第134話 手鏡②
時雨は思わず自身の身体を入念に隅々まで触ると、膨らみのある胸と下腹部を確認して鏑木時雨であるのに変わりはなかった。
焦りはしたが、安心と残念な気持ちの半々な気持ちが交錯してしまう。
時雨の様子を行き交う人々が不審な目で見ると、それに気付いた時雨は我に返ってその場から逃げ出すように退散する。
結局、女性の売り子は見つからずに手鏡は手に握り締めたままでいると、香と約束した時計台を目指して、時雨を呼びかける声が聞こえてくる。
「時雨ちゃん、こっちだよぉ」
人混みを通り抜けると、そこにいたのは大きく手を振っている香だ。
時雨は香に駆け寄ると、香は無邪気な笑顔で爪楊枝の刺さったたこ焼きを差し出して食べさせようとする。
「たこ焼き美味しいよ。冷めない内に召し上がれ」
「ありがとう。一ついただくよ」
時雨はたこ焼きを口の中で頬張ると、ソースの甘味とたこの弾力が口一杯に広がる。
ペットボトルのお茶も用意してくれていたようで、お茶を流し込んで一息入れる。
「ふぅ、とても美味しいよ。もう一つもらってもいいかな?」
「一つと言わずに、遠慮しないで沢山食べてね」
香は嬉しそうに次のたこ焼きを時雨に食べさせてあげると、時雨はお言葉に甘えてたこ焼きの味を堪能する。
「そういえば、その手に持っているのは?」
「手鏡だよ。さっき売り子の女性に勧められたけど、いつの間にか売り子の女性はどこかに消えて持ち出したままだから参ったよ」
時雨は簡単に経緯を説明すると、手鏡を香に見せてあげた。
「あまり可愛いデザインじゃないね。手鏡なら、私の使っていない物を時雨ちゃんにあげる」
「別にいいよ」
「時雨ちゃんは女の子だから、手鏡の一つもあればきっと今よりもっと可愛くなれるよ」
時雨は化粧品の類に興味はなく、女性の色恋沙汰を含めた会話は苦手だ。
香も元々は時雨と同じく男だったのに、化粧品も上手に使いこなして色恋沙汰も喰い付く普通の女子高生と変わらないでいる。
「香ちゃんはその……私と違って女子トークに花が咲くけど、本当に女の子みたいだよ」
時雨は素直な感想を述べると、香を羨ましく思う。
時雨と違って繊細で女性としての生活を楽しんでいるように見えるからだ。
「ふふっ、過去はどうあれ今は私達女の子だよ。女の子だけど、女の子が好きな百合。それが今の私達であって時雨ちゃんも受け入れるといいよ」
香は持論を展開すると、時雨の手を自身の胸に当てて見せる。
時雨の口元に青のりが付いているのに気付くと、香は顔を口元に近付けて舌を出す。
舌は時雨の口元に付いていた青のりを取り除く。
「なっ!? また急に変な事を……」
「時雨ちゃんは凄く敏感だね。僕、ちょっとその気にさせたくなってきたよ」
香が耳元で囁くと、一人称が僕になって息遣いが荒い。
今朝の神社と違って、今は行き交う人々で溢れ返っている。
時雨は咄嗟に香から離れると、両手を前に出して制止する。
「はい、そこまで!? もう同じ手は二度も通用しないよ」
「えっー、もう一回だけ」
「駄目!?」
時雨は思いっきり首を横に振る。
香は一本の人差し指を立てて強請るが、時雨の強固な意志は崩れなかった。