食餌の誘い
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやは日々の食事を、どう摂っている? こんな暑い日に活動する人種ほど、朝飯を食うのは大切らしいぜ。通勤途中でぶっ倒れる人の多くは、睡眠か栄養の不足なんだとか。
どうにか朝飯抜きで外出をやり抜くことができても、そこでも時間やダイエットを理由に簡単に食事を済ませ、夜に家に帰れたらドカ食い。真の一日一食生活よりはマシかもしれないが、こんな生活の俺としては思うところがあるわけよ。
ちまたじゃ、一日五食生活も流行っているらしいが、一日の食事量をコントロールすることは必須らしい。食事の数は増やしても、得るカロリーに関しては目標数値を超えないようにするんだってよ。
飲み会とかがあると計算が複雑そうだよな。特に脂質とかオーバーまっしぐらじゃね? 若い時なら遠慮なく行けたが、今は翌日の体重計がさあ……。
あの、食事こそが仕事のごとき食べ盛りの時期。もう一度来て欲しいと、お前は思うか? 俺もそこそこ考えることがあるけど、ちょっと奇妙な思い出もあってなあ。その時の話を聞いてみないか?
俺が中学生の時、まさに食欲の権化だったな。
給食の時には人気のおかずをめぐって、白熱したじゃんけんバトルを繰り広げるのが常だったし、放課後の買い食い、食べ歩きをしない日の方が少ない。家に帰ってからも、間食を挟むのはいつものこと。
一日十食くらいはしていたんじゃねえかなあ。もちろん、摂取カロリーも天井知らず。ちいとばかし、太っちょだった自覚があるぜ。
そして学校での席替えタイム。俺はある女子の隣の席に座ることになって、つい「やった!」と思ったね。恋愛云々じゃなく、彼女の食事に関心があったからだ。
彼女、非常にアレルギーが多い体質らしくって、特定原材料7品目に加え、食べられないものがたくさんあった。ウチの学校は代替食対応をとっておらず、彼女も配膳の際に、一度は自分の机の上に給食を置かれることになる。
「いただきます」の挨拶をすると、彼女はまだ何もつけていない箸で、ちょちょいとご飯や野菜をトレイの隅に取り分け出す。それが完了した他の食べ物を、みんなに提供してくれるのさ。
同じクラスになった時から、彼女を含む班で起こり続けている事象だ。俺は一緒の班になった初日から、ありがたく彼女からの配給を受け取る。
「こんなにもらっちゃって、彼女は本当に大丈夫なのか?」と、心配することは当時、全然しなかったな。花より団子を地で行く俺にとっては、自分がたらふく飯が食えることが第一。くれるんだったらもらうまでで、相手の事情などどうでも良かったんだ。
結果的に、彼女はクラスの誰よりも早く食べ終わる。しゃべったり、トイレとお代わり以外で立ち歩いたりすることも控えるよう言われていたから、彼女は席についたまま、「ごちそうさま」の時間が来るまで、きょろきょろと教室中を見回していたよ。
どうもみんなの食べっぷりを観察しているらしく、視線を止めてしげしげと眺めている時もあったっけなあ。
彼女からいただいた分の増量。ありがたいことではあるが、それは次の食欲の呼び水になる。俺は給食のあまり分も頂戴したが、昼休みを挟んで5校時目を迎えると、早くも腹が小さく鳴り始めた。
体育があったし、昼休みに外遊びをした日でもある。ちょっと張り切り過ぎたかと思うと共に、関心はもう放課後の食事に移っていた。
今日は部活がなく、早めに帰れる日。通学路にあるレストランの、夕刻までのサラダバーランチに顔を出した。サラダのみならず、パンやカレーも時間内なら食べ放題と来ているから、小腹、大腹を問わず手軽に満足感が得られる、お気に入りだ。野菜も食えるしな。
だが、その日はいつもに増して、空腹感が強い。何杯お代わりをしても、食べ終わって深呼吸をすれば、すぐに空腹信号が胃から発せられるという有様。促されるままに何度もバーへ足を運ぶ俺は、ついにランチの時間終了まで店に留まっちまうという、初めての経験をした。
いつもよりもかなりハイペースな食事だったよ。
空腹は最高のスパイス。その言葉の通り、うなる腹の中へ食べ物を注ぐ際の味わい、噛み応え、のど越し……ほんの一時で過ぎ去ってしまうのに、舌と口に残るのは幸福感。「この瞬間のために生きてる!」って思えるほどの、飢えと渇きの荒野に差す、温い日差しだ。そこにできた陽だまりに、ごろりと寝ころんでうとうとする時間は、大いなる喜びのひとつだろう。
だが、この時の俺の場合は違った。陽光は差したはしからまた陰ってしまい、寒々とした風が吹いて、残った暖気を根こそぎにする。「次だ、次!」と急かすように、新しい温もりを求め続ける。貪欲な空き具合だった。
家までの道のりわずか7分。それだけで、もう俺は軽くふらついちまっていたよ。生姜焼きの匂いがするっていうのに、俺はついポテチの袋に手をかける。
さすがの母親も、「ちゃんと夕飯、食べなさいよ」と注意してくるほど、調理者にとっては侮辱的なタイミング。でも、食わずにはいられなかったさ。味なんかどうでも良かった。とにかく少しでも満たさなきゃっていう義務感に、後押しされていたんだ。
実際、夕飯も母親が文句をつけられないほど、たらふく食べてやった。炊いたご飯を全部食べ切った後、また新しいポテチの袋を持って席を立つものだから、あきれられたよ。
その晩、俺は家にある菓子を全部食べ尽くしたどころか、寝しなにカップヌードルにお湯を入れ始める始末。親がすでに寝入っている時間帯に、だぜ?
お湯が沸く間、注いでいる間、待っている間。それぞれで一回ずつ腹が鳴り、そのたび身体中がだるくなってくるのを感じていたよ。規定時間が来ると、俺自身の猫舌など問題にならないくらい麺と具をかっこんで、汁まできれいに飲み干す。底に溜まった濃い塊にちょっと顔をしかめたが、もたもたしてられない。
「次に空腹感が来る前に、眠らなきゃいけない」と歯も磨かず、布団へごろり。目を閉じて、ひたすら眠れ、眠れと案じ続けたっけな。
翌日。俺を苦しめた空腹感は、登校前にようやく収まった。ついさっきまで、上から下へ落とし続けていた食べ物に、ようやくつっかえ棒がされたようだ。
しっかり腹に溜まった。ご飯も焼き鮭も、みそ汁のなめこもたっぷりと。昨日のような、一歩進むたびに腹の虫と格闘する事態にはならなかった。満ち足りた歩み。俺は一日ぶりに満腹のありがたみを味わっていたよ。
ようようと登校して、自分の席につく俺。隣の彼女にも挨拶したが、声も顔つきもどことなく元気がない。手も、お腹をさすり続けている。
体調が悪そうに見えたが、この時期の女子は複雑だ。下手に異性が突っ込むと、過剰に反応したりする。それが嫌な俺は黙っていたものの、昨日の件は彼女の飯に関わってからだった。
偶然かとも思ったが、念には念をだ。その日の彼女の分の取り合いに、俺は参加しなかったよ。彼女は相変わらず、わずかな量しか食べなかった。
昼休み。昇降口から出ようとしたところで、俺は自分を追い抜いていく彼女の姿を見かけた。慌ただしく自分の外靴を履き、外へ走っていく彼女。相変わらず腹を押さえているが、体調が悪いなら外ではなく、保健室へ行くはず。更に脇には、体操着入れの袋を抱えている。
怪しい。俺も靴を履くと、彼女を追う。すでにその背中は小さくなって、体育館へと向かっていた。校庭に出ている他の生徒たちはそれぞれの遊びに夢中で、体育館裏手に消えていこうとする彼女を、気に留めている人はいなかったように思えたな。
俺が着いた時、彼女は砂利道に面したフェンスに寄りかかっていた。もう接している左肩はほとんどずれ下がっていて、今にも崩れ落ちちまいそうだったよ。聞こえる鼻息も荒い。体操着入れは、足元に転がっている。
「大丈夫か?」と駆け寄ろうとしたが、彼女がこちらを見ないまま右腕だけをまっすぐ上げて、近づく俺を制止する。「すぐ済むから」と息を切らしながら。
ほどなく彼女は右腕を腹に当てる。垂れた左腕はかろうじてフェンスに指をかけ、申し訳ばかりに彼女の身体を支えていた。俺はやはり放っておけないと、もう一歩を踏み出しかけたんだ。
次の瞬間。背後にいた俺にも分かるくらいに、彼女の制服の前部分が生地と一緒に弾けた。それらと一緒に宙を舞ったのは、人の顔ほどもある大きいカエデの葉らしきもの。飛んだ葉の下側には、四本だけ針のように長い突起がくっついている。
ひらひらせず、真っすぐに彼女の脇へ降り立ったそいつは、突起部分を足にしてかさこそとフェンスに近寄る。カエデの身体が、紙を巻くようにぎゅるぎゅるねじれたかと思うと、フェンスの目のすき間をくぐり、外へ出て行ってしまったんだ。砂利の上へ降り立つと、利を得たとばかりに、速さを増したカエデはぐんぐん校舎から遠ざかって行く。
あっけに取られていた俺は、「ちょっと、向こうをむいててくれる?」という彼女の声で我に返る。彼女は脇に転がした、体操着入れに手を伸ばしていた。
着替えた彼女は、周囲に人がいないのを確認しながら話してくれる。あの子たちには栄養が必要なのだと。俺は正体を尋ねてみたが、詳しいことは話してもらえなかったよ。
代わりに彼女は、あいつらが地球のものをそのまま食べられないこと。人の唾液、胃液にまみれたものになって、初めて食べられるようになることを話してくれた。
「その節は、ご協力どうも。おかげで一気にあの子たちが育ったわ」
彼女はさっきまでの不調がウソのようにすくっと立ち上がると、俺の質問をあしらいながら、足取り軽く戻っていく。
彼女があまり食べない理由。俺の腹が減り続けた理由。
どうやら俺は恐ろしい計画の片棒を、担がされたのかもしれんな。これまで彼女の給食を食った奴も、表に出さないだけでもしかすると……。