始まりと始まり
『成功したか…。』
老齢な男性の掠れたような低い声が重低音の反響を閑散とした室内に響かせる。
ドーム状になったひらけた場所であることは間違いないが上手く目が開かなかった。
目の端の方でゆらゆらと小さな光が見えた。
自分の思うように動かせない体に疑問と不安で気持ちが沈んでいく。
誰かの手が身体に触れた。干からびた手触りだがしっかりと俺の頭と身体を抱えた。
抱えられた…。
『そなたに名前を授けよう。ヘクティス。聖剣の英雄よ。』
何語で言ってるのか理解出来なかったが、自分が語りかけられるのは理解した。
だから何か言葉を身振りでもなんでもいいから返答したくて機能しない身体全体の神経に力を込める。
『おおーよしよし。指を掴む力が強いな。これは立派な英雄になるぞ。』
ようやく開き始めた目で認識したものは大きな皺くちゃな顔と干からびた指を必死に掴む小さな手だった。
その手が自分のものだと気付き、状況を始めて理解した。
転生したんだ…。
そして同時に思い出した。首吊り自殺したことを。
ただ単に本当に死にたくて死んだのに転生したのだ。
自殺はもっとも重い罪だと考えていた。俺はもう二度と生まれることはないだろうと。
同時に恐怖を覚えた。また人生が始まる。あれだけの努力をして来たことが無かったことになって、一瞬で崩れる虚しさ。
当時17歳だった俺が積み上げてきていたもの。
頭の中で記憶を逡巡させてやめた。
そんなものなくなったから。
二度目の生を受けたからか、生きたい、ただひたすらに生きたいと心が叫ぶのを確かに感じる。
首を括った時の後悔の気持ちを思い出す。身体を紐に預けたこと一瞬の恐怖を思い出す。だから俺は、生きたいと産声をあげた。
ーーーーーーーーーー
『ヘクティス。大変お似合いです。』
『ランガさん、装備の感想よりも剣技の感想をお願いします。』
訓練用の模擬剣を構え直す。役7キロの両刃型の量産剣を模したものだ。
『初手合ですので、怪我に充分注意してください。』
指導稽古人として、俺の相手を任せられた剣帝と呼ばれる男。剣帝ランガは王宮内で定められた制服のまま、同じく模擬剣を片手で構える。
『怪我は怖くないです。』
今日でようやく9歳になる。全力で動いたところで筋肉も出来上がってない自分の身体では、剣将相手にできる事など何も無い。140センチの小さな体で出来ることなど限られてる。
そんなことはわかってる。ランガだって知っている。
肩書き英雄として生まれた俺の才能が凡夫である事を。
だから殺す気で挑戦しよう。
全身の緊張を高め息を吸って吐く。そして全神経を集中する。
『軽いな。』
俺の殺意など意に介さず、ランガは模擬剣をありえないほどの速さで一振りする。なんの力みも溜めも見せず、片手で振り下ろされた模擬剣が風を潰されたような破裂音を響かせて、15メートルほど離れた俺の位置まで風が届く。
ランガの赤色の長髪が軽くなびき、いくつもの授与された星をつけた赤色の制服の長い裾が髪と同じように揺れた。
出来るだけ速く動けるように息を止める。
『来ますか。』
浅く吸い込んだ呼吸音を聞いたかのようだった。
その一言でこれから俺が行う攻撃が全部バレてしまっているような不安を抱く。しかし前に出した重心は止まることはなく、精神的脆弱性が引き起こす動作の詰まりごと前面に倒れ込む。
流れるように連動しなければいけない。どれか一つでも止めてしまえば、攻撃は完成しない。
この重心を生かしたまま、まず一撃を全力で真正面から打ち上げる!
重心歩法で一気に詰めた距離から、一歩の踏ん張りを足で受け止めた。力の軸を腰から胴、肩、腕、手、剣にかけて練り上げた剣撃。
『っ!!!』
鈍い訛りの衝突音。止めていた息が思わず漏れる。
切り上げた腕にかかって来る反動の鈍い痛み。反動の衝撃を緩和する黒の薄いグローブと籠手まで突き抜けたかのような衝撃にアドレナリンが吹き出す。
『驚きました。たった9年でどれほどの…。』
胴を狙って下から切り上げた模擬剣はランガの腰の位置で同じくかざされた模擬剣によって止められるている。
自分の剣の到達点が予想の遥か下で反応されていた。
胴にもう少しだけ迫れると思っていた、振り上がり損なった腕は連結した力を失って折れている。足の位置すら微動打にしていない。
必死で力を込め震える自分の腕に対して涼しい顔で一切のぶれなく抑えつけられる。
9歳の身体で力比べをしようとしてしまってることに気付き剣を引き二歩下がった。
『反撃はしてくれないんですか。』
本気でしてもらおうなどとは思ってない。
受け流す技術も交わす技術も反射速度も可能な限り実戦に近い形で手に入れたい。
『たしかに、少しヘクティスの力を見誤っていたかもしれません。』
ランガの身体が少しだけ力むのを感じた。左手の模擬剣を少しだけ前に出し、足も右足を半歩ほど下げた。
『ありがとうございます。ランガさん。』
型の練習やイメージトレーニングだけでは得られない経験に感じたことのない熱が内側から湧き上がって来るのを感じる。
けれどまだ足りない。
重心歩法でもう一回距離を詰めて力を殺されることなく近距離で撃ち合う!
重心を前に頭を下げる瞬間、目の前にランガの模擬剣の切っ先が額へと向かって来る。避けた先で左手からの切り払いを警戒して右側に重心をずらして突きをかわし、地面に体が着く前に一回転して、体勢を立て直す。
『反応速度もなかなか…。』
もう通用しないのか。
体で最も重い部位である頭。その頭はさらに身長という位置エネルギーを持っている。頭からの重心移動を可能としなければ、歩法は死んでしまう。
さっきのは重心を落とす瞬間に突きによってカウンターを入れられそうになったのだ。ランガが手を抜いていなければ額に穴が空いてることは明白。
『今はどの程度の力加減をしてくれたんですか?』
動揺で乱れた息を整える。
ランガは鮮やかな突きの体勢を直しつつ答える。宙に突き立てられた剣は腕の弛緩とともにぶらりと垂れる。ただの力を抜く動作にもかかわらず、静と動の緩急を感じた。
『剣術士程度って言えばわかりやすいでしょうか。近くの森林帯のダークウルフが避けられるか避けられないかくらいの動きです。』
剣先が俺の方に向き直るを確認して、腰を落とし剣を両手で持ち息を吸った。
大きくは振りかぶらない。にじり寄る様に間を詰める。ランガの間合いの手前で瞬時に息を止めると同時に横薙ぎの剣撃を入れる。が、即座に止められる。また到達点よりも速くに止められた剣から、反動の衝撃が跳ね返って来る。俺の体の内側を制したランガの模擬剣に力が入る。
外側に弾かれると、判断し自分から剣の力を抜いてランガの模擬剣の下に滑りこませ力を斜め右へと受け流す。
俺の右からの横薙ぎを受け止め右側に押し返そうと力を入れていたため、受け流した模擬剣に沿って左腕が完全に外側へと開ききる。
一瞬驚いた顔をするランガの表情を捉えながら、胴に対して再び横薙ぎ。
ランガは受け流された力のままに一歩下がることで簡単にかわし体勢も整える。
『驚きました。この短期間でよくここまで…。』
途中で言い淀み口を結ぶ姿に違和感を覚えながらも褒められたと思った。
9年間とは言え、乳飲児の時から聖剣を使う英雄として召喚されたことを話され、そのために何が必要なのか、散々語られてきた。期待をされている。今度こそ応えられると信じて、必要な筋肉を意識的に鍛えあげ、基礎となる体幹と剣さばきを習い1日1日に意味のある鍛錬を積んで来た。呼吸一つ上げても、全力での30秒間無呼吸運動まで出来るように追い込んで来た。
この異世界で聖剣の勇者となるために。その責務を期待を果たすために。
聖剣の選定まであと7年。
ようやく努力が実ってきた実感を確かにこの手に感じた。
『今日はヘクティスも属性裁定の日でしょう。これぐらいで満足していただけませんか。』
そう、今日は9歳の誕生日、自我の安定する日にこの世界では、ギフトを授かる。そのギフトと同時に自信の属性を裁定される日だった。
聞いているのは6属性。火、水、木、闇、光、無。この中で無属性が世界人口の9割を締め、残り1割が属性を持つ。さらに1割の中の1割に分類されるのが火、光。3割が木と水で2割が闇を有する。
王宮内の離れの中庭から、宮廷魔導師が待機している裁定室まで、10分は歩いてかかる。確かにそろそろ、定められた時刻まで猶予がなかった。
『確かに…ランガさんありがとうございました。』
褒められたと思ったことでさらにモチベーションが上がっていたため、名残惜しさを隠すことができなかった。
アドレナリンが空回りしていて、模擬剣を下ろしたくなかった。
言葉だけでいつまでも構えを解かない俺を見兼ねたのか。ランガは静かに一礼すると踵を返して宮廷の方へ行ってしまった。
流石に決まりがついて構えを解き。自分の部屋へと足を向けた。
模擬剣を肌身離さず持ち歩るくことには、理由があった。1秒すら無駄にすることなく剣の感覚を研ぎ澄ましていたいから。
4年前に用意された自室は中庭から、建物の中に入ってすぐ、の部屋だった。
練習できる空間が近くに欲しいという願いを叶えてもらったもので、執事の一室を寝室を改造してもらったものだ。
机とベッド、箪笥。必要最低限のものしか置いてない。
ものが溜まっていくのが嫌いだったから、出来るだけ不必要なものを取り除いてもらった。
寝るときですら握り続けた模擬剣を部屋の隅に置き。脱いだ練習着を洗い籠におさめる。給士の人が身の回りの世話をしてくれていて、洗い籠に入れた服は洗って、乾かされ翌日返却される。
箪笥から赤の制服を取り出し身を包む。この国の王が代々火属性のため、制服の色は赤だというのをこの国に歴史の本で読んだのを思い出す。
ランガは光属性だというのを前に聞いたことがあっ
た。
そして属性とは別に、この世界の住人にはギフトと呼ばれる能力が与えられる。
ランガはギフトについては教えてくれなかった。
それらは自身に対する才能であって、他人にとっては意味の無いものだと。
ギフトとは才能だと、ランガの言葉が蘇る。
9歳の今、遂に属性とギフトを同時に得ることになる。
自身の才能がこんなにも速く詳らかになるなんて、初めは残酷だと感じた。希望か絶望か。これからの人生をたったの9年で肯定も否定もされる。恐らく身分相応にその答えに従って人々は生きているのだろう。
しかし 前世でもそうだったらどれだけ良かったか、と思い直すようになった。
もっと速く、自分の才能を教えてもらいたかった。そうすれば無駄な努力なんてしなかったというのに。
17歳の自分の気持ちを思い出し噛み締めながら、歩く。
異世界では、最初から自身の記憶があった。間違いなく、最高の努力を積み上げてきた。今度は間違わない。今度は見捨てられてない。今度は…
『ヘクティス様?』
!!。
突然の呼びかけに驚き、表情に意識を向ける。顔が強張ってないかどうか。不安にかられているような、情けない顔をしていないか。
鏡を見る余裕すらなく勉学にくらいつた自分の顔。ある時ガラスに映った憔悴しきった顔のやつれが表に出てしまえば、また自分があの時の無能に戻ってしまうのではないかという思い込み。
大丈夫だ。きっと大丈夫。
『…クランマか。どうしたの?』
『ヘクティス様が物凄く暗い顔をしていたので遂。』
俺の給仕係をしてくれているクランマ・エルは心配そうに垂れ目と共に眉毛も垂れさせる。
薄茶色の長髪を後ろで一本に編んでいる。
腰まで垂れた髪を左右に振りながら、最近大きくなってきた胸の上に両手を置いて、長い睫毛でせき止められた涙でうるうると目を瞬かせている。
『嗚呼…ちょっと不安になってただけだから大丈夫。』
クランマは5年前に給仕係として俺にあてがわれた。
乳飲児の時から精神年齢が17歳の俺は5歳くらいからクランマと一緒にいることになる。
よく失敗するのを慰めてるうちに懐かれた。
不憫だった。休止係で同じ年齢の子はいなく、王宮が多分俺の年齢と近い者をと配慮して連れてこられたのだと悟った。
クランマの教育係は厳しく。仕事でミスをすると、叱られていた。
子供の泣き声を聞くと胸が締め付けられらようになって落ち着かなく、クランマを庇ったり慰めたりしていた。
そのせいかクランマの方が4歳年上なのに最近までは妹のように俺の後を追いかけ回してた。
『わ、私が聞けることであれば是非お聞きします。』
クランマは隋と身体を寄せて目を覗き込むように近付く。
俺はとっさに 一歩後ろに後退る。
クランマにはたしかに親近感を持っているが、このパーソナルスペースを無神経に侵してくるところは苦手だった。
宮廷の給仕係として連れてこられた人間で、容姿は整っているし、背も既に俺より頭2つ分大きくモデル体型で、気付いたらしっかり異性として成長していた。それが気に食わなかった。
その距離を詰められることでどきっとする自分の精神性に、あとで酷い嫌悪感に襲われる。
そして、男性が意識せざるを得ない行動を何の疑いも無さそうにしてくる無知な振る舞い。
俺の精神年齢は思春期で止まっているのが原因もあるかもしれない。
クランマが俺の事を美化しすぎなような気がして最近は一緒にいづらい。
意識し過ぎなのだろうか、普通に考えれば肌が当たるほど近付く必要はないはずだ。
『言えないことだから。』
昂ぶった意識を押し付けて、平然と返事を返して真っ直ぐと宮廷の中央部に続く廊下に視線をそらす。
『あっ・・・・』
何か言いたそうなクランマを見向きもせずに出来るだけ速く歩いた。
間違っても追ってきて追求されないように。出来るだけ拒絶していることがわかるように。
歩き始めてすぐ見慣れた光景が目に飛び込む。絵画などの飾られたきらびやかな廊下は大きな窓から燦燦と照りつける陽の光によって、より一層輝かしい雰囲気を帯びる。
宮廷魔導師により設けられた裁定室は、ある一定の階級に属する貴族や王宮に密な兵士などの子供が裁定を行われる場所だ。
生まれた日付けが合えば時間帯によってはほかの9歳で選定しに来た発芽者と顔を合わせる時もある。
裁定室の前まで行くと、先程までの煌びやかな装飾品とは代わり落ち着いた雰囲気の廊下となる。
来賓用のスペースを過ぎ、突き当たりまで進むとそこに裁定室がある。金のプレートが貼られた簡素な扉。取っ手を握り、外開きに開けると中には水晶を乗せた机と椅子が二つ。それと空っぽの本棚の前で大量の無造作に積み上げられた本の山。
誰もいないのか・・・。
予定では今日の朝食の時間の後すぐにきてくれて構わないとランガから言われていたはずだ。速くも遅くもないはず。
取り敢えず中に入って待っているかと一歩踏み出した時、横から足音が近づいて来る。
身長は俺よりも少しだけ低い少女だった。
真っ赤な長髪は整えられる事なく、寝て起きてすぐきたと言わんばかりに盛大に寝癖をつけて跳ね回っている。 二重の大きな目だけはしっかりと見開かれており、口元が不満そうに食いしばられていた。
軍服のような赤の制服を身につけていて、剣士の中でも位が高いことがわかる。
少女は目の前で立ち止まると、舌打ちした。
『入るの?入らないの?』
寝起きでイラついていますと言わんばかりの態度。
『失礼しました。入るなら先にどうぞ。』
外開きの扉を開いてたため、先に入るわけにもいかず、後ろに下がって扉を開いておく。
『フンっ。』
少女は不機嫌そうに鼻を鳴らすと水晶の置いてある机の前の椅子を横暴に引いて勢いよく座った。
扉をゆっくりと閉めて部屋に入る。リラックス効果のためか柑橘系の香りで部屋の中は満たされていた。
扉の横側に移動して壁に寄りかかって立ち尽くす。
『誰かいないの?』
少女は我慢ならないといった感じで目の前の机を両手で叩く。
『ひぇっ。』
少女の机を叩く音に誰かの、か弱い悲鳴が上がった。
何処から声がと2人で目を見開いていると。
空の蔵書棚の前の無造作な本の山が崩れ始め、中から1人の青年が現れる。銀の瞳に銀色の髪、火の模様の刺繍された青いローブ。裾から出た手首は骨のように細く真っ白い。
『ああっ!!』
本の山から脱出を遂げた男は大袈裟になにかを思い出したかのように目を見開く。
『失敬。失敬。すっかり寝心地が良くて、今日の裁定者を忘れてしまっていた。』
恐らく何かを忘れることが多いのだろうか、慣れた仕草で平謝りをしながら男は席に着く。
少女が怒鳴り散らすかなと思ったが、黙り込んだまま動かない。
『君達の属性裁定を行うゴライア・テッサだ。よろしく。それじゃあ、早速お嬢さんの裁定を行おう。』
『お嬢さんじゃない、カルティアラ・ナラ。』
『失敬。カルティアラちゃん。じゃぁ、両手を水晶にかざして。』
カルティアラは指示通りに水晶に可愛らしい綺麗な両手をかざす。
その瞬間水晶の中に火が灯り、透明な水晶を火の揺らめく光で満たした。
『すごいな、流石は剣聖の娘。』
『お父様は関係ないわ、私が凄いの。』
ゴライアの呟かれた言葉に対して噛み付く様に答えた。
剣聖といえばランガよりも更に一つ上の階級。この世界の国における最高戦力。異世界の生きる核爆弾。
剣聖の娘…こいつが?
『嗚呼…そうだね。失敬。失敬。えと、カルティアラちゃんの属性は火だね。それとギフトは…。』
業火となった水晶の中を覗き込むようにゴライアは顔を近づける。
遠目からでも水晶中に薄く字が浮かんでるのが見えた。
『剣の加護と属性の加護だね。どちらも進化する素晴らしいギフトだ。』
カルティアラは急に機嫌良さそうに得意げに背筋を伸ばす。
『剣の加護はお父様ももっていたけど、属性の加護って何があるの?』
苛ついていたのは、俺と同じように不安な気持ちがあったからかもしれない。
ゴライアに対する口調も声音も大分優しくなっていた。
『うん。主に属性であるエレメントを見る力と使う力両方かな。』
自身を加護しているエレメントから、引き出される魔力は属性によってその性質を異なり、現実に干渉して無から、有を生み出す。火属性なら火のイメージを、炎という形に還元したり出来る。
『ふーん。それで、今日は朝から色んな人に色んな色がついてるのね。ゴライアは青色の火花がさざ波のように舞ってるみたい。』
カルティアラがゴライアに対して妙に従順だった理由。
見えていたんだ。その人の属性が。
『驚いたな。君は感性も豊かみたいだ。感性と知性の高さが属性に大きく関係しているから、君は魔法士でも、剣士でも両方大成するよ。さぁ、手を戻して、彼の番だ。』
『そうね。さぁ、ムショクさん次をどうぞ。』
カルティアラは見下したように目線を投げて大仰に手で席へと促す。
『属性は確かに優れた才能だけど、後天的に手に入れることも不可能じゃない。ムショクという差別用語は好きじゃないなぁ。無色という属性だからね。』
ゴライアは明らかに作った笑みをカルティアラに向けてとても落ち着いた声で話した。
カルティアラは全く気にもせずに扉の前で仁王立ちする。
正直部屋から出ていって欲しかった。 部屋から出ていかない事を疑問に思いながらも、自分もさっきまでカルティアラの属性裁定を聞いていてしまったため、何も言えない。
差別用語か。無属性は9割もいる。その中に入ってしまった所で、関係ない…。
無という言葉が嫌いだった。無駄の無、無意味の無、無価値の無。そこにさらに無色の無が加わった。
所詮9歳の少女の戯論と気にしないように席に着いた。
『ヘクティス・サイです。よろしくおねがいします。』
さっきの言葉のお礼と敬意を込めて一礼する。
『ゴライア・テッサだ、よろしくヘクティス君。』
丁寧な一礼が返ってきた。
『さぁ、手をかざして。』
ゴライアの優しい声音に精神が安定させられ、ゆっくりと水晶に両手をかざす。
わかっていた事だが、水晶の中には何の変化もなかった。
『君のギフトは、なしかな?でもギフターの方が珍しいし気を落とすことじゃないよ。』
地の底を這っているように身体から生命力という力が抜けていくのを感じた。
才能なしかよ。ふざけんなよ…。
思い至ってしまった、何故ランガがあんなに苦虫を噛み潰したような顔で練習相手をしていたのか。合点が行く。才能が無いのを既に見抜いていたんだ、だから言い淀んだし、あんなに無関心だったんだ。
カルティアラの様な9歳の少女でさえ、俺をムショクと嘲ったのだ。ランガにも何かしらのギフトがあって、俺の可能性が見えていたんだ。
這い寄ってくる。見えない。心を掻き毟り引きちぎりたくなるような喪失感。
『あんた、私と戦いなさい。』
カルティアラは呑気な声で俺に命令してくる。
カルティアラは水晶にかざした両手はとても剣を振ったことのある手ではない。
力なく振り向くと得意げな顔に指差しまでして俺と目が合うなり更に気味よさそうに口元を歪めてもう一度口を開く。
『聞いてた?才能の差をみせてやるからかかってきなさいって言ってるの。』
9歳の少女の戯言。
『ね、ムショクさん。』
9歳の少女の戯言。
『このムショク!きいてんの?』
9歳の…こいつ…このくそ餓鬼。ぶち殺す。
『じゃぁ、是非おねがいします。離れの中庭に稽古場がありますのでそこで手合わせおねがいします。』
驚くほど無感情に声がスラスラと脳内の言葉を読み上げた。
『はんっ。じゃぁ行くわよ。案内しなさい。』
『ええ。』
『君達、勝手に模擬戦なんて…。』
『ゴライアさんに審判おねがいしてもよろしいですか?』
『だから勝手に…。』
『大丈夫よ。怪我するとしても、私じゃ無くてムショクの方だから。』
ゴライアは大人としての体裁の為に注意してる様に見えた。
だからあとひと押し。
『ゴライアさん、才能の力を知りたいんです。お願いします。』
苦い顔をするゴライアに深々とお辞儀する。
『嗚呼…わかりました。でも、お互い危ないと思ったらその場で止めますから。』
笑いがこみ上げてくる。あんな少女が俺に勝てるわけない。無心で稽古をしている気になってるお子様の9年間とは質が違う。毎日毎日、筋肉の動きから呼吸方、重心の捉え方まで可能な限りの意味のある練習をしてきた。
女は殴らないとか、男女平等主義真っ只中で生きていた俺には関係ない。
『さぁ、行きましょう。』
勤めて冷静に先を急がす。
『速くして。』
『全く、君達は…はぁ。』
ゴライアの深い溜息と共に裁定室を後にした。
ーーーーーーーーーー
見慣れた中庭の練習場。
模擬剣が10本立てられている剣立から一本を持ち上げる。もう一本も片手でとる。剣部分を握り柄の方をカルティアラの胸の高さに差し出す。
『フンっ。』
相変わらず見下しながら鼻を鳴らして、カルティアラは片手で模擬剣の柄を握る。
『離しなさいよ。』
『はい。』
一応返答してから、ぱっと手を離す。案の定、驚きとともに模擬剣が重くてカルティアラは慌てふためく。
『結構重いわね…。』
『そうですか?』
俺は待っていたその言葉に即答して、両手で握り、剣を素振りする。上段から下段へ、風を割く音がしっかりと聞こえた。
得意げな顔はせずに何の気なしにやっている風を装う。
才能がないという断定で気がたっていた。
この動作を見て謝ってくれれば、許すのもやぶさかではない。
カルティアラは年相応の筋力で、構えも何もあったものでないだらっと腕を垂らしている。まるで力をいれてない手に握られている剣は地面に接触してずられている。
『そういうのいいから、速く始めましょ。』
『ええ、カルティアラ様からどうぞ。』
『は?あんたから来なさいよ。』
カルティアラは 馬鹿じゃないの?と言いたげに片眉をあげる。
それが挑発でなく、素の態度である事に間違いわなく。思惑が挟まれてない純粋な分。苛立ちも大きくなる。
『…では遠慮なく。』
狙うは模擬剣。あの地面にずってる模擬剣を思い切り叩き、弾き飛ばす。
重心歩法を最大限に活かす為にゆっくりと構え直し歩法の邪魔にならない左腰へと模擬剣を落としていく。
緩急をつけて体感速度を上げる。
呼吸も構えの最終地点に行った瞬間、止められる様にゆっくりと吸う。
この位置。
剣の柄が左腰の位置についた。重心歩法における最適な剣の位置に体感を感じ息を止めて瞬発的な筋肉を意識して全身に信号を送り、頭の重心を前進するための推進力に変える。
10歩の距離を爆発的な加速力で一気に詰め、棒立ちのカルティアラの模擬剣に向けて横薙ぎを放った。
しかし、確かに捉えた剣に殆ど手応えがなかった。驚異的なことにカルティアラは咄嗟に剣を打たれることに気付き俺が打ち付けるインパクトに合わせてその力方向に腕ごと逃し、逃した力に沿って身体を回転させながら3歩ほど左側に回避していた。
身のこなしに違和感を覚えた。反応速度だけのものでは無い。確かに模擬剣の重心を捉えた動きだ。模擬剣同士の衝撃を相殺し、必要な方向に的確に力の向きを誘導していた。
『剣は練習してたのですか?』
剣聖の娘だ。もしかしたらあんな手でも練習していたかもしれない。
少しだけ、感心しながら問いを投げた。
『お父様の剣技を見て来たけど、剣を振るのは、これが初めて。』
なんでもないというふうにカルティアラは左手で、未だ寝癖の治らない髪を払う。
『初めて?』
剣の加護、それは今日初めて剣を握る少女が9歳というスキル発芽によって手に入れた才能。
『ええ、じゃあ私の番ででいい?その歩法便利そうだし、楽しそうっ!』
二歩下がったカルティアラの頭が一気に地面すれすれまで落ちる。
これは…やばいっ!
勘で右に跳びのく。
寸前でカルティアラの重心歩法の横薙ぎが脇腹を掠めて通過していく。
受け身をとる暇もなく、飛び退いた身体が地面に着地し、慌てて向き直る。
完全に俺の速度を超えていた。一回見ただけで完全に、いや完成系を使われたのだ。ランガが教えてくれて、4年係で手に入れた俺の…俺の…俺の!!
『よく避けたわね。褒めて上げる。』
カルティアラにとってあの動きは出来て当たり前のものだと言うように得意げに左手を腰に当てる。
完全に視界が曇る。制御出来ない精神の不安定な闇が津波となって噴き出してくる。散々殺してきた怒り、憎しみ、嫉妬、怨み。抑え込んでいた記憶の中の無駄な自分。無意味な自分。無価値な自分。思い出して包み込む。震える手が爪が食い込んで血が出るほど剣を握りしめても、まだ収まりきらない。抑えきれない。霧散しない。
ころす!!
体勢も整えずがむしゃらに駆け出す。力の限り剣撃をぶち込むことで頭の中が一杯になる。
ラッシュのために深く息を吸う。息を止めていられる30秒間止むことのない剣撃を叩き込む。
カルティアラの口が笑うのが見えた。
その口へし折ってやるよおおお!!!
一撃目が地面へと流れた。カルティアラの姿が消えたような錯覚に陥る。
『ご愁傷様。ふふっ。』
地面へと上段から下段の一撃をいともたやすく受け流され、振り下ろす時の瞬きで、視界が消えるタイミングに身をかわされ、横から弱い突きを脇腹に当てられた。
受け身も取れず、地面に倒れ込む体は手もつけずにあっさりと地面に臥す。
理不尽。
これは前の記憶の中で散々受けた理不尽に似ている。勉学であったけれど、周りは楽しそうに遊びながら、自分よりも遥かにいい点をとっていく。
勉強の仕方から何から何まであらゆる情報を試して自分の時間を全部費やして、やりたかったことも、欲しいものも、何もかもを我慢して、泣きながらくらいついた勉学。
記憶が定着せず、最後には問題文を見ただけで頭が真っ白になるようになってしまって俺は…。
倒れたまま記憶の中に沈んでいく心を必死に浮上させる。
体は泥沼に浸かってしまったかの様に重い。
こんな理不尽に屈していいはずがない。
地面を握りしめて身体を起こす。
俺は間違ってなかったと証明しなければいけない。
睨みつける先のカルティアラは余裕の笑みを称えている。才能が非才を見下して笑ってる。俺の努力が徒労だと笑われてる。
一回りして冷静になったと思った頭で、必死に構える。俺も頭の位置を更に下に持って行こう。
それでも届かないのなら死地へ。
これまでしてきた重心歩法よりも速く重心移動を速度に乗せる。
息を止めてカルティアラの胴へ全体重をかけた横薙ぎ。
剣の腹を的確に捉えたカルティアラの模擬剣は力を完全にいなして来た。
狙い通り。
『お返しっ!』
無邪気な声が完全に開いた俺の胴にカウンターの形で模擬剣を横薙ぎに入れながら聞こえてくる。
そうだ無造作に作られた隙にお遊びの一撃を入れてこい。
模擬剣の一撃を交わさずに胴で何の受け身もなく受け止めた。
完全に予想外の反応にカルティアラの筋肉が強張る。
カルティアラの動きが止まるのと同時に首へと躊躇なく模擬剣を振り抜いた。
『へクティス。真剣ならあなたはラナの一撃で負けていますよ。』
人差し指と親指で俺の殺意の一撃は止められていた。
いつの間にか、ランガがカルティアラの背後から首に迫る模擬剣の先をつまんでいた。
怒りで我を忘れていたと言うつもりはないが、止められていなかったらどうなっていたか最悪の光景が脳裏をよぎり、冷や汗と動揺でランガの視線から目をそらす。
見えていなかった視界の端に安堵の表情を浮かべるゴライアとフードを被った人の姿が映った。赤の制服の胸にはランガと同じ剣帝勲章の星が光っていた。
『こ、こいつ本気で…。』
ラナの表情が怯えから怒りへと変わる。火の粉が魔力の視覚化として、周りに立ち込める。
本気じゃなかったのか。
思わず後退るとランガもそれに合わせて模擬剣を離す。
カルティアラの属性は火。この世界の10%の人間が持つことが出来る、大自然の属性そしてその10%の中の10%、火のエレメントに認められた人間。
『ランガ下がりなさい。』
ランガは無言で距離をとった。
『オーバーフレイムオーダー。』
カルティアラの呟きとともに、赤い空気がほとばしる。彼女を守護する火のエレメントが命令に従い思考上でまとめられた形を現実に還元する。
空気が熱くて息が上手く吸えない。折れているだろう脇腹を左手でおさえながら、右手の模擬剣を構え直して、距離をとる。行けるか、少なくとも、速さは五分五分。筋力量に関していえば確実にこちらが上、攻撃を受け流しつつ鍔迫り合いに持ち込む!
『死ね。』
構えていた模擬剣で反応しようとした時には既にカルティアラはクロスレンジで切り上げの動作を行っている。想定していた速度の2倍以上の速さで間合いを詰められた。
懐に入られている。
意識だけはそのことを認識したけれど右腕は石の様に固まって動かない。
いやだ。才能とかそんな生まれ持ったものに努力が踏みにじられるなんて。 許せない。
動けええええええ!!!!
筋肉に通っていた神経がねじ込まれた信号を受け無理やり動かされる。切り上げられた模擬剣を塞ぐ様に辛うじて剣を持ってくる。
ビキビキと痙攣をしながら動かされた右腕が必死に情況を打破してくれるものと信じていた。
塞いだはずの模擬剣はカルティアラの切り上げによってへし折られ貫通して俺の防具を裂き、胸のあたりを斜めに斬った。
血が溢れ出す。
痛い。
痛いのに。痛いのに。痛いのに…。
痛みよりも、力の差、才能の差に涙が溢れるのを止められない。
自身の脆弱さに、悔しさに締め付けられる心が痛すぎて、掻き毟りたい心の代わりにこの傷口から心臓を抉り出してしまいたかった。
ゆっくりと意識が遠のいていく。
うまく力の入らない震える顎で必死に歯を噛み締めたかった。
顎に力を入れればきっと意識は覚醒して、まだ立ち上がれる。
明滅する視界に映るカルティアラを睨み続けたかった。完全な敗北を知りたくなかった。理不尽に抗いたかった。
俺はまだ…。
完全に暗転した視界の中で残響となって周りの音が遠くなる。
暗闇しか見えずその暗闇の何処に目線を合わせていいか、眼球を回しながら、最早動かない体だけが立ち上がれと筋肉を痙攣させた。
『強くなりたいか?』
その声だけが微かに聞こえると意識は深淵へと引きずら込まれる様に落ちていく。
俺は消える意識の中で全神経を使ってたしかに頭を縦に振った。