第173話 誤算
採点を続けている凛は時雨達から視線が外れると、時雨はパソコンのブルーレイ再生ソフトを起動させる。
「何か二人っきりになる妙案でも浮かんだのですか?」
「まあね。今からそれを実践するつもりだよ」
優奈が不思議そうに傍に寄って何をしているのか訊ねると、自信満々に時雨は答える。
「疑う訳じゃありませんが、本当に大丈夫なんでしょうね?」
「大丈夫。私と凛先輩とは付き合いも長いし、絶対に成功する」
今までの時雨の失態を目にしてきた優奈にとって、時雨のどこから湧いて出ているのか分からない自信に不安を覚える。
汚名返上、名誉挽回を果たそうじゃないか。
準備を整えると、時雨は採点を続けている凛にパソコン画面が見える位置に誘導する。
「凛さん。採点しながらでいいので、こちらをご覧下さい」
「あら、一体何かしら?」
凛が顔を上げると、興味を示してパソコン画面に視線を移す。
絶対の自信を見せる時雨に、優奈も何が始まるのだろうかと期待を膨らませてしまう。
時雨が今から見せるのは凛と以前映画館で上映していたホラー映画の海外ドラマ版だ。
駅前のレンタルショップ店を訪れた時、偶然目に留まって凛が気に入っていたので試しにレンタルしていたのだ。
海外ドラマ版も評価は上々で、視聴者の中には途中で気絶する者もいるらしく、ホラー好きにはたまらない作品に仕上がっていると言う意見もネットで書き込みされていた。
時雨の作戦はホラー好きの耐性が低い凛にこちらを視聴させて、気絶させる算段だ。
雰囲気を演出するために、窓のカーテンを閉めて部屋を暗くすると、滞りなく物語は始まった。
「このドラマシリーズも気になっていたのよ。こんな形で見られるなんてラッキーだわ」
凛は喜びの声を上げると、時雨の予想通り喰い付いてくれた。
時雨も視聴済みだが、開幕から恐怖を煽るような演出の連続で噂通りの出来上がりだ。
「キャァァァ!?」
悲鳴にも似た女子の声が部屋に響くと、床にバタッと倒れる音がする。
(凛先輩……申し訳ありません)
これも元の姿に戻るための必要な犠牲なのだと、時雨は心の内で凛に謝罪する。
とりあえず、一旦ドラマの視聴を止めると、後は凛が気絶している間に優奈と元に戻るだけだ。
カーテンも開けようとすると、時雨の背後からありえない声が耳に入る。
「時雨、凄い声だったけど大丈夫? 怖かったら、私が傍にいるからね」
凛の声だ。
悲鳴を上げて気絶したと思われる凛の声がどうして聞こえるのだろうか。
暗くて何も見えないが、凛は時雨を気遣うような台詞を吐いたのがヒントになって時雨は嫌な予感がした。
カーテンをゆっくり開けて窓から陽の光が差し込むと、時雨の姿をした優奈がひっくり返って気絶していた。
「これはどういう……」
凛は縮こまって震えていると、気絶している時雨の姿をした優奈に驚いてしまう。
映画館ではホラー耐性がある時雨を知っているので、目の前で気絶している時雨の姿に懐疑的な目を向ける。
そして次にエルフ姿の時雨を見つめると、何かを確信したようで不敵な笑みを浮かべる。
「ユナさん。少し変な質問をしてもいいですか?」
「はい、どうぞ……」
観念したように時雨が言うと、作戦は失敗に終わった。
凛は距離を縮めて顔を近付けると、次の瞬間信じられない行動に移す。
時雨の唇に大胆にもキスをしたのだ。
以前にも、本屋で誰も見ていないところで壁際まで押し込まれて、あの時のキスの感触を鮮明に思い出す。
それだけではない。
まるで時雨の脳裏に再生ソフトの映像が直接的に流れ込むような感じで、凛が自宅のタワーマンションでソファーのクッションに抱きついて胸の内をさらけ出す。
「今日も時雨は可愛かったわぁ。女の子になって、一段と初々しい感じがたまらない。時雨は私を優等生のお嬢様としか認識していないから、もう少し積極的にアプローチしてみようかしら。ふふっ……時雨の視線が定まらない顔が目に浮かぶわぁ」
脳内の再生された映像は次々と移り変わり、全て時雨を想う気持ちについてのものだ。
そういえば、ダークエルフの姿だった加奈が時雨にキスした時も食事を味わうような感じだったり、加奈と優奈が仲直りにキスした時もお互いの感情が流れ込んで分かり合えたのも、エルフ族に備わっている独特な感性によるものだ。
(凛先輩の全てが私に流れてくる!?)
甘酸っぱいようで心温まる感情が時雨を満たしていくと、時雨は長耳がムズムズしてニット帽を思わず外してしまう。
ピンと立った長耳を凛は優しく撫でると、時雨はさらに身体が高揚感に満たされて熱くなっていく。
(おかしくなりそう……)
しばらく凛と狂ったようにキスを交わすと、頭の中が徐々に真っ白になって、全身に力が入らなくなる。
そして強烈な眠気が時雨を襲って意識を失いかけると、凛は時雨と優奈をベッドの上に運んだ。
「ふふっ、お休みなさい」
その言葉を最後に時雨は「凛先輩」とうわ言を言って完全に眠りに落ちた。