第158話 炭酸飲料
雨も上がって、時雨達は駅前のファミレスで昼食を取ろうとしていた。
時雨は足を怪我しているのでパスしようかと思ったが、機転を利かせて優奈が回復の魔法を唱えてみせた。
すると、腫れ上がった足の痛みは完全に引いて完治させてしまった。
その場にいた一同は驚いてしまうと、優奈自身も信じられない様子だった。
まさか、魔法が存在しない世界で扱えるとは想像もしていなかったからだ。
時雨達は席に着くと、楽しそうに料理を選んでいく。
「へぇ、まさか生のエルフとダークエルフを見られるなんてねぇ」
柚子は関心した声で加奈と柚子を見比べている。
時雨の懸命な説得も甲斐あって、誤解はすぐに解けた。
「ちなみに人間年齢で換算すると、二人は何歳なの? ほら、エルフ族って長寿な種族で見た目から年齢が判別し難いからさ」
「私は当時十六で亡くなったので、今の姿は十六です」
優奈が遠慮がちに言うと、年齢の割には大人びている。
大抵のエルフ族は十代後半で身体の成長は止まってしまうようで、百歳を過ぎた辺りから老化の現象が緩やかに始まり、平均寿命は三百歳前後らしい。
「なるほど、じゃあ千歳を超えるエルフって実際にいないのか」
「さすがに千歳はファンタジーの世界観ですよ」
優奈は笑って答えると、運ばれた料理に手を付けていく。
それでも人間と比べて倍以上の寿命があるので、三百歳は途方もない数字に変わりはない。
「私は……正確に年齢を数えてこなかったから、分からないや」
加奈がしんみり言うと、どこか寂しそうな表情を浮かべている。生きる事で精一杯だった加奈にとって年齢を計算できるほど、余裕のある暮らしはできなかった。
「お姉さんも年齢なんて女性に訊ねるものじゃないですよ」
「あはは、これは失敬。でも、元に戻る方法が分からないと困っちゃうわね」
「そういえば、あの時加奈は元の姿に戻れたけど何でだろう?」
時雨が首を傾げると、優奈に刺されそうになった時に元の姿へ戻れた。
優奈の件でそれどころではなくなっていたので、深く考えてはいなかった。
元の姿に戻れる条件を満たしているのは確実なのだが、それが何なのか見当も付かない。
「それは簡単な話ですよ」
優奈が料理に舌鼓を打つと、長耳を上下に揺らしながら答える。
加奈も料理を摘みながら、長耳を左右に動かしていると、香が目を輝かせて二人の長耳に喰い付いてスマホでその様子を収めようとする。
時雨は思わず息を呑んでしまうと、優奈は答えを言葉にする。
「炭酸飲料を口にすれば、元に戻りますよ。私も昔、エルフの古い伝統儀式で似たような魔法具を取り扱った事がありまして、魔法具の解除用に錬金術師へ炭酸水の精製を依頼した事はあります」
「なるほど、炭酸飲料か」
時雨は納得すると、加奈は喫茶店で貰ったラムネをその場で飲んでいた。
おそらく、刺される瞬間に時間差で魔法が解けたのだろう。
前世の世界では炭酸水が市場に出回っている事は少なく、錬金術師か魔法使いに依頼して精製するのが主流だったのに対して、今の世界は自販機のボタン一つで簡単に入手できる。
「じゃあ、今ここでコーラとか飲んだら元に戻っちゃうのね」
「そういう事です。さすがに公衆の面前で元に戻ったら大変ですので、後で時雨さんの自宅を借りて元に戻ります」
それが懸命だろうと時雨は納得する。
元に戻る方法も解決して、時雨達は一安心する。
「ごめん、ちょっと席を外すね」
柚子のスマホが鳴ると、席を立って誰かと電話を始める。
「あの様子だと彼氏かな?」
「それはないよ。お姉ちゃんは彼氏じゃなくて彼女と付き合っているからね」
「えっ! それは初耳だよ」
加奈が興味津々に柚子を遠目で見ながら予想を立てる。
さすがの加奈も予想外だったようで、優奈も一緒に驚いてしまった。
しばらくすると、柚子は慌ただしく荷物をまとめて財布から一万円を置く。
「ごめんね。ちょっと用事ができちゃったから、これで好きな物頼んでよ」
「諭吉様を……お姉さん、ありがとうございます! ほら、優奈も一緒に」
「あ……ありがとうございます」
「いいのよ。とても貴重な話も聞けたし、むしろ私の方が感謝したいぐらいよ。おっと、そろそろ行かないと……じゃあ、ゆっくりしていってね」
柚子は時雨達に手を振って店を出ると、加奈は姿勢を正して柚子を見送る。
それに倣って優奈も後に続くと、おそらくエルフとダークエルフの両人から見送られた最初の人は柚子だろうなと時雨は思った。