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子供に純愛は可能か?


 僕の婚約者隔離政策は彼女と出逢ってから一ヶ月を待たずして早々に詰んだ。

 それと云うのも、前世の僕が乙女ゲームプレイヤではなかったためである。

 端的に云えば、敵の情報があまりに少なすぎたのだ。前世の妹から聞いた愚痴の大半は、主に僕──と云う名の悪役令嬢の婚約者と、シナリオライタのことだった。

 ──顔だけはいいんだからもっと上手くたちまわりなさいよ!

 そんな妹の痛烈な罵倒の言葉を幻聴した気がした、六月の昼下がりである。


 なにはともあれ、エリスと仲良くならないことには始まらない。彼女を救うための回避策を講じるにしても、将来的に国家転覆しようとも彼女とめくるめくフリーダムハッピーライフを送るにしても、まず必要なのは彼女の好感度だろう。

 好感度を上げられるばかりの攻略対象が何をなどと云うなかれ。僕は好いた相手には惜しみなく資産を明け渡す男である。先に述べた国家転覆だって、彼女が望むなら暗殺の一つや二つは企てよう。

 ……あれ、もしかしてエリスは悪役令嬢のままでも幸せになれるのではないだろうか。要は僕が彼女を全肯定すればいいのだし。

 なんだ、とっても簡単な話じゃあないか。

 それなら今日のお茶会は、特に何を気にするでもなく存分に未来の嫁を愛でることに努めよう。

 そんなこと考えは当然のごとく、ロシアンティーよりも糖分過多で甘すぎると知るのは、そう遠くない未来である。


「ごきげんよう、エリオットさま。おまちしておりました」


 侍女に付き添われてエントランスで僕を出迎えたエリスは、ふわりとはにかむように笑って、五歳児とは思えないほど完璧な礼をした。

 彼女の父母は今日は留守だと云うことで、出迎えに自分一人で申し訳ないとも云い添える。

 男女では比較対照にならないのかもしれないが、我が家の六歳児である弟──今世の方──が今も木登りをしているだろうことを考えると、恐るべき淑女である。いや、妹──前世の方──も五歳でっこんな立ち居振る舞いはできていなかったような気がするが。ソフトクリームをシャツにべったりこぼしてぎゃん泣きしていた記憶しかない。


「お招きいただき光栄です。エリス嬢におかれましてもご機嫌麗しゅう。今日のお茶会、楽しみにしておりました」


 にっこり微笑んで手を取る僕は、まさしく王子様だったことだろう。本当に王子だけれど、上下の兄弟のせいで王子というものの概念が壊れかけている中で、僕ほど王子らしい王子はいない。

 金髪碧眼のエリスもまた、花色のドレスを着ているせいでお姫様のように見えるのだから、今ここに僕と彼女は完璧な一対の男女であることだろう。うん、悪くない。


「にわの花がキレイにさいていますの。おしろのバラより小さいけれど、とてもすてきなのです」


 だからお茶会におさそいしたくって、と拙く云う僕の婚約者は賭け値なしに可愛い。

 ちなみにそんな彼女が僕宛に届けてくれた招待状は、まさかの彼女の手書きだった。白いレースの便箋に不器用な字でそんなことが書かれていれば、角についたインクの染みさえ愛嬌になると云うものである。

 子供だから可愛いに決まっているなどと云うなかれ。僕の弟妹──今世前世混合──はこの時分、僕にいつも容赦のない蹴りを入れていたのだから。子供の癇癪、恐るべし。兄の威厳は粉微塵である。


 エリスに案内されてきたシュトルツプファル邸の庭は、確かに──そして当然ながら──城ほどの規模はなかったが、十二分に整えられている、素朴な英国式庭園だった。──先にロシアンティーなどと云う言葉を持ち出した時にも考えたが、このファンタジィ世界には当然ロシアも英連邦もないのだから、類似した何かだと思ってほしい。そこはそれ、きっと日本人であっただろうゲーム制作陣のご都合が生み出した元世界準拠の世界観なのである。きっと探せば炬燵に似た何かも見つかるだろう。もっとも、この石造りが住居の基本である世界では、炬燵などと云う日本式暖房設備は非効率極まりないため、生み出されていない可能性は十二分にあるが。


 庭の真ん中に佇む東屋に到着したところで閑話を休題。

 僕を先導して重たいだろうドレスを引き引き歩いていたエリスは、そこでようやく僕を振り向くと、少し緊張した面もちでどうぞと椅子を勧めた。

 立派にホストを努めようとしている彼女の健気さと云えばないが、そこはそこ、僕はなんと云っても王子であるので、彼女よりも先に座るわけにはいかないのである。

 僕は彼女を追い越して東屋に上ると、大人サイズの椅子を引く。哀しきかな、僕はまだ十歳児で、それを持ち上げることはできず少し引きずってしまう。しかし、王子様は少しだってそんな悔しさを顔に出してはいけないのである。


「お手をどうぞ、エリス嬢」


 人形のように愛らしい彼女の手が惑うよりも先に、僕は指先を掴んで椅子へと導く。

 キラキラと陽光に反射する黄金色の髪を揺らして、彼女は不思議そうに小首を傾げる。そうしてすぐに、自身がなにを求められたのかを知ったらしい。もう片方の手を椅子の座面につけて、さらに少し困ったように眉根を寄せた。

 改めて並べて見ると明らかなことだったが、その椅子は彼女にはまったく大きかった。重たいドレスのままに座るためには、一度淑女であることをやめなければならないだろう。

 それじゃあこんなに僕のために令嬢をしている彼女があんまりだ。

 そう思い、僕は彼女の両脇に手を入れた。


「失礼します」

「きゃっ」


 咄嗟に僕の首に回した腕の細さと云ったらなかったが、その重力はエリスが人間だと知るには十分だった。恐らく半分程度はドレスのせいだろう。女性とは、この時分からすでにこんなものと戦っているのかと思うと感服してしまう。お人形になるのも楽ではないのだ。

 予想のなさからくる勢いがあったからこそよかったが、お姫様だっこをしてあげるのはまだ難しいだろう。すとんと椅子の上に綺麗に収まったエリスに笑顔を向けながら、僕はそんなことを考える。椅子の大きさに比して彼女が小さいせいで本当にドールのように見える。しかしそれでも、僕が抱えて持ち帰ることができないくらいには、彼女は人間の重さをしていて、生きているのである。


「次はお姫様だっこで座らせてあげられるようにがんばりますね」


 だってこの子は将来、お姫様になるのだから。

 そんな当たり前のことを云っただけなのに、彼女は顔を真っ赤にして俯いてしまった。もしかして前世の記憶を取り戻したことで、僕は乙女ゲーム補正を失って、女性から見てもただの恥ずかしい野郎になってしまったのかもしれない。ロマンチストも困りものだ。


 テーブル越しだとケーキスタンドの向こう側に小さなエリスが隠れてしまうため、僕の椅子を彼女の隣に寄せてお茶会は恙なくスタートした。なお、僕の椅子は齢十歳に相応しい体格の僕に代わり、十一歳には不相応な身長を持つ黒子がいつの間にか移動させてくれていた。僕の従者はとても優秀である。

 まだまだこの年齢ではどう足掻いてもラブラブなどと表現できるものにはならないが、一つ一つのケーキの説明を懸命に行うエリスを見ていると、とても微笑ましい気分になる。手の届かない場所にあるものを取ってあげると恥ずかしそうに礼を云う姿がとても愛らしいので、いっそ膝の上に載せてあげたいけれど、載せたところで十歳児の僕の膝の上では大した高さにならないので諦めるより他がない。


 ふと、一通りのケーキを堪能したところで、会話が途切れる。

 興奮しているためか、エリスの頬は僅かに色づいており、唇からは会話中では足りなかった呼吸が漏れている。

 そんな彼女があんまりに、愛らしかったから。

 僕はそっと、頬にかかった彼女の金糸を耳にかけて、そのまま長く流れるままに指を伝い落とす。


「あなたに一番似合うリボンの色は何色だろう」


 きょとりと見開かれた目には、先ほどまでの少女性はなく、ただ中性的な子供の無垢さがあった。

 考えてみれば、僕は彼女のイメージカラーを知らない。キャラクタデザイナは、果たしてそこまで考えて彼女の造形を作ってくれたのだろうか。もし、ただ悲惨な末路が待つだけの子供だと知っていたならば、そこまでの思い入れがあるような作り方はしなかったかもしれない。

 それなら、彼女に色を与えれるのは僕だけだろう。


「あの、ちがっていたらごめんなさい」

「なぁに?」

「エリオットさまが、わたしにリボンをくださるのですか?」


 無垢な青玉の目に、僅かな少女が宿る。

 嗚呼、たまらなく美しいと、僕は思う。


「リボンでも、髪飾りでも。あなたが願うのなら」


 縋るような青が。

 餓えたような蒼が。

 期待するような碧が。


「それなら、わたし、赤いリボンがいいです」


 皹割れた光を孕んで、僕に懇願をするから。

 僕は堪まらなく彼女が好きなのだと、思うより他はなくなってしまったのだった。

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