家畜と彼女と朝食と
ラインツの一日は目が覚めてからすでに始まっている。
朝日を浴びながらゆっくり起き上がり、着替えてから台所で顔を洗う。この家には洗面所や風呂がないため家の中では台所でしか水が使えない。用を足しに行くとき外へ出なきゃいけないこと以外の不便は今のところない。
冷たい水ですっきりしたら、餌を待ち構えている家畜達の小屋へ向かう。
「ケェッケケェッ ケケェッ ケケェッ ケッケケェッ」
ニワトリとアヒルを足して二で割ったような姿の家畜、フゥに穀物のクズをやる。一番大きいクズを群れのボス、オーにやってから小屋の床にばらまく。
フゥが終わったら次はキャビッツの小屋だ。
キャビッツはクマのように大きな毛用種のウサギである。かなりでかいので小屋に三頭しか入らない。大きいくせに甘えん坊で、一日十回ほど撫でに行かないと突進してくる。大きい順からキャビン、ラビン、ダビンと名付けている。
家畜の世話が終われば次は鍛練。
裏庭を通って山へ向かい、中腹あたりまで登ったらその高さの山肌を左回りに進み、家が見えてきたら下りの道へ進む。歩きやすいように石や障害物をどかしただけのものだが、ラインツにとっては目隠しをしても平気なほど慣れた道だ。
麓へ降りるとそのまま家には戻らず、集落の周りを流す程度にぐるっと一周する。流すとは、体をほぐすための軽いランニングをすることである。
「ラインツくん! おはよう、今日も早いね」
窓を開けて換気をしていた隣の家の奥さんに会釈で返す。
もうこの村に来て約三年経つが、ラインツはいまだに人との会話が苦手であった。言葉は分かるようになっても左目の傷が原因で、誰に対しても恐怖心が芽生えてしまう。最も、元の世界でもまともにクラスメイトと会話していなかったため、会話自体が苦手である。
ただしグレタだけは例外だ。
彼女だけが、ラインツが異世界から来たことを知っている唯一の人間だ。
「ラインツ、おはよう。朝ごはんちょうどできた頃だよ」
「おはよう、グレタ」
家に帰ると、食卓には朝食が並び始めていた。
軽く体を拭いてやや急いで着替え、食卓の席に着く。
「いただきます」
朝食は毎日決まってフォグとスープ。
フォグはパンに似た主食で、表面は茶色くて硬く、内側の生地はぼそぼそ感があるためふやかさないと食べづらい。日本で市販のやわらかいパンしか食べたことのなかったラインツにとっては、スープで充分ふやかしてからでないとスムーズに食べられなかった。
スープは複数の野菜と豆を煮たもので、現代日本での一般的なスープよりずっと汁が少ない。味付けも、グレタが独自に開発している香草のみ使うため、非常にあっさりとしている。
また、卵や肉は貴重品のため、この世界において一般家庭に卵料理や生肉を使う料理が並ぶことはほとんどない。胡椒や塩などの調味料を使った目玉焼きやベーコン、ソーセージといった欧州を連想される朝食は少なくともこの村では到底ありえないものである。田舎は土地があるだけで人や物資の流通がほとんどなく、単純に貧しいとも言えた。
しかし、ラインツのジャンクフードに慣れたはずの舌はなぜかこの世界の味に順応している。ラインツ自身がこの世界の住民として生きるのが楽しいため何でも食べるのだ。
スープを二口ほど啜ったあと、フォグをちぎって浸していく。
一方グレタは平たく切ったフォグの上にクリームと生のトマテをのせている。
クリームはヤギに似た家畜の乳を撹拌して泡立たせて甘味料を混ぜたもの。前に一口舐めたら甘すぎて頭痛がした。トマテはトマトによく似た赤い野菜。グレタはこの組み合わせが大好きだ。この世界の野菜は生で食べるにはあまりにも苦くてエグみも強いのだが、クリームと一緒に食べるとトマテの青臭さが消えて食べやすくなるのだと力説するほどだ。
いつも美味しそうに食べている彼女の姿がラインツの心を満たしていた。
ラインツはこの時間が、ずっと続けばいいのにと毎日思う。そしていつか彼女と夫婦に……と妄想しているが、いまだに告白できず。
グレタはラインツを家族のように想っているが、恋愛感情はないのである。最初に出会ったときからラインツの片思いは停滞したまま。
両思いってなにそれ美味しいの?
ときどきどうしようもなく寂しくなって、しかしプライドに負けるわけにもいかず、晴れていれば山へ走り、天気が悪いときは一晩中キャビンを撫でまくる。そのせいかキャビンはキャビッツの中で一際甘え癖がついてしまった。
「今日は隣村へ薬草を届けに行く予定だけど、ラインツも一緒にどう?」
「うーん……今日は村の手伝いもないし大丈夫だけど、顔見られるのは少し……」
「そんなの問題ないよ。この頃のラインツ、男に磨きかかってるもの」
グレタは指についたクリームをなめながら、そう自慢気に言った。
確かに大人の男の体つきにはなってきた。歩けるようになってから、筋トレに村の手伝いや家畜の世話、山登りの日課に加え、よく食べた。
片目というハンデは彼に想像以上の負担やストレス、差別を強いたが、つらいときはいつもグレタの顔を思い浮かべ、何度も挑戦した。物を取るときも、外を歩くのも、距離感がうまくつかめず物を落として壊してしまったり転んだり傷の絶えない日々ではあるが、あの盗賊から受けた陵辱より酷いものはないと自分に言い聞かせ、奮い立たせる。
ある意味彼は強くなった。
典型的なオタクらしいヒョロガリ体型も、今では全身に筋肉がつき、グレタより頭一つ分高い。左目があれば嫁の貰い手になれたのに、という冗談を村の人達によく言われている。モテるのは好きだがグレタ一筋なラインツにとっては縁談話が来ないのはありがたい。
しかし、肝心のグレタは恋愛のれの字もない様子。長い道のりになりそうだ。
「 そういえば、先日の雨による川の増水はどれくらいだった?」
「まあまあ……あ、うん、 一緒に行く」
じゃあラインツのぶんも用意しとくね、グレタはそう言うと、器に残った最後のトマテの一欠片を口に放り込んだ。
扱いやすい性格も、なんとか鍛えて変える方法はないだろうか、とラインツはしみじみ思うのであった。
部屋でブーツに履き替えていると、グレタが何かを手にしてやってきた。
「これを付けてみて、きっと似合うから」
差し出されたのは、茶色い革で出来たベルト状の帯。手によく馴染む素材で中央部分の幅が広く、端にはボタンが縫い付けられている。
「これって……、もしかして眼帯?」
「その通り、これなら髪で隠さなくても済むわ」
彼女はわくわくした顔で言う。
早速、長く伸びた前髪を掻き分けて手探りで後頭部にボタンを留める。眼帯を見せつけるように格好付けて軽く笑ってみせると、グレタは両手を合わせて喜んだ。
ラインツは内心、人生初の眼帯に「俺って結構格好いいかも!?」と厨二心をくすぐられていた。
目的地である隣村は、ラインツが毎朝の日課で登っている山を越えたところにある。隣といっても、ここは超がつくほどド田舎で、一番近い街へは馬(のような異世界の生き物)を走らせても半日はかかる。
自動車や電車といった交通機関は一切ないため個人での移動は専ら歩きである。
増水して水中に沈んでいた下流の橋を、ラインツがグレタを手前に抱えて渡り、村の入り口へ着いた頃には日が高くなっていた。
隣村編つづきます。 ─ラインツは眼帯を手に入れた!─