第128話 香の朝食
時雨は洗面所で顔を洗うと、予定より早いが朝食を取る事にする。
タオルで顔を拭くと、背後から人の気配がする。
「だーれだ?」
朝っぱらからテンションの高い声で両手を使って時雨の視界を奪う人物は一人しか心当たりがいない。
「お姉ちゃん、もう起きたんだ」
「正解。時雨のお姉ちゃんだよ」
柚子は視界を遮っていた両手を広げると、お茶目な台詞で朝の挨拶を交わす。
柚子も洗面所で顔を洗うと、時雨は新品のタオルを傍に置いて一言添える。
「タオル置いておくよ」
香を台所の食卓で待たせているので、その場を後にする。
軽く背伸びをして体をほぐすと、台所から食欲をそそる良い匂いがしてきた。
両親は今日まで実家の方に帰省中なので、誰も料理を作れる人物はいない筈だ。
まさかと思って勢いよく台所へ向かうと、そこには香がエプロン姿で味噌汁の味見をしている姿があった。
「これは……シャインが作っているのか?」
「少し待ってね。ご飯ももう少しで炊けるから」
笑顔を向ける香は時雨を食卓のテーブルに座らせる。
夢でも見ているのかと思って、時雨は自分の顔を軽くつねってみたが痛みは感じられるのでこれが現実なのは確かのようだ。
(料理を作っているだと!?)
にわかに信じられないが、香が一人で料理をしている。
香の両親が不在の時はスーパーの総菜や出来合いの物で済ませているのだが、たまに時雨が香の家で簡単な料理を振る舞ったりしていた。
香の料理の腕は目玉焼きを作れる程度だった筈だが、目の前で起こっている事に驚きを隠せないでいる。
「お待たせー」
香の元気ある声と共に、トレイには茶碗に盛られた白米とお椀にワカメと豆腐の味噌汁が美味しそうな匂いで時雨の前に並べられる。
「どうぞ召し上がれ」
「い……いただきます」
香に勧められると、時雨は食前の挨拶を済ませて味噌汁に手を付ける。
ここでお約束なのが、味噌汁に出汁が入ってなかったりするのではと不安に駆られる。
香には少々天然な部分がある。
家庭科の授業で香と加奈と一緒にクッキーを作る機会があったのだが、出来上がったクッキーを試食すると砂糖と塩を間違えて塩っぱかった思い出がある。
香は甘いクッキーを食べたいと願い出て、通常より多めに砂糖を入れたつもりが塩を足していた。
時雨は目を瞑って味噌汁を口にすると、意外にも普通に美味しい味噌汁だった。
「あっ、これ美味しいよ。本当にシャインが一人で作ったんだよね?」
「うん! お兄ちゃんのために頑張って作ったんだよ。美味しいって言ってくれて嬉しいなぁ」
香はトレイでテレ顔を隠すと、まるで我が子の成長を嬉しく思う親になった気分だ。
白米もふっくら炊けており、箸が進んであっという間に平らげる。
「ごちそうさま。とても美味しかったよ」
時雨は素直な感想を述べると、香の頭を軽く撫でてみせる。
「僕でよければ、また作ってあげるね」
香は飛び跳ねるようにして時雨に力強く抱きつく。
余程嬉しかったのか、しばらくその状態が続くと、タイミングを見計らって咳払いをしながら柚子が現れた。
「時雨……あんた香ちゃんが純粋だからって『お兄ちゃん』呼ばわりさせるとは変わった性癖ね」
どうやら、二人の会話を途中から聞いていたらしく、妙な誤解を招いてしまっている。