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世界で一番可愛いのはだれ?


 イベントスチルにも映っていなかったモブを当然僕が事前に知っているはずもなかったのだが、それでも一目見てその男女がこの屋敷の主人とその奥方であることは知れたので、テンプレートの力は偉大だと思う。

 恰幅と愛想のいいその男性は、僕を迎え入れるためではなく、入れ替わりに出かけるためにエントランスに立っていた。


「これはこれは、エリオット殿下ではありませんか。お見苦しい姿で失礼いたします。御予定よりも早いお着きですな。いやはや、とても大きくなられましたなぁ。私が最後に殿下を目にした時には、まだほんの赤ん坊でございましたのに」

「ええ本当に。それにとっても格好良くなられましたね。殿下と婚約ができるなんて、エリスも幸せ者でございますわ」


 愛想が良すぎていっそ冷ややかなほどだが、外交なんてそうでもなければやっていけないのだろう。僕に挨拶をする傍らでも、きっちりと出かける用意をしているのだから恐れ入る。子供だからと侮られているのではなく、心から忙しいのだろう。


「ええもちろん、幸せにするつもりです」

「まあ嬉しい! でも殿下、あまり甘やかさないであげてくださいね。あの子はとても我が儘ですから。昨日だって……」

「こら、あまり醜聞を振りまくんじゃない」

「またそんなことを仰って! そもそも貴方があの子を甘やかすから……、こっちの色ではなくあっちの色にしてちょうだい」


 たおやかに手を頬に添えて困ったように眉根を寄せた奥方を、シュトルツプファル公爵が窘めた瞬間、メイドの一人が奥方の肩にショールをかけた。ものの見事に意識がそちらへと向いたのだから、恐らくこの屋敷のメイドはプロなのだろう。それにしても、奥方はどうやら少し口が軽い質のようだが、僕の国の外交は本当に大丈夫なのだろうか。

 しかし横並びに見ると、恰幅の男と痩せぎすの女でなかなかバランスが取れている。もしも本当にテンプレート通り、見た目のままの中身であるならば、エリスの家庭環境は推して知るべしなのかもしれない。


「わたくしどもはこれで失礼を致します。夏の間は隣国を回っております故、お会いすることもかないませんが、我が邸宅ではどうぞおくつろぎください」

「エリスがもっとしっかりしていればすべて任せるのですけれど。うちのメイドは優秀ですから、ご不便はおかけいたしませんわ」


 五歳児に望むハードルが高い。貴族ってそんなものなのだろうか。

 ちなみに王族は六歳になってもまだ類人猿から人間に進化しきれていない者も多いので、きっと王族をやめたら人間社会で生きていくのに苦労するだろう。僕もあまり上等な頭を持っているわけではないので、なるべくなら王族にしがみついていた所存である。


「エリスは昨夜から部屋に篭もっておりまして……。おい、あの子はまだ出てこないのか?」


 メイドの肯定に公爵は溜息を吐くと、時計を取り出して時間を確認した。


「まったく、何が気に食わないのやら。殿下、どうぞあの子をお頼みします。不出来な子ではございますが、あれでも私の娘ですので」


 そう云って、今度こそ公爵は馬車の待つ玄関へと出て行ったのだった。

 公爵夫人は優雅に夏に翻るショールを肩に巻き、そのあとに続く。

 そうして主のいなくなった残されたのは、数人のメイドと僕とその従者だけなのだった。


「エリス、エリス、出てきてよ」


 かれこれノックをすること十五回、時間にして五分ほど。

 僕は背中に黒子と無表情なメイドを連れて、エリスの部屋の扉を叩いている。これが前世の妹の部屋であればとうに諦めているし、今世の弟の部屋であれば蹴破っている。ちなみに兄たちの場合は放っておく。報復が怖いので。


「エリス、君の誕生日プレゼントを持ってきたんだ。君に一等似合う赤いリボンを選んできたよ」


 これは少しずるいかなぁと思ったけれど、心底から彼女にリボンを送りたかった僕の、この扉を恨めしく思う気持ちは本物なので許してほしい。僕は聖人君子でもなければ、攻略対象として女性受けする腹黒男子でもないのである。ただみっともないほど、彼女にリボンを贈りたいだけの男なのだ。

 果たして、僕の懇願が届いたのだろうか。とてとてと拙い跫が扉のすぐ向こう側にまでやってきて止まった。


「もうしわけございません、エリオットさま。本日はお逢いすることができませんので、リボンはメイドにあずけてくださいませ」

「どうして? 熱でもあるのかな?」

「いいえ、でも……」

「それなら引き下がれないな。このリボンは、僕が時分の手で君の髪に結うために選んだのだもの」


 少し枯れ気味の声音を心配しつつ、敢えて無神経を装いエゴを押す。昨日、きっと何かがあったのだろうことは容易く想像できたけれど、それを聞き出すような真似をするつもりは毛頭なかった。──少女の心はとても柔らかく繊細に出来ているのよ、男が勝手に手を出すな、とは妹の教えである。ただ話した時に聞けばよいだけ。押す場所を間違えるな。

 暫くの逡巡の空白のあと、ようやく、僅かに扉が開いた。僕の胸元より下、まだドールサイズを抜け切れていない少女の頭が、細い隙間から覗いている。


「かおが、とてもひどいのです」


 俯いたそれを上げることなく、エリスは僕にそう告げた。


「本当に? 想像がつかないな」

「いっぱい泣いたから」

「泣いても可愛いと思うけれど、」

「でも、」

「おいで、エリス。僕がリボンを結んで上げる」


 僕は彼女の手を取って、咄嗟の抵抗を無視して彼女の部屋に入る。

 五歳児が使うには広すぎる部屋だと思うのは前世の僕の感覚で、今の僕にはその広さと彼女の体躯の大きさを比してそこに寂しさを感じることはほとんどできない。

 彼女に相応しいベッド、彼女に相応しいランプ、彼女に相応しいドレッサー。ただ、それらがそこにあるとは思えなかったから、いつか僕が彼女のための部屋を用意してあげたいとは思った。


 戸惑うエリスは、けれど淑女教育の賜なのか、逆らうことなく僕についてくる。目に付いたドレッサーの大きな鏡の前に座らせようと抱き上げると、その体温が夏の湿度を孕んで高くなっていることがわかった。それが果たして泣きすぎたがゆえのものなのか、子供の体温なのかは、僕にはわからない。

 呼ばずとも、僕の黒子はそっと僕の背中、鏡の中に佇んでいた。ヨハンの手には、大きな大きなバスケットが一つ提げられている。身長が平均以上に高いヨハンでなければ提げることもできないほどの大きさだ。誰がなんのために作ったものなのかは知らないが、今日と云う日には役に立ったのでよしとしよう。


「世界で一番可愛くしてあげよう」


 バスケットの一番上に載せていたリボンを取り出すと、僕はエリスの髪にブラシを入れた。

 彼女の髪は温柔で、子供の体温を吸い上げて心地がいい湿度を持っている。星屑の小川に手を差し入れたならこんな手触りなのだろうかと、ファンタジックなことを考えてしまいそうなほどだ。

 近い未来、これが僕だけのものになるのだと思うと、指先はどこまでも優しくなれた。一度だって引っかかることなく落ちてゆくブラシを、撫でるように何度も通す。

 赤いリボンは約束だ。彼女が望んだ、僕の色だ。

 難しいことはできないけれど、僕はそれを彼女の髪に絡めて結ぶ。いわゆるハーフアップというもの。前世から数えて少なくとも十年以上ぶりにやったにしては、なかなか上出来である。


「うん、可愛い可愛い」


 僕の嫁──確定事項。リアルはゲームではありません。ゲームシナリオに添う必要なし──は、世界で一番愛らしい驚愕の表情を浮かべて、鏡の中で笑う僕を見ていた。

 彼女の頬が、徐々に先までとは別の朱色に染まっていくのがわかる。僕は特別自身の髪色に感慨を覚えたことはなかったけれど、嗚呼、赤が好きだとその時感じた。


「すてき! エリオットさまとおなじ色です!」


 抑制を知らない、無邪気で素直な甲高い声で、エリスは僕のプレゼントを賞賛した。細い指で赤いリボンを摘んだり引っ張ったりしては、それが解けないかと心配になってやめる。けれど気になるから、どうしても繰り返す。

 どうしてこの子が我が儘であるだろう。この子が我が儘であったなら、僕の弟妹たちはすべて地獄の悪魔と変わらない。いや、確かに悪魔のような育ち盛りを生き抜いた子供ではあったけれど。

 とりあえず、あの目が節穴の両親のもとにずっと置いておくのはいただけないかもしれないなぁと、僕はひっそりと考え始めていた。

 ──そうだ。


「エリス、今日はたくさんプレゼントを持ってきたのですが、クローゼットに空きはありますか?」


 きょとりと目を見開いて疑問を露わにするエリスは、けれどすぐに首肯した。

 なるほどそれならこのバスケットの中の大量の服たちを隠す場所には困るまい。──変態と云うなかれ、子供の成長は早いのである。つまり今のうちに着てもらわねばもう着られない服などいくらでもあるのだ。早い段階で運命の相手と出逢えた僕は、他のどの王子様とやらよりも幸運だっただろう。


「あの、エリオット様……」

「ヨハン、僕はおまえの腕力を信じているよ」


 だって、仮にも、おまえだって攻略対象なんだ。それくらいのチートスキル、持っていてもらわないとね。

 そう暗に云う僕の心の声が届いたかは定かではないが、鏡の中の僕の従者は可哀想なくらい──客観的に見て。僕の感想でない──青褪めて、泣きそうに唇を震わせたのだった。

 

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