分を下して、キャスティルは一時的にミュースの部下に収まり支援する役割を命じられた。
バツが悪くなったキャスティルは舌打ちすると、処分については甘んじて受ける覚悟だ。
重い空気が流れるこの場を和ませるために、柚子はミールに感謝の言葉を述べる。
「でも、そちらの女神様が車の免許を取得していて助かりました。路肩に停車していたとはいえ、下手をしたら後続車に追突されていたかもしれませんからね」
「ああ……免許ね。創造神だから当然さ」
それまでとは違って、妙に歯切れが悪い感じのミールに胸騒ぎを覚える。
(まさか……)
無免許なのではないかと戦慄が走る。
創造神と言う御大層な肩書きと運転を買って出たので、免許の所持について失念していた。
心のどこかで免許はあるだろうと思い込んでいたのかもしれない。
「おい、ちょっと免許見せろ」
一転してキャスティルがミールに問い詰める。
「たしかここにあったかな。それともこっちだったかな」
ジャージのポケットを探る仕草をしながら、ミールはとぼけた様子だ。
まるで警察官に免許を訊ねられて、その場凌ぎで苦しい言い訳をする運転手だ。
「よいしょ……これでいいかな?」
ミールがポケットから一枚のカード状の物体を取り出すと、自身の顔写真が貼られた免許を高らかに見せる。
それを瞬時に奪ってキャスティルは確認すると、次の瞬間破り捨てる。
「偽造じゃねえか! 免許を魔法の力で創造するな」
免許の破片を拾い上げると、柚子の免許と違ってそれっぽい物に仕上がっていた。




