第268話 親友
戯れから解放された時雨は喉を潤して先程自販機で買ったアイスコーヒーを口にすると、その横からミュースが直立不動でミールに挨拶を交わす。
「ミール様! お知らせを頂けましたら、こちらから参上しましたのに挨拶が遅れて申し訳ありません」
「別にいいよ。今日は海でバカンス……じゃなくてキャスティルの監視がメインだからね」
「なるほど、そうでしたか。お勤めご苦労さまです!」
「おいおい、私は刑務所から出所してきたヤクザじゃないんだから。普段のキャスティルを知っている彼女達が聞いたら変な誤解を招いてしまうよ」
「これは……失礼しました!」
ミールの本音が垣間見えたが、ミュースはそれをスルーしてツッコミも入れず、たじたじになっている。それどころか普段のミュースからは想像できない程の狼狽えた様子で、逆にミールから苦笑いをされてツッコミを入れられる始末だ。
ジャージ姿のとぼけた彼女だが、本当に凄い女神なんだなと改めて痛感する。
「ところで、ここへ来る途中であおり運転に遭遇してね」
「まさか、またキャスティルがやらかしましたか?」
「いや、無抵抗を貫いたよ。以前、私が直接口頭注意を促したから、ちゃんと反省はしているようだ。それでキャスティルを監視していたもう一組があおり運転達を拘束していったよ」
ミールはテーブルにある食べ物を摘みながら、事の顛末をミュースに伝える。
それを聞いたミュースは時雨達に怪我がない事を確認すると、安堵の息を漏らす。
「皆集まっているね」
遅れて加奈が買い物袋をぶら下げながら陽気な声で現れると、凛と紅葉も買い物袋をぶら下げて後に続く。
加奈に至っては帽子を深く被って長耳を隠し、当たり前のようにダークエルフの姿になっている。
「また手鏡を使ったのか」
「せっかく海で水着姿になるんだから、こっちの姿の方が男も寄って来ると思わない?」
「一応、アルバイトが目的だからね」
加奈の男漁りも困ったものだと時雨は呆れ果ててしまう。
この手の出会いは今まで成功した例がないので、また空振りに終わらない事を祈る。
「ふふん、時雨も本当はこっちの姿の方が嬉しいでしょ?」
「別に変わらないよ」
「それは嘘ね。ムッツリな時雨さんはこっちの方が胸も大きいし、スタイルも大人っぽくなってエロいから嬉しい筈よ」
ムッツリと嬉しい部分以外は事実であるが、余計な問題を引き起こさないか心配になって胃が痛くなってしまう。
「男を釣る前に私の水着姿で時雨の心を鷲掴みにしちゃおうかなぁ」
加奈が煽るように香に視線を向けると、香は頬を膨らませて時雨の腕を掴んで見せる。
「時雨ちゃんは私の水着姿で虜になるの!」
「香には私みたいに大人の色香がないからねぇ。きっと私に夢中になるわ」
二人共、本人を差し置いて時雨が虜になるのを前提で話を進めていく。
凛と紅葉は賑やかな三人を微笑ましい様子で窺うと、笑いがこぼれる。
そんな中、シェーナは目を見開いて加奈を見据えていると、涙を流して立ち尽くしてしまう。
「シェーナ、急にどうしたの?」
時雨が異変に気付いてシェーナに声を掛ける。
「いや、彼女が親友にそっくりだったから……すまないが、帽子を少し取ってもらってもいいかな?」
「それはちょっと……」
シェーナが加奈に帽子を取るようにお願いすると、加奈は帽子を両手で押さえて拒否する構えを取る。
帽子を下には長耳が隠れているので、人目に付くのは避けたい。
それでもシェーナは食い下がるように加奈の両手を握って懇願すると、さすがの加奈も参ってしまい折れてしまう。
「わ……分かったよ。ほんの少しだけだからね」
加奈は帽子を取ると、ダークエルフの象徴である長耳が露になる。
帽子から解放された長耳は直立を維持している。
シェーナは顔を近付けて長耳を目に焼き付けるようにすると、その場にへたり込んで涙が止まらない。
「ミュース、シェーナ君を介抱して車まで運んであげなさい」
「わ……分かりました」
ミュースがシェーナの背中を擦るように気持ちを落ち着かせると、シェーナを連れて車へ移動する。
加奈も長耳を隠すために帽子を被り直すと、しばらく沈黙が辺りを包んだ。




