第105話 虜
「証明はこれでいいですか?」
身体をゆっくり起こして、時雨は確認を行う。
初恋の相手にためらいながらも告白をすると、抑制していた自我が研ぎ澄まされていた。
「君がこんな大胆な奴だったとは……」
紅葉は顔を真っ赤にさせて、先程までキスしていた唇に手を添える。
前世で冷え切った結婚生活をしていた紅葉にとって、時雨のキスは情熱的で自分を愛してくれていると肌で感じ取る事ができた。
それだけに、どうしてもっと早く告白してくれなかったのだろうと紅葉は憤りを覚える。
「前世で告白しなかったのは私が貴族令嬢だったからか?」
「貧乏な平民出身の私と裕福な貴族令嬢のお嬢様では釣り合わないのは誰が見ても明白でしたし、心のどこかで諦めていました。私にとって、稽古中のあなたと一緒にいる時が幸せでした」
「そうか……私は全然気付かなかったよ。私と君では年齢が一回り以上離れていたし、他に好きな娘がいると勝手に思っていた」
紅葉の中で時雨は物静かで、あまり自分の事を話さない印象があった。
それは貴族の子息が通う士官学校に平民出身の時雨が弱みを握らせないための予防策だと思っていたからだ。居心地の悪い士官学校時代を過ごした時雨だが、剣の腕前は誰よりも秀でていたし、筆記試験も優秀な成績を収めて何かと目を掛けてきた。
「君の気持ちは嬉しい。私は……君と付き合うよ。お互いの事をもっと時間を掛けて理解し合いたい」
「紅葉先輩……ありがとうございます! まるで夢見たいです」
紅葉は手を差し伸べると、時雨は力強く両手で握ってみせる。
夢にまで見た初恋の人からOKのサインをもらうと、胸の高鳴りは収まらずにいる。
吹っ切れた紅葉のお腹の虫が鳴ると、パンケーキも半分以上残して店を出てしまったため、小腹が空いていた。
「朝食の代わりに先程のパンケーキで済ませようと思っていたのだが、どこか食事ができる場所で話の続きをしようか」
「それでしたら、駅前にあるファミレスで何か食べましょうか」
二人は荷物をまとめてベンチから立ち上がると、時雨はそっと手を差し伸べる。
「行きましょうか」
「うん」
紅葉は差し伸べられた手を握ると、前世の社交界で手を差し伸べて来た貴族達とは比べられない程の優越感に浸る事ができた。
できる事なら、ずっとこのままでいたい――。
そんな思いが紅葉の心を虜にした。