第19話 カラオケ
人通りが多い駅前に、目当てのカラオケ屋を見つけると入店して簡単に受付を済ませる。
店員から指定されたカラオケルームに案内されると、時雨はソファーに座ってくつろぐ。
香は早速、備え付けのデンモクを操作して歌いたい曲を慣れた手付きで入れていく。
「じゃあ、歌っていくぜ!?」
曲が流れ始めると、香はテンションを上げて熱唱する。
小学生の頃、香と初めてカラオケ屋に訪れた時は誰にも迷惑を掛けず手軽に思いっきり歌える施設があるのかと驚かされた。
マイク等の音響機材は前世の世界にある筈もなく、時雨の小学生時代は新たな発見の日々が続いた。
一巡して熱唱が終わると、時雨は拍手して場を盛り上げる。
「今日も絶好調だね」
「ありがとう。私ばかり歌うのも悪いから、今度は時雨の番だよ」
「いや……私の事は気にしなくていいから、香の好きな曲を歌うといいよ」
「もう、時雨はいつもそうなんだから。たまには傍観者を気取ってないで歌ってよ」
香はマイクを時雨に渡すと、喉を潤すためにオプションで追加したドリンクバーのコーナーにお茶を取りに行く。
(まいったなぁ……)
正直に言うと、時雨は人前で歌ったりするのは苦手だ。
あくまで、香のストレス発散に付き合っているだけなので、彼女が満足すればそれでよかった。
悩んだ末に、時雨はよく視聴しているボカロの曲を入れると、香が戻って来た。
「曲は決まったようだね。時雨の美声に酔いながら、お茶を楽しむとしますか」
今度は香がソファーに座ると、時雨がマイクを握り締めて曲が流れ始めた。
滑り出しは緊張して、かすれた声になってしまったが、サビに突入する頃には調子を取り戻して、いつの間にか何曲も熱唱していた。
歌い終わる頃には独自の決めポーズを取りながら、時雨は完全に自分の世界に入り込んでいた。
「調子が出てきたね。今度は二人でデュエットしよう」
「いいよ! 一緒に歌おう」
香はマイクを持って時雨の隣に立つと、二人のテンションは最高潮に達していた。
腹の底から声を出すのは気持ちが良いものだ。
今まで歌は吟遊詩人の専売特許だと思っていたが、この世界で体験する全ての出来事は時雨の価値観を塗り替えていく。
時雨は隣で熱唱している香に一瞬視線を移すと、心の内で感謝する。
(楽しい思い出をありがとう)
サビを歌い切ると、二人はやりきった感で満たされてマイクを握り締めたまま、ソファーに座った。
二人は一息入れようとすると、部屋の扉が開かれて店員がカートを押してやってきた。
香は部屋を取る際、事前にパンケーキを注文していたようで、二人分のパンケーキがカートに乗せてあった。
店員は一礼して去って行くと、甘い香りがカラオケルームを包み込んだ。