救われた者達
この隣村は、以前ラインツが盗賊に襲われた二十世帯ほどが住む小さな集落である。
定期的に薬草を届けているグレタが山道の異変に気付き、助けに向かったのが、まだ恭兵だったラインツとのファーストコンタクトである。
襲われずに済んだ村人達は彼女によって眠らされた盗賊達から盗まれたものを取り返し、村からの方角がわからない程度に離れた森の中に彼らを置いていった。
斯くして村は被害を最小限に抑えることができ、今もこうして平和に過ごせている。
グレタは以前から薬草の他、茶葉として飲料に使える植物や、虫除けの道具など生活の役に立つ様々なものを周辺の村に届ける習慣を持っており、以前から村人に好かれていたが、この件で彼女を深く尊敬する者が増え、多くの人から様付けで呼ばれている。
おしゃべり好きなグレタにとっては、気の置けない仲のほうが楽しく感じるため、今の立場は少し寂しい。
「あ、 湖の賢女さまだ!」
村長の家へ向かおうと歩いていると、村の子どもたちが気付いて手を振ってきた。
彼女が賢女と呼ばれるのは、自国のみならず他国の文字の読み書きができ、薬や様々な知識を豊富に持っている所謂知識人であり、そしてその知識をもってして人々を助けているからである。
以前湖で水質の調査をしていたところ、それを見ていた村人達が、"湖の"と付け始め、今ではそれが彼女の通称となっている。
ちなみにラインツは、
「包帯の兄ちゃんが、 包帯じゃなくなってる!」
丸い目をした子どもに指をさされて思わず視線を足元に落としてしまった。
いつもどおり、グレタが村長の家へ挨拶に行っている間は暇なため、荷物の受け渡しが終わるとラインツは隣村の人達の、主に力仕事を手伝っていた。大抵は男手の少ない家の荷物運びで、今日もまた、主食の原料となる挽いた穀物の麻袋を背負い、村で唯一の水車小屋からある母子二人で暮らす家へ運んでいた。
「これでしばらくは保つわ、いつもありがとう」
「いえ、とくに大したことは……」
感謝されることに慣れていないため謙遜していると、うちにとってはとても助かるのよ、と逆に励まされてしまう。
貯蔵庫の蓋を閉め終わる頃、勢いよく扉を開けて娘が帰ってきた。
「ただいまー! あっ! ラインツさん来てたの!? あ、目が……」
「あ……ああ、治ったから……」
実際は左目が全盲、右目はもとの視力が悪いため半分嘘である。その狭くぼやけた視界でもよくわかるほど会う人皆が反応する。
ラインツは今日だけでもう何度も似たような会話をしているが、その度にどう話を続けたら良いのかと戸惑う。
二人して口ごもり、横から何やってるのとつっこまれる。
やがて少女から口を開いた。
「私、クララです」
「わかるよ、いつも声は聞いてるから。クララちゃん……とても成長したんだね」
上手い言葉が見つからず、彼女は照れて俯いてしまう。
あの日盗賊に捕らえられ、ラインツが投石をしたため男の性に汚されずに済んだ幼い少女は、今や大人の階段を昇ろうとしている。やわらかい茶髪を耳にかける仕草から、かすかに色気を感じさせている。
クララはもう十三。ラインツが知らないだけで、すでに恋人がいるのかもしれない。村の成人は現代日本より早く、十四、五で嫁入りすることもある。
その場をどう切り替えようかとラインツが迷っていると、見かねた母親が食卓へ案内した。
「ラインツさんって、ここらへんの人じゃないんだね。生まれはどこなの?」
両頬に手をついて食卓に肘を乗せながら、クララはまじまじと目を見つめて言った。
ただの興味本意で聞いたのだろう。似たような目の色の人はいるが、ラインツの目や眉の形は異世界人のそれとは若干違う。
「えっと……覚えてないんだ。気付いたら遭難していてこの村に辿り着いたというか、自分がどこから来たのか、何もわからないんだ」
異世界転移ジャンル特有の十八番、記憶喪失のふりである。最も、ラインツのそれは大根役者ではあるが。
この世界では、グレタの同居人ということにしているが、周囲にはただの"賢女様の手伝い人"としかみられていない。
「ふーん。じゃあ、迷子なんだ」
こらっ失礼でしょ、と母親に叱られたクララはごめんなさいと小声で謝る。謝れると余計恥ずかしくなり、ラインツはその場から消えたくなった。
そろそろグレタを迎えに行きますので、と席を立ち玄関へ向かうと、
「あのっ私」
クララに呼び止められてしまった。
扉の取っ手から手を放し、振り返って彼女と向かい合う。
「ラインツさんの目が見えるようになって本当によかったです! もしずっと見えないままだったら、どうしようって…………。でも、こうしてお互いに目を見て会話できるのがとても嬉しいです……! なのでこれからもぜひ会いに来てください!」
焦りながらも一生懸命言葉を伝えた彼女の眼差しは、真っ直ぐラインツの両目に向けられている。たとえ相手が盲目でも、たとえ片目しかなくても、相手の目を見て接するというクララの心根がしっかり現れていた。
それに対し、ラインツは目を逸らすことが出来ず、息が詰まる思いで見つめ返した。なんとか愛想笑いで頷いた後、外へ出た。
一度は見捨てようとした罪悪感が一気に押し寄せてくる。
今までは他人の目を見ずに済んだし見られることもなかった。だが、これからはもう逃げることは許されない。そのことが、ラインツが恭兵だった証として楔のように胸に深く突き刺さる。
いつか己の未熟さや情けなさが露呈するのではないかと、恐れているのだ。
それでも彼は生きるために前へ進むより他はない。
二人で並んで帰路に着く。
グレタはあえて聞かなかった。軽くなった荷物の代わりに、目に見えない枷を着けた彼の横顔を黙って赦した。