第183話 赤髪・黒髪の女性
何事かと思って悲鳴があった方向へ視線を向けると、先程の女性客の一人がミュースの胸倉を掴んで穏やかではない状況に陥っていた。
「お前、私が頼んだ仕事はどうした? こんな場所で油売っている余裕はない筈なんだがなぁ」
「あれはその……上層部から最重要課題の通達がなされたので後回しに」
どうやら女性はミュースと面識があるようで、長髪の赤髪が逆立つと、まるで怒りに呼応しているかのように見える。
「ちょっと止めに入ってきます」
「そう言うと思った。私も一緒に行くわ」
騎士として困った人を見過ごす事ができない性格の時雨は迷わず間に入って止めに入ろうとする。凛も長年傍で仕えてくれた騎士の性格はよく熟知しているので、やれやれと言わんばかりに後に続く。
二人は足早にキャンピングカーへ近寄ろうとすると、距離を半分まで縮めたところで足を止めてしまった。女性から放たれている闘気に圧倒されてしまったからだ。
(な……何なんだ。あの人は!)
騎士としての直感が囁く。
安易に踏み込めば、死を招く。
それは凛も同様で、相手の力量差は絶望的なものだと理解する。
時雨達に気付いたもう一人の女性が歩み寄ると、黒髪を掻き分けて面倒臭そうに対処する。
「お嬢さん達、見世物じゃないんだ。悪い事は言わないからこの場から散ってくれ」
「私は彼女の知り合いなので……このまま見過ごす事はできません」
時雨は毅然とした態度で臨むと、黒髪の女性は深い溜息をつく。
そのまま無視して一歩足を踏み出すと、黒髪の女性は警告とも取れる言葉を発する。
「それ以上、我々に関与するなら少し痛い目に遭うよ?」
時雨は引き下がらずに黒髪の女性を無視すると、左肩を掴まれてそのまま地面に叩きつけられる。
咄嗟に受け身を取って大怪我は免れたが、身体の節々から痛みの悲鳴が上がる。
とくに左腕は激痛が走って思うように動けない。
「凛先輩! 逃げて下さい」
時雨は必死に声を張り上げて凛に逃走を促す。
この黒髪の女性も尋常じゃない強さの持ち主であり、如何に凛が全国大会出場経験のある剣の腕でも勝てないと悟ってしまう。
ここで凛に怪我を負わせてしまっては前世の二の舞である。
凛は黒髪の女性と間合いを取ると、時雨を助け出そうと試みる。
「時雨から手を放しなさい!」
「ここから引き下がるなら考えてやってもいいが、その様子だと私の警告も無駄のようだな」
時雨を人質にするように立ち塞がると、黒髪を掻き分けて煩わしい表情を浮かべる。
「駄目だ! 私の事は構わずに逃げて下さい。またあの時のような惨めな想いはしたくないんです」
悲痛な声で時雨が叫ぶと、涙がこぼれ落ちる。
「また時雨と一緒に最期を迎えられるなら、それも悪くないよ。私達に手を出す輩はたとえ悪魔や神でも絶対に許さないわ」
「……そうか。覚悟を決めた人間に何を言っても無駄のようだ。そこのお嬢さんと一緒に弔ってやるのが私なりのせめてもの情けだ」
黒髪の女性は凛と向かい合うと、地面を蹴って一瞬にして間合いを詰める。
それに反応する凛は果敢な攻めに転じるが、片手で首根っこを掴まれて持ち上げられてしまうと、足を宙でバタバタさせながら抵抗して苦しそうにもがく。
「じゃあな」
もう二度と出会えない不吉な魔法の言葉――。
それが凛と最期になってしまいそうな予感がした。
体当たりでもいい。何でもいいから、救い出す手段を講じないと大切な人がこの世からいなくなってしまう。
時雨は這いずりながら痛みを堪えて駆け寄ろうとするが間に合わない。
「凛先輩!」
割れんばかりの声で時雨が叫ぶ。
もう駄目だと思った瞬間、背後から音もなく気配が現れる。
「カフテラ、そこまでですよ」
黒いフードを被った女性がカフテラと呼ばれる黒髪の女性の腕を掴んで制止する。
一瞬、目を見開いて驚いた様子のカフテラだったが、すぐに冷静になって問い掛ける。
「あんたが何でここにいる?」
「この子達は私の管轄下に置かれている者達だよ。彼女達はミュースを救い出すために動いてくれた心優しい子だ。そんな彼女達に暴力で訴えるのはよろしくないよ?」
「でもよ……」
カフテラが慌てふためいて反論しようとすると、黒いフードの女性はそれ以上何も言わずにカフテラの反応をじっと観察する。
「すまん、私が悪かったよ」
「分かってもらえて嬉しいわ。貴女のそんな素直なところは私好きですよ」
罰が悪そうにカフテラは凛を解放すると、凛は膝を付いて咳込む。
呼吸を整えて徐々に顔色の血色も良くなり、命に別状はなさそうだ。
「時雨さん、凛さん。怖い思いをさせてごめんなさい。もう一人暴れている彼女もここに連れて謝らせるので待ってて下さいね」
黒いフードの女性は時雨と凛の名前を告げると、多分女神なのだろうと察しが付く。
凛が首を押えながら時雨に駆け寄ると、怪我の具合を診る。
「時雨、怪我は大丈夫?」
「それはこちらの台詞です!? 私は逃げろと言ったのに、あのまま凛先輩が死んだら私はもうどうしたらいいか……」
「ごめんなさい……でも、時雨を置いて行くなんてできなかった。もし逃げたら、あの時の後悔が蘇ってしまいそうで嫌だったの」
時雨は涙ながらに凛に抱きついて心に溜まっていた言葉を述べると、凛も想いをぶつけて互いの無事を喜び合った。