今世の僕はインドア派
前世での幼い頃の話である。
僕は比較的アウトドア派なお子様だった。と云っても、決して毎週末バーベキューをするようなパーリィピーポーなわけではなく、また、隙間時間を見つけてレッツ登山な人間でもない。お子様なのでそのような大それたことはできなかったし、長じてからもそうした集まりにはあまり積極的ではなかった。
ではどういうことなのかと云うと、まあつまり、チャリである。自転車である。小学生男子が憧れてやまないマウンテンバイクである。
僕は休みのたびに自転車で街から街へと駆け回った。隣接している街は概ね端から端まで回った。なぜかわざわざ隣町の小さな公園で遊び、少ない小遣いで買った駄菓子のジュースで喉を潤し、ちょっとリッチな山の上の博物館に入ったりした。
そうした遊びは当然のごとく保護者からするとあまりよろしいものではない。保護監督の観点に立てば、今でこそ少し申し訳なく思うのである。
だから僕はなるべくそうした遊びは内密に行っていた。決して食卓で「今日は何したの?」なんて質問には乗らず、のらりくらりとかわし、時には妹に土産と云う名の買収行為をしたりもした。
それが誤りだったのである。
妹は楽しい日曜日の──まだ月曜日の憂鬱を知らない子供だったのだ──夕餉の場で、云ってしまった。
──お兄ちゃん、私も美術館行きたい。
諸君、僕は云おう。それはホラーであったと。
楽しい楽しい家族団欒が時を凍らせ、父母は笑顔のままおしゃべりをやめた。流石は僕の父母と云えよう、彼らは妹のこの一言でその日僕が何をしていたのかを悟ったのだった。
あとはひたすら余罪の追及である。被告人は僕、告発者は妹、そして刑事と裁判官は父母。誰か、弁護人を呼べ。できたら孫に甘い祖母がいい。
しかし残念ながらそれはお盆もまだ遠い時分の出来事であったので、僕は見事に実刑判決──向こう一ヶ月の小遣いなしと、マウンテンバイクにGPS取り付け。どういう仕掛けか町内を出ると音が鳴り親に知らせがいく──を受けてしまったのだった。
さて諸君、賢明なる諸君。
賢明ではない僕がこのとき学んだことはなんであったかおわかり頂けただろうか。
そう、それは──年下の兄弟の口の固さを信用しないこと、そして、身内と云うものは一の悪事から十の悪事を推察するものだと云うことである。
賢明ではない僕はすっかりこのことを忘れていたわけではないが、今世の身内に対して若干評価が甘かったことは否めない。
なにせ僕の兄たちは、それはもう賢明な人間であったがゆえ。
「エリオットが遊んでくれない」
そう朝食の席で宣ってくれたのは長男のブルーノ兄様である。御年とって十六歳の遊び盛りのはっちゃけ盛り、弟たちを迷惑なほど可愛がってくれるよき兄である彼は、いじけたように朝食のベーコンを切断する。
「エリオットももう子供ではないんだから、そんなに気にすることでもないだろう」
そんなことを云って悠々と紅茶を嗜むキャスパー兄様は一つ下の十五歳、眼鏡の似合う見た目まんまのインテリ系王子。テンプレの力はとても偉大だ。見た目とのギャップがないのは初見の人間が混乱しなくていいと僕は思う。まあもう十年の付き合いであるので、どんなギャップがあっても気づかないまま受け入れそうであるけれど。
さて、時は早朝、四兄弟揃っての爽やか極まる朝食の席である。何故四人かと云えば、父母は先日に王都で起きたちょっとヤバーい感じの事件とやらの話を、昨夜からずっとしているからである。
離宮に移ったからといって、完全なサマーバケーションを得られるわけではない。政務は少なくしつつも行うし、なんだったらいつでも突発的な事態に備えているのは当然なのだ。ほんの少しだけ王都にいるよりも涼しいと云うだけの話なのである。大人って本当に大変だなぁと思う次第。
僕はブルーノ兄様の愚痴に苦笑いを返しつつ、話の矛先を一生懸命食べているヘンリに向ける。
「今年はおとなしくしていようと思って。それにほら、ヘンリから兄様を取るのも気が引けるし」
黙々とパンを口に詰め込んでいたヘンリは、僕の声にようやく顔を上げて、なにやらうーうーと云った。心なしか不満そうに顔を横に振っているように見えるのは、きっと半分以上気のせいだろう。
「おとなしく、ねぇ。それにしては、あまり城内にいないようだけれど」
「かくれんぼうは得意なんだよ、兄様。知っているでしょう?」
キャスパー兄様の眼鏡が厭な感じに光ったので、適当に笑って濁してヘンリにオレンジジュースを渡す。兄様、明日からは是非とも窓とは反対側に座ってください。眼鏡キャラが逆光を背負うと威圧感があっていけない。
キャスパー兄様は眼鏡の位置を人差し指で直すと、すぐに興味を失ったように席を立った。
「あまり悪さをしないように」
まるであたかも僕がすでに悪さをしているような言いぐさに、思わずにっこり笑ってしまう。僕は独断とエゴに基づいて善行をしているだけなのだから、世間一般などと云う曖昧かつ不確かな基準でもってそれが悪いことであったとしても、そう云われてしまうのは心外なのだ。
僕のパーフェクトスマイル──王族に代々受け継がれし王子様スマイルである──を受けた知的眼鏡──鬼畜ではないと思いたい。僕が迷惑するから──の兄様は、軽く鼻を鳴らして笑うと、食堂を出て行った。今日も今日とて書斎で本を紐解く予定なのだろう。むしろそれ以外に何をするのかがわからない。
「よしっ、それじゃあヘンリ、今日はヘラクレスオオカブトを探すぞ!」
「へらふれふっ?」
ガタン、と横で大きな音がしたと思えば、ヘンリを肩に担いだブルーノ兄様が大声で今日の獲物を宣言していた。
いまだ口にパン──オレンジジュース味──の残っているヘンリは、兄様の口から飛び出た獲物の名前に目をきらきらと輝かせている。どうやら彼にはまだ、虫は恋に勝るものであるらしい。僕にとっては好都合なことなので、ヘラクレスがこんな場所にいてたまるか、いっぺん図鑑を読んでこいなどとは決して云わない。ただにっこりと笑って見送るばかりである。──余談だが、四兄弟の中で一番パーフェクトに笑えるのは僕だ。処世術には人一倍自信があるのである。──
「いってらっしゃい二人とも。僕は部屋で勉強しているから、大きなものが見つかったら教えてね」
「おうっ、エリオットは偉いな。偉いやつには勲章を与えねばならん。ってことで、今日は勲章になるような虫を探すぞ、ヘンリ」
「はーい!」
とってもいい返事をして騒々しく部屋を駆け出す兄弟を見送り、残されたのは僕と部屋の隅で実は待機していたヨハンである。
「ヨハン、」
「はい、こちらに」
ヨハンの手には、テーブル中央に用意されていたバスケットから幾つか抜いて置いたパンを包んだハンカチが一つ。無駄に多めに用意されている朝食の中から、剥かれもしないまま手つかずのオレンジを拾い上げる。育ち盛りの男児ばかりの我が兄弟たちには感謝しなくてはいけないだろう。
「よし、それじゃあ二度目の朝食だ」
僕はにっこりと本当に笑って、オレンジを頭上に放り投げた。