第260話 夏休み
夏休み。
レンタカーを調達した柚子とミュースはすぐ近くの駅前で集合している時雨達の前に現れると、各々の荷物を車に積んでいく。
「よし、じゃあ車に乗って出発しましょう」
柚子が嬉しそうに車の運転席へ着くと、大きな問題に直面する。
(お姉ちゃん、高速走れるのかな)
柚子がペーパードライバーなのだ。
一応、実技と筆記試験はクリアして無事に運転免許証を手に入れているので大丈夫だと思うのだが、高速道路を走らせるのは心配になってしまう。
時雨は身内でもあるので、柚子側の車に乗るつもりだ。
「私はその……女神様の運転テクを見たいから、こっちにするわ」
加奈は実情を把握していたので、いち早くミュース側の助手席を確保する。
その様子に気付いた凛も不審に思いながら、香の言葉が決定打となる。
「柚子さんは最近免許を取得したんだよね」
それを聞いた凛は明らかに顔色が悪くなり、早々とミュース側の後部座席へと駆け込む。
香と紅葉とシェーナはとくに気にする様子もなく、すぐ近くの車に足を運んで乗り込んでいく。
キャスティルが柚子側の助手席に着くと、最後に時雨が柚子側の後部座席に乗り込む。
「忘れ物はないな?」
「大丈夫です」
キャスティルの呼び掛けに時雨達が答えると、車のエンジンが掛かって発進する。
最終的に柚子側は時雨、キャスティル、香、シェーナ。
ミュース側に加奈、凛、紅葉。
ミュースが先行すると、柚子もカーナビを頼りにいざ目的地へ。
「おい、シートベルトをしろ!」
助手席のキャスティルがシートベルトをしていない柚子に気付くと叱咤する。
まだ発進して間もないが慌てて路肩に寄せると、柚子はシートベルトを締め直す。
「いやいや、ごめんなさい。教習以外で人を乗せて運転するのは初めてだし、隣に高名な女神様がいると思うと、どうも緊張しちゃってね」
誰にだって初めての経験はあるだろうし、柚子の気持ちは分からないでもない。
「お姉ちゃん、慌てなくていいから自分のペースを維持して運転しよう」
「だ……大丈夫よ。時雨は心配性ね」
時雨も老婆心ながら柚子を励ますと、柚子は改めて車を発進させる。
柚子としては妹の前で良い格好を示したかったのだろう。
後部座席で隣同士に座る香とシェーナはお互いこの日が初顔合わせ。
香はじっとシェーナの瞳を覗き込むと、何かを確かめるようにギュッと抱き締める。
「本当に反応の仕方が時雨ちゃんみたい。噂通り、モテない男子高校生だったのは本当みたいだね」
香にはシェーナの素性を事前に知らせていた。
いつも時雨とスキンシップする感覚でシェーナと肌を寄せ合うと、大胆な歓迎の挨拶にシェーナは戸惑ってしまう。
「よ……よろしく。香さん」
「香でいいよ。僕もシェーナって呼ぶからね」
香が時雨以外の人でここまで心を許すのは珍しく、まるでお気に入りの人形を手に入れた少女のようにシェーナを気に入ったようだ。
(仲がよろしい事で……)
気まずい雰囲気になるよりかはマシだが、少々妬いてしまう。
そんな二人を見せつけられる時雨の反応を楽しむかのように、香はシェーナの頬にキスをする。
「わっ!?」
「ほんの挨拶だよ。シェーナは見た目が外国人なのにキスに対して耐性があまりないね。それとも僕のキスは嫌だった?」
「そ……そんな事ないよ!? まさかこんな可愛らしい女子高生にキスされるなんて思わなかったから、驚いちゃっただけだよ」
シェーナは頭をフル回転させて香を傷付けないために言葉を選びながら必死に弁明する。
対応の仕方はモテない男子高校生を彷彿とさせる。
「可愛らしいって嬉しい事言ってくれるね。シェーナも僕のここにキスしてよ。それとも、ここにする?」
「いや、それは……キスって言うのは心に決めた人とするものであって、むやみやたらにするのは駄目だよ」
香は自身の頬と唇を差し出して選択を迫る。
どちらもシェーナにとって究極の選択肢。
自論を展開してキスを拒否しようとすると、助手席のキャスティルは耐えかねて一喝する。
「さっきからうるせぇぞ! その口を唇と重ねて黙ってろ」
「すみません」
反射的に何故か時雨が謝ってしまうと、とりあえず二人を引き離して黙らせる。
「おい! 次の交差点を左に曲がったらすぐに高速道路の入り口だぞ」
キャスティルは柚子のナビを手助けするのに手一杯の様子で、柚子に指示を出す。
彼女が運転すればいいのではと思うが、本人は運転免許証を持っていないようだ。
「よし、左折する時は左側のサイドミラーをよく見ろよ。自転車やバイクを巻き込んだら大変だからな」
まるで教習所の教官みたいだ。
柚子は黙って鬼教官の女神の指示に従いながら、高速道路の入口に差し掛かった。




