誓いと誓い
『魔物との戦闘に移る。』
掠れた声が荒野の真夜中の空気に響く。
フードの人は構えていた剣を腰に帯刀すると森林の中へと歩き出す。
自身の耐久値を把握出来るようになるのに既に10日もかかった。
ようやくフードの人とまともに撃ちあえる様になってきて、いくつかのスキルを更に会得した。
無言で歩く後を追う中、荒野と森林の境に設けた拠点にはモンスターを見なかった事を思い出す。
木々が湿気を帯び、重い空気が周囲を満たした。
『今から私は姿を隠す。向かってくるモンスターは全て殺せ。』
問答無用でそれだけいうと躊躇いも無く、来た道を引き返していく。
『はい。』
フードの人が木々の間に気配を消す。
夜の森は木々のせいで星の光もなく闇の様にあたりは暗かった。暗いまま道を辿ってきたため、目は慣れているが、どうしても視野は狭くなり、音が良く響いた。
腰の皮鞘から紫のオーラを纏った剣を引き抜き構えるのと同時に急に木々の間から何かの息遣いが聞こえてくる。
小さな黄色い光が木から木へと一瞬映る。
目の神経が視界の映像を遅れて脳へ届かせるため残像となった光の残滓が、蠢いてるように感じた。
囲まれている。
フードの人がいることでモンスター達が寄ってこなかっただけ。
モンスターは歩いている時からそこら中で息を殺して待っていた。獲物を狩る瞬間を。
『オーダーペイン。』
自身のエレメントへ痛覚の遮断を命じる。遮断された機能を動体視力へと回す。
『オーダーアパシー。』
エレメントは生命の根幹。魔力であり生命力。
命のやり取りをしている時にどうしても生じる恐怖を感情から排除する。
エレメントは受諾し、恐怖という感情を一時的にいらないものと認識する。
恐怖から解放され、焦りや不安が薄れていく。
囲まれている事で動揺し乱れた呼吸を整い上げる。
浅く短く、素早く吸って吐く。
強制的に肺から、身体へ運動状態への司令を掻き鳴らす。
代謝が上がる。身体が熱を発し始め、周りの気配に呼吸の速度を合わせていく。
弱い風が背中に当たったと感じた瞬間身体を横にひねりながら回転し斬撃を放つ。
血が暗闇の視界に舞ったのが臭いと、口元に飛んだ味と、温かい身体を濡らす液体からわかった。
いつの間に距離を詰められていたのか、湿地帯生息エビルタイガーの胴体が転がる。
回転斬撃のカウンターは首を跳ねることに成功していた。
周囲の騒めきが一瞬狂う程に大きくなったと感じだ瞬間、音が消えた。
来る!!
獲物へと飛びかかるために息を殺した無音。純粋な自然界の殺意がぴりぴりと空気を振動させているのが伝わる。
正面の暗闇から2つの黄色い光が飛び出して来る。全身をバネのように使う四足歩行は混じりけのない獣の全力疾走。
ここで体制を崩せば、周囲からの攻撃をいなせずに食い殺される。
飛び込んで来るエビルタイガーへと一歩踏み出し、予備動作を排除した刺突を頭に目掛けて放つ。エビルタイガーの頭は自身が出した推進力によって剣に割かれる。
完全に絶命したと感じた瞬間に、固定していた重心を解き筋肉の弛緩により勝手に伸び切っていた腕は下がる。
後方からの気配を感じ、頭を潰したエビルタイガーの背後へと身体を回す。
既に爪が目の前に迫り、右頬に血の一本線が短かく引かれる。
休むことなく横からの獣の動きを感じ、眼球を動かし視認すると同時に首元に迫る顎を柄で打ち上げ。爪で切り裂こうと前から畳み掛けてくる方の左手前足を切り落とし。切り返しで顎を撃たれて空中で意識の飛んだままの首を跳ね。二歩下がる。
『はぁぁ。』
周囲を囲む気配は未だに消えず。これだけの死線を潜り抜けたのに、倒せたモンスターは未だに2体。
片方の前脚がなくなり、思うように立てないエビルタイガーの背後には更に3体が顔を覗かせている。
まだ顔を出してないエビルタイガーが木々に隠れながら背後をとろうと蠢いてるのが感覚でわかる。
研ぎ澄ます。
興奮する脈動を押さえつけ、息を整え剣を構える。
そしてまた、夜の湿地帯に静寂が訪れる。
左前脚を失ったエビルタイガーが正面から、噛み付こうと首を伸ばす。
その一瞬後に後ろの3体が左右と、正面のエビルタイガーに隠れるように走り出す。
背中からも動く振動が伝わってくる。
危機的状況に集中力が爆発的に高まる。瞳孔が開くのを感じる。心臓が早鐘のように胎動している。筋肉が、沸騰した水のように熱い。
待っているだけでは、数のわからないモンスターに対して圧倒的にふり。
『オーダーサクリファイス。』
あらゆるいらないものを排除して、あらゆる犠牲を力にしなければ、努力を証明できないのなら、流れる血の一滴も無駄に出来ない。
エレメントは命令を受け、人として生きるのに必要な制限を負傷を代償に解除する。
飛んでくる牙に左腕を差し出す。
臆さずにエビルタイガーの首方向に合わせてもがれるのだけは防ぐ。それなりに鍛えた腕とはいえ9歳の身体、この一瞬で捥がれてしまえば出血多量で死ぬ。
欲しいのは適度な負荷。
痛みはないが左腕がひしゃげていくのと囲い込んだエビルタイガーの群れが飛びかかってくるのは同時だった。
そして左腕の負傷を自身の戦闘力へと還元されるのもそのタイミング。
エビルタイガーが飛び込んでくるのが急にスローになる。
右手の剣で左腕に噛み付いている、エビルタイガーの首を跳ね、ひしゃげた左腕を頭ごと左側から向かってくる顔めがけて裏拳をし、その間に切り返した剣で右側からの首を切り落とし、右足の後ろ蹴りで背後からの顎をかちあげる。
軸足となった左脚を起点に身体を回し、左側のエビルタイガーの頭頂部から遠心力をかけて剣を突き立て貫通した剣は地面を刺して止まる。
そして向き直り地面に臥した最後のエビルタイガーを切り殺した。
いつのまにか、周りからモンスターの気配が消えていた。
濃霧が立ち込める。
濃霧の中に人影が浮かび上がる。
霧の中から浮かんだ体の大きさは遥かに人間を凌駕し、3メートル以上ある。
顔がゆっくりと濃霧から覗くように出て来る。一本の禍々しい角が額から生え、2つの眼球は白眼がなく、鼻は切り落とされたみたいに平たいらだった。口からは牙が何本も生えていて、輪郭は分厚く、獣の様な鬣たてがみを生やしている。
目がぎょろぎょろと何かを探す様に動く。
オーダーアパシーにより、恐怖は無く、感情はクリアだが、あれは勝てる相手では無いと体が震える。
見つかる前に木の背後に隠れる。
人間型はこの世界における固有種にして魔界から生み出されたという言い伝えをされている危険種。
『何でこんなところに…。』
息を殺してやり過ごすしかない。
爆発音が耳をつんざく。
音に驚く暇もなく視界が真っ白になった。
聴覚に意識を向けるが金属同士の放つ不協和音が耳の穴の中で反響し続け戻らない。
痛みはないが体が動かない事に気付き目を開ける。
眼科に広がるのは空。
三半規管が麻痺し自分が仰向けだった事にも気づかなかったらしい。
横を向くと、さっきまで周りにあった木々は薙ぎ倒され、或いは木っ端微塵に吹き飛ばされている。
そして薙ぎ倒された木は俺の左足を潰していた。
よく観ると身体中に木の破片が刺さっている。
顔を上げると、人型の魔物の周囲の木が30メートルに及んで吹き飛んでいた。
星の光で照らされた魔物の体は彫刻の様な筋骨で、下半身は猿の足の様な形で、毛に覆われていた。
まるでこの地帯の魔物達を寄せ集めたような形容し難い体躯を人間の形に押し込めたような異様なものだ。
濃霧が魔物の角から、周囲へと広がっていく。
あの霧はこの魔物が発生させていたものだった。
もう一度爆発が来るかもしれない。
最悪の光景が目に浮かぶ。
左脚を切って、這って離脱しても間に合いそうにない。
何よりさっきの衝撃波が身体中を内部から破壊していてるのか、全く動ける気がしなかった。
仕方ない事だと思った。
災害に巻き込まれたようなものだ。
努力とか才能には関係ない。運が悪かっただけのこと。
スキルにより、痛みも恐怖もない。
死ぬかもしれないと思っていたのに気がついたら、空の星を数えていた。
辛かったときとか、よく考えたっけ。隕石が降ってきて殺してくれたらなって…。
過去の世界での記憶が走馬灯の様に駆け巡ると思った。
でも、湧いて来るのは、俺をこの世界に導いた。皺くちゃな老人の言葉。
『来てくれてありがとう。』
あの老人は俺の事を聖剣の勇者として召喚した。挫折しかない人生の果てで最後には自分で自分を諦めて死んだそんな俺にありがとうと言ってくれた人。
死ねない。
降って湧いた感情は生きたいと叫び出す。
報いたい。この世界で祝福してくれた人に。俺にありがとうって言ってくれた気持ちに応えたい。あの老人が間違ってなかったと俺が証明しなければいけない。
『まだ!!!!』
濃霧が周囲を包み込む。
空気が振動し、大気の中に真空地帯が生まれ、爆発音がなった。
木々を木っ端微塵に薙ぎ倒した圧縮された風が津波の様に押し寄せて来るのがわかった。
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湿地帯を駆け抜ける全身黒づくめの小柄な男は自身が出せる最高の全速力で逃走していた。
濃くなっていく霧に視界を奪われながらも必死の形相で駆け抜ける。
男は4人パティーで構成された貴族御用達のsランクパティの斥候役だった。
今回もいつもみたく何の心配もなく滞りなく、依頼を完遂する筈だった。
『ち、くしょう…。』
情けない声が心に留まらず精神を安定させようと吐露される。
何故なら男は震えながら走っている。仲間の死様をしっかりと目に写してしまったからだ。
一人は魔物の出した黒い触手に全身を貫かれ、一人は踏み潰され、一人は魔物が生み出した魔法によって爆ぜられた。
3人とも簡単に悲鳴を上げる間も無く殺された。
いつものセオリー通り男は姿と気配消して、無難な距離で隠れていたのに、人を模倣した魔物の体を這うような大きな人間の目がこちらを凝視した瞬間、身体が全速力で逃げ出した。
貴族達からの依頼は人型の魔物を剣将ジュナイドの場所まで誘導すると言う簡単なものだった。その筈だったのに。
男は霧が完全に視界を塞いだ事で木の影に身を潜めた。
見逃されるかもしれないと言う希望に懸けて。震えながら祈りながら、これまでの人生を走馬灯の様に思い出しながら、爆発音と共に弾け飛んだ。
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衝撃波は切り裂かれた。
閉じなかった目に映っていたのは、フードが取れた剣将の剣を振り下ろした姿。
流れるような白の長髪がフードの中から風圧で揺らめきながら出て来る。
傷だらけの顔は星明かりで、凛々しくモンスターの正面を向いていた。
『ヘクティス。これは私がやろう。』
掠れた声だ。横顔には女性的な特徴がしっかりと刻まれている。長い睫毛にふくよかな唇。綺麗な顎の輪郭。しかし顔中に縦横無尽に傷痕が這っていた。
『ハイポーションだ。お前は離脱しろ。人型の魔物とはな…。』
助けを借りて左脚を木の下から引き摺り出し、全身にハイポーションを浴びる。
人型の魔物は突発的に発生する悪魔の一種と本の中で描かれている。
危険度で言えば剣聖クラスが相対する化け物だった。
白い髪が特徴的な剣将は白銀の片手剣を構える。
『俺も戦いたい…。』
恐怖は無いはずなのに、身体は震えている。全神経に激励して絞り出した声は信じられないほどか細かった。
『足手纏いだ。』
短く言い切ると、風の様に人型の魔物へと駆け出す。
それを足を止めたまま見ていた。
白銀の剣が高速と見紛う速さで正面から低く切り込む。
人型の魔物は意に介さない。
一太刀が入ると見えた時、白銀の剣は何か見えないものに弾かれる。白髪の剣将は驚きの顔とともに剣を弾かれ体勢を崩す。その瞬間、人型の魔物の目が焦点を合わせ、無造作にその筋骨隆々な石像の様な右腕を振り抜いた。
碌な受け身も取れずに剣将は吹き飛ばされる。ゴムボールの様に地面や木にはねとびながら転がる。吹き飛ばされてない木にぶつかり止まった。
呆然とその光景を見ていた。
何ができるわけでもなく、逃げるわけでもなく、助けるわけでもなく立ち尽くす。
魔物の目玉が俺に向いた。暗闇に光る星の様に白目のない眼球は瞳孔を赤く光輝させる。
何故か分からないが身構えることもできなかった。剣は恐らく通じないのだろう。今の剣将を吹き飛ばした動きからして逃げ切れるわけもない。
さっき奮い立たせた心は助けられた安心感と今立たされた窮地にあっさり折れてしまったことに気付く。
思いにこたえたいという気持ち。
努力を証明しなければいけないという気持ち。
全部自分の心を守るための言い訳だった。
奮い立たせないとやめてしまうから。
言い聞かせてないと折れてしまうから。
自分を認めていないと、潰されてしまうから。
人型の魔物は重低音の咆哮を轟かせる。大気を通して体に振動が伝わる。
50mは離れているにも関わらずその巨体が走り出すと目の前にいる様だった。
俺に向かって一直線に逃げ場がなかった。
横に飛んだとしても広げた腕に殴打されて死ぬ姿がありありと浮かぶ。
剣を離した。俺は何も変わっていなかった。諦めるのが得意なだけのただの…。
『オーダーベルゼルカー。』
目の前に迫っていた巨体が横からの凄まじい一撃で薙ぎ倒され地面を転がる。
結われていた長髪の白髪が解け、目を光らせる女性が一人。赤く染まった白銀の片手剣で残心をとる。
不意の一撃に倒れたガーゴイルの脇腹から、赤い血がでている。
『足りないのなら心で補え。』
よく見ると、左腕が人形の様にふらふら垂れていて、身体中から出血しているのがわかる。剣将の纏っていたレザーの簡易装備はズタボロに破け装備の下から見える皮膚には、至るところに傷がある。
胸のさらしが露出し、傷跡だらけの筋肉質な右腕が片手剣で、起き上がる魔物を指さす。
『死を怖がれ。そして、恐怖から、自分から、生きることから逃げるな。』
夜明けの誓い静かさを取り戻した空気が言葉と共に僕の体に響き渡る。
魔物は体から、禍々しい黒い靄を溢れさせる。靄は一度外にとどまり魔物の体にへばりつく。魔物の体に黒い模様が五月雨の如く浮き出していく。
魔物の腕が振られると、黒色の影が蛇のように剣将の身体に伸びる。
剣将は血を流しながらも、ものともぜずにギリギリで躱すと一気に前に駆け出す。
突きの姿勢にありったけの重心を込めて前に。一瞬で魔物の懐に踏み込む。
黒い影も巨大な棘の様になって剣将を取り囲む。八つ裂きにされる光景が予測のように脳裏に浮かぶ。
しかし、四方八方の棘が突き殺そうとするの場面で前に更に一歩踏み込むのが見えた。
その一歩は地響きを立て全ての力を腕へと流す。
魔物の突き出た脳天に白銀の剣が刺さり、剣将の身体を無数の影が突き刺す。
一瞬のやり取りにもかかわらず、刺し違えた硬直は無限の時の中にあるように続いた。
やがて魔物が徐々に身体を霧散させて消えていく。
行かなければ、剣をそのままにハイポーション抱えて走る。
勝てる相手ではなかった。満身創痍なのは見ればわかった。
駆け寄り、俯けに倒れた身体を仰向けに直して、体全体満遍なくハイポーションをかけた。
顔は口の半分が皮膚の再生をしなかった。
歯茎と筋肉が剥き出しのようになっていて、顔中ギズだらけで片目が完全につぶれていた。よく聞くと喉や、消化器系もやられているのか、呼吸音も荒い音をたてている。
剣将はそれでも潰れてない方の目を開ける。
傷跡が消えない…。
『もうハイポーションでは傷痕までは消えないんだ。まぁ、回復するだけまだましさ。』
思い知る。
自分よりも努力している人間がいるという当たり前を。
たった17年と9年自分の枠組みの中の限界で努力をしてきたが、それ以上に過酷なものを辿たどってきた人間はいる。
だからその人の言葉は心の芯に響いた。
精神論とかそうではない。
俺は知っている。
肉体よりも感情よりも先に心に負けてしまう瞬間を。だからこの言葉はきっと敗北を知っている者だけが噛み締めた言葉だ。
心で補う。
涙が涙が止まらなくなった。声が止まらなかった。涙がボロボロと、何処にそんなにあったのか内心驚きながらも口を開けながら、言葉を反復しては、止まらないこの感情が、全ての闇を洗い流してくれる様に涙となって溢れおちる。
『誓え。逃げないと。』
その目は真っ直ぐと、僕の目を見ていた。
『誓いま゛す。』
喉を締め付けた声で絞り出した必死の言葉。
自分でも聞き取りにくいものだったが、涙で霞む視界の先で白髪の美しい剣将は真剣な眼差しでその言葉を聞いてくれていた。