第237話 ありがとう
予期せぬ女神の登場に時雨は飴玉の件で文句の一つでも言いたかったが、それを許してくれる暇を与えてはくれなかった。
「私の見立てでは怪我もないし、授業をサボってやがったな!」
実際、飴玉の効力を恐れて保健室へ退避しただけので、反論はできない。
加奈に至ってはダークエルフの姿になる必要性もなかったので、キャスティルは凄い目力で加奈を睨む。
「それにお前、ミュースの作った手鏡を使ったな。アレは授業をサボって遊ぶための道具じゃねえぞ!」
それに関しては時雨も同意見だ。
声を張り上げて叱責するキャスティルに加奈は視線をずらして言い訳を並べる。
「それはその……勉強で根気詰まった空気感をリフレッシュするためにガス抜きにいいかなぁと思いまして」
「お前なぁ……」
キャスティルの怒りが頂点に達する。
この場を切り抜ける苦しい言い訳はかえって逆効果もいいところだ。
これはまずいと判断した時雨は思い切って前に出る。
「私が加奈に頼んでやってもらいました。ほら、あの長耳とかとてもキュートで可愛らしいじゃありませんか。動物好きの私としては我慢できずにモフらせてくれと頼み込んでしまい、お騒がせしてすみませんでした」
そう言い切った時雨は愛想笑いを浮かべながら、キャスティルの怒りを鎮めるために一役買ってみせる。このまま無駄に怒りを増幅させたら、どのような行動に移すか分かったものではないからだ。
そんな時雨の胸中を察して凛も後に続く。
「先輩として私から二人に注意しておきますので、どうか怒りを鎮めて下さい。ほら、風紀委員の紅葉も何か一言お願い」
「えっ……ああ、そうだな」
急に話を振られた紅葉は目の前にいるスーツジャケットを着たキャスティルと時雨がそのような発言をするとは信じられずに呆然と眺めていた。
紅葉にしてみれば、キャスティルは時雨達と面識のある人物のようだが、学校の教師ではないし 風紀委員の立場としてはこちらを深く掘り下げたいと思っている。
その場にいる全員が頭を下げると、キャスティルは行き場を失った怒りが徐々に収まり、頭を掻きながら下がらせる。
「もういい! さっさと授業へ戻れ」
凛と紅葉はそのまま体育館へ戻り、時雨は食堂の自販機から炭酸飲料を買って加奈に飲ませて保健室を後にする。
誰もいない廊下を二人っきりで歩くと、加奈のしゅんとした声が耳に届く。
「時雨、何であんな事を言ったの? 動物好きでモフらせてくれって……」
「ああでも言わないと、あの人怒り狂って騒ぎになるだろ。結果的に凛先輩もフォローしてくれて助かったけど、今後は手鏡の使用を考えて……ね?」
時雨が照れながら簡潔に理由を述べて、悪戯好きの加奈には無意味かもしれない毎度の注意も兼ねて言葉にしようとすると、加奈はそっと時雨の背後に立って時雨の胸を揉む。
「わわっ!? 加奈、何するの」
「時雨の癖にカッコいい真似は似合わないぞ。私に悪戯されて困った顔をする時雨じゃないとね」
不意打ちで胸を揉まれると、時雨の悲鳴が廊下に響き渡り教室で授業中の教師や生徒達が何事かと顔を覗かせる。
騒ぎに気付いた担任は二人を教室で口頭注意すると、加奈は解放された後に小さく時雨に向かって「ありがとう」と呟いた。




