第162話 対抗意識
次の日、楽しかったゴールデンウィークも終わりを告げて、いつもの学校生活が始まった。
「時雨ちゃん、おはよう」
元気な声で香が迎えに来ると、今日も元気に手を繋いで登校する。
「おはよう。あっ、ちょっとそのままでいてね」
時雨は香の前髪の寝癖を整えてあげると、香は照れ臭そうにお礼を言う。
「えへへ、時雨ちゃん、ありがとう」
「どういたしまして」
頭を軽く撫であげると、香は嬉しそうに抱きついてみせる。
そんな調子で学校の校門を潜って教室に入ると、香は思わず同級生達がいる前でいつもの調子で時雨とお喋りをする。
「今日は二限目から体育かぁ。僕は体を動かした後って眠くなるから嫌だなぁ」
「あっ、香ちゃん」
時雨は香の一人称が『僕』になっているのに気付くと、時雨も『ちゃん』付けで呼んでいる事に気付いた時には遅かった。
「香が僕っ子になって可愛いし、時雨も距離感を深めて香ちゃんって言ってる」
まるで水を得た魚のように同級生達が時雨と香に群がると、可愛らしい、抱きしめたい、キュン死する、ヤバい、結婚したい等の声が飛び交う。
香は困惑した顔になると、手をもじもじさせながら同級生達に訊ねる。
「そ……そうかな?」
「香は一人称が『私』や一時期『あーし』って言ってたけど、『僕』は愛嬌があって全然ありだよ」
高校に入学した当初は一時期の間、香は一人称を『あーし』と呼んでいた。
ギャル感は増したが、慣れない言葉に無理しているのが伝わって、自然と『私』に戻っていった。
香の前世が八歳の男の子だったと本当の事は言えないので、時雨は適当にフォローして誤魔化す。
「やっぱり私の目に狂いはなかったね。香ちゃんは僕っ子の方が可愛いよ」
キザな台詞と共に香の顔を直視すると、同級生達から朝っぱらから見せつけて熱いねとヤジが飛んできた。
上手く誤魔化せたと思うと、予鈴が鳴ったと同時に加奈が教室に滑り込んだ。
昨日の帰り際に加奈はコーラを一気飲みして元の姿に戻ると、魔法具である手鏡はエルフ族で預かると申し出て手渡した。
加奈の事だから、目立つためにダークエルフ姿で学校へ登校しないだろうかと手渡した後で心配になったが、元の姿の加奈で一安心する。
「おや? 何か集まっているみたいだけど、何かあったの?」
遅刻ギリギリの加奈は席に鞄を置くと、同級生の一人が経緯を伝えると面白いネタを掴んだとばかりにニヤニヤする。
「コホン、僕は山下加奈だよ。時雨ちゃん、どうかな?」
咳払いと共に裏声で唐突な自己紹介をする加奈に対して、時雨の率直な感想は可愛さが微塵もないなと思う。
それは香や周囲にいた同級生達も同様のようで、可愛くない、抱くのはNG、爆死する、離婚したいと散々な声が上がった。
「ちょっと!? 散々な事を言ってくれたけど、それはないっしょ」
加奈はしょんぼりして肩を落とすと、予鈴が鳴り終えて担任と共にもう一人見知らぬ男性が教室に入って来た。
男性の年齢は三十代前半ぐらいでスーツ姿の清潔感があるイケメンだ。
女子生徒達からの印象は好評で、いつもの簡単なHRはざわつくと、最後に担任から自己紹介の挨拶が始められた。
「じゃあ、片岡先生。生徒達に自己紹介をお願いします」
「はい」
爽やかな声で返事をすると、男性は黒板に名前を書いた。
「本年度からこちらの学校に赴任した片岡満と言います。このクラスの副担任を務めさせてもらいますので、よろしくお願いします」
女子生徒達からは盛大な拍手でもて成されると、カッコいい、抱かれたい、ハートを撃ち抜かれそう、結婚届を提出したいと評価は上々だ。
対して時雨はたしかにカッコいい人だなと拍手で迎え入れるが、特にそれ以上の思い入れはなかった。
「顔と名前を覚えるために、今から出席を取りますね」
片岡はにこやかな笑顔で出席名簿を広げると、一人ずつ名前を読み上げて顔を確かめていく。
時雨は名前を呼ばれて返事をすると、社交辞令で作り笑顔を浮かべて一礼する。
順調に出席は進められると、香の名前を読み上げられた。
「笹山香さん」
「あっ……はい」
「ふふ、良い返事ですね」
他の女子生徒達には名前のみ読み上げるしかなかったが、片岡は香だけ一言添えて意味深な笑みを浮かべる。
(何だあの先生……香ちゃんにだけ馴れ馴れしいな)
何事もなかったように出席は最後まで終えると、結局香以外は顔と名前を確認するだけだった。
妙な対抗意識が芽生えると、一限目を知らせる予鈴が鳴り始めて担任はさっさと教室から退出すると片岡は香に小さく手を振って教室を去って行った。




